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今年二十を数える王弟リャドムは、王族でありながら魔術師として国に従事していた。
良く言えば純粋で人を憚ることを厭う性格で、悪く言えば単純不器用で権謀術数が苦手な性格をしていた。
その性質ゆえ政には悉く向かなかったが、幸い魔力に恵まれていたため魔術を学び、魔術師として国へ貢献する道を選んだのだった。
リャドムの国では魔術大国と名高い隣国と魔術技術に関する協定を結んでおり、今回彼は、彼の国へと魔術師として使節団の一員に入る事となった。
魔術師同士の交流とはいえ、今回の訪問は外交に等しい。
国の威信を背負えるほどの優れた魔術師でなくてはならない。
だからこそ、使節団の一員として選ばれることは、魔術師としてとても栄誉なことであった。
魔術師である自分の力が認められたのだと、リャドムは素直に喜んだ。
さて、そんなリャドムは今回、大きな目的を一つ持って隣国へと訪れていた。
それは、異世界より突如こちらの世界に来てしまった一人の少女を元の世界へ帰してあげることだ。
異世界の少女マドカは今でこそ笑顔を見せるようになったが、こちらの世界へ来た当初は右も左も分からない所に突然放り込まれ、大きな不安を抱えて日々を生きていた。
そんな彼女に言葉を教え、この世界のことについて説き、日々の生活が出来るよう世話をしていたのは始めに彼女を見つけたリャドムであった。
リャドムが王都の外にある魔術試験所で実験をしていたところに、突然、何もないところから彼女が現れたのだ。
リャドムは驚いたが、彼女はもっと驚いていた。
見たことの無い格好、全く通じる気配のない聞いたこともない言語。
それを見て、すぐにリャドムは彼女が異世界から来たのだと気付いた。
この世界には稀ではあったが異世界から人が渡って来ることが何度かあった。
その人達は一様にして見たこともない不可思議な格好に、理解不能な聞いたこともない発音の言葉をしゃべるのだ。
だからこそ、リャドムはすぐに分かる事が出来た。
それからリャドムを後見人とし、マドカを支え、笑顔を見れるようになったのだったが、ふとした瞬間、とても寂しそうな顔を彼女はする事があったのだ。
思うに、郷愁なのだろう。
マドカはきっと、自分の世界へ帰りたいのだ。
こちらの世界へ来た当初、帰れないということを知ったマドカは、来る日も来る日も泣き過ごし、その時の悲痛に歪んだ彼女の顔がリャドムの頭をかすめた。
それからリャドムは一念発起し、異世界へ渡る術を研究し始めた。
が、この研究はすぐに暗礁に乗り出した。
そもそも今まで異世界人が自分の世界へ戻ったなどと言う話は聞いたことが無かったのだ。
すぐに見つかる訳が無かった。
そこでリャドムは彼の魔術大国へ今度赴くことを思い出した。
この国でダメでも、魔術技術の発展している彼の国ならば何か手がかりがあるかもしれないと期待した。
分かったらすぐに帰してあげられるよう、異世界人マドカを伴い使節団への参加となった。
「異世界へ転移する術ですか?」
魔術師長の言葉に、隣国の王弟であるリャドムは頷いた。
「はい。魔術大国である貴国であれば、異界へ渡る術をご存知無いかと思いまして。できればマドカを祖国へ返してあげたいのです。」
隣国からの魔術師一行を歓迎する宴の席。
客人達と王宮魔術師達は話に花を咲かせていた。
魔術師長も今回受け入れた中で最も位の高いリャドムの接待をしつつも、王族でありながら魔術師として勤勉に学んでいるリャドムとは魔術談義で話が絶えず、会話を楽しんでいた。
その席でもたらされたのが、先程のリャドムの言葉。
うーん、と魔術師長は唸り、顎に指を当てて考えた。
政を遠巻きにするほど善人であるリャドムが、純粋な善意であの異世界からやって来た少女マドカを元の世界へ返してやりたいのだと思っているのだろうと魔術師長は考えた。
だが、魔術大国の知識深い魔術師長である彼であっても、異世界へ渡る術について知ることは無く、面目なさそうに眉を下げる事しかできなかった。
「申し訳ありません。私ではお役に立てそうにない様です。」
「そうですか。」
シュンとするリャドムを尻目に、魔術師長は思案する。
確かに、この国一番の魔術師で、魔術の知識も豊富で卓越している魔術師長は、異世界へ渡る方法を知らなかった。
だが、各国に名を轟かす少々規格外な魔術師がこの国にはいた。
魔術師長の発想や想像を越えて新たな(危ない)魔術を生み出すその魔術師は、ある意味魔術師長よりも優れた魔術技術を発揮することがある。
もしかしたらかの人物なら何かしら知っているかもしれない、と魔術師長は思った。
その事に魔術師長と同じくリャドムも思い当たり、もしかしたら彼の人ならば異世界へ渡る術を研究しているかもしれない、と一縷の望みをかけて、リャドムはもう一度魔術師長へ問うた。
「竜殺し殿はご存知ないだろうか。」
「え?」
まさに今、自分が思い浮かべた人物をリャドムに言われ、魔術師長は間抜けな声を出してしまった。
「かの凶悪な竜を単騎討伐した竜殺し殿は魔術師であると伺いました。もしかしたら、彼の方ならば研究をしているのではありませんか?」
確かにリャドムが言った事は、魔術師長も考えはしたが、ニーナをこの場に出す事は躊躇われた。
国境を越え、近隣の国々にも広がっていった竜殺しの名は、各国の注目を集めていた。
単騎で竜一体を倒す事ができるまさに一騎当千の竜殺しは、各国、隙あらば自国に引き入れようと虎視眈眈と狙っていた。
今回、隣国の魔術師を迎え入れるにあたりニーナを彼等から遠ざけたのも、この辺りに起因するものもある。(勿論、粗相の事も理由にある。)
今でこそ、一つの国に根を下ろし暮らしているが、元はこの国の人間ではない。
いつ引き抜かれて国を出て行っても可笑しくは無い。
国としても、最大戦力を失いたくはない。
良い意味でも悪い意味でも外交問題を起こしそうな人物を、その気はないにしろ王弟に会わせるわけにはいかなかった。
魔術師長は言葉を濁してその場を切り抜けようとした。
「あー、いやー、それはどうでしょうなぁー。」
「一度会わせては頂けませんか?」
冷や汗を流しながら気まずそうな返答しかしない魔術師長を物ともせず、リャドムは懇願した。
魔術師長は唸りながら、どう言ったものかと頭を捻らせた。
「それはー、そのー、少し難しいと申しますか。」
「少しでもいいのです。何か手がかりでもあればお聞きしたい。」
「いやー、本人の問題といいますか。」
「本人の問題?」
「はい。今、その、調子が悪いというか虫の居所が悪いというか。」
「どういう事ですか?」
「始めにご案内した魔術師棟の執務室、覚えていらっしゃいますか?」
「ああ、全ての部署に壁が無い作りで、開放感に溢れていた。各部署の隔たりをなくす構造は、画期的だと思いました。」
「あそこ、つい先日までは各部署ごとに部屋になって別れてたんです。壁もちゃんとありました。ところがある日あの場所で、誰かが彼の者の逆鱗に触れ、執務室の壁は全て壊されてしまいました。修繕費も嵩むので、壁の無い状態を活かした修理を行い、今の執務室があるのです。」
魔術師長の言葉にリャドムは目を見開き、驚きを露わにした。
「それは、まことですか?」
「はい。お恥ずかしい話ではございますが。」
「それは、何と言うか。」
「いつどこで、彼の者の逆鱗に触れるともしれませんので、今は会わないに越した事はありません。御身のため。」
リャドムは魔術師長の言葉に真剣に頷き了承した。
「噂に違わぬ恐ろしさだ。」
多少、真に受け過ぎるようには感じたが、魔術師長は敢えて何も言わず、沈黙する事でリャドムへ注意を促した。
初めてワンフロアになった執務室が役に立った瞬間だった。
ところで、噂とは何かな?と心の中で魔術師長は思ったが、口にする事はなかった。
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例の治療薬を持ってハリストール殿下の執務室へ訪ねると、そこには魔術師長がいた。
出直すべきか考えたが、ここに来るまで隣国の人達に遭わないよう、コソコソ隠れ隠れと苦労して移動してきたので、できれば、何処かその辺で待たせてもらいたい。
人払いしてないし、ロダンも殿下の背後に控えているんだから懐刀(不本意)の私も居ていいと思う。
それに、「入れ」と私を室内に入れたのは殿下だ。
さて、どうしましょ、と殿下の方を見ていたら、いいところに来た、と言って唐突に質問を投げかけられた。
「異世界へ渡る術を知っているか」と。
「異世界へ渡る術ですか?」
「ああ、どうもリャドム殿下が探していらっしゃるそうだ。」
「リャドム殿下って誰ですか?」
「隣国の使節団にいる王弟だ。」
「ああ、あの。」
私が頷くのを見ると、魔術師長が殿下の話を引き継ぎ、リャドム様が異世界へ渡る術を探している経緯を話した。
「はあ、そうなんですか。」
何で王弟がわざわざ来ているんだと思っていたが、普通に魔術師だったのですね。
しかし、何故そこまで見ず知らずの少女にしてやるかね。
何か裏でもあるのか?
はっ、と私はそこで気付いてしまった。
これがもし、少女漫画的展開になぞらえるなら、もしかして、リャドム様って異世界の少女にホの字なのか?
ということは、あるのは下心か!恋か!
驚きの事実に私は思わず自分の口元を押さえた。
「何してるんだ?」
私の不審な行動に、殿下は怪訝そうに片眉を上げた。
私は、いえ何でもありません、と言いつつ咳払いをした。
「それで、ニーナは何か知らないか?」
そう魔術師長が問われたが、私はそれに首を振った。
「いえ。昔、興味本位で調べてみた事はあったのですが、結局分からずじまいです。」
何処にあるか分からない異世界へトリップするのは、そうとう難しいらしく、異世界人と会った先人達が何回かトライしたようだが上手くいかなかったらしい。
「そうか。」
「はい。今研究しても結果は大して変わらないと思います。」
四次元とかワープとか、その考えと理論についてこの世界では、まだ研究されていない内容だった。
やっぱり、異世界転移とかそういった考えがないとできないんじゃないかな。
いや、分かんないけどね。
なんせ女子高生までしかあっちで過ごしてないからね。
難しいことは一切分からん。
魔術師長は使節団の事について殿下と少し話した後は忙しいのか、そそくさと執務室を後にした。
殿下は魔術師長の背中を見送ると、私の方へ向き直った。
「あったんだな。調べたこと。」
「まあ、本当に興味本位でしたけど。」
「方法が分かったらどうするつもりだったんだ?」
殿下は魔術師長が来た時に出されたであろう、冷めたお茶を飲んで、何の気なしに訊いてきた。
その質問に、調べていた当時の自分の様子を思い出し、私は思わず苦笑した。
「そうですね。あの時の私なら、きっと帰っていたでしょうね。」
王宮魔術師になりたての頃、私は国最大の蔵書量を誇る王宮図書館に出入り出来ることの嬉しさと好奇心で、色々なことを調べようと考えていた。
調べたいことを沢山考えて候補を出し、それでも私が一番調べたいと思ったのは、『本当に帰る方法が無いのか』だった。
始めは興味本位で。
そのうち、故郷を懐かしむ心が強くなり、いつしか本当に帰るために調べていた。
学生時代から王宮魔術師になった今でも、心を許した人達と長く離れ、一人で過ごす時間を多く持ってしまったからかもしれない。
寂しさ故に、私は日に日に帰りたい気持ちを大きくしていった。
まあ、結果は『無理っす』といことで終わったんだけどね。
当時は落胆したけれど、今となっては、もう帰る気も無いし、まいっか、という感じだ。
「今は戻る気が無いんだったな。」
殿下から出た言葉に私は顔を顰める。
筒抜けだな、おい。
君ら兄弟に壁はないのか、壁は。
そして恥ずかしさとか。
「ニーナをこちらの世界に思い留めさせたのは、誰なんだろうな。」
ニヤリと笑って見せる殿下の顔が無性にムカついた。
「では、私はこれで失礼します。」
「待て。その手に持っている薬は置いていけ。」
「ああ、忘れてました。これいります?」
「いるから言っているんだ。」
どうしようかな、と思いながら治療薬を弄っていると、「ニーナ」と強い声で呼ばれた。
その声を発したのはロダンで、彼は真剣な顔に鬼気迫るような色を乗せ、ただ首を左右に振った。
その様はまるで、それだけはやってはいけない事、と責めているようなもので、ロダンは真っ直ぐな瞳で私を見つめた。
それを見た殿下が何とも言えない顔をしていた。




