第一章 ハイスピードフェアリー⑭
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「どうしたの一条さん? まだ10分経っていないよ?」
「だから、あたしの負けだって言ったじゃない」
ひなたは、学生証を拾い上げるとタイマーを止めた。
「そうだけど……」
望が困惑した顔で見つめてくる。
「なんて顔してんの、バカみたいよ」
「バカ? ……ひどいな。ハハハッ」
彼がひなたの顔を見て笑った。彼女も笑っていたからだ。
「ねえ、ひとつ聞いてもいい?」
「? ……いいけど」
「あなた、時間を止められるんでしょ?」
望が目を見開く。その顔が、すべてを物語っていた。
もっとも、ひなたは彼の能力が時間停止であるとほぼ確信していた。
そして、望へと突撃した時。彼女は体当たりを避けられて、体育館の壁に激突するはずだった。
しかし、その体は怪我ひとつ負っていない。
激突する寸前、目の前の壁が消えて、5メートル以上離れたフェンスの側に立っていた。
そして隣には、望が立っていた。これは、あの少年がやったのと同じだ。
「あちゃ、バレちゃったかあ」
彼が頭をかきながら、苦笑いを浮かべた。
「あの……この通りッ」
望が両手を合わせ、頭を下げた。
「この能力のこと、秘密にしてほしいんだ」
そう言って上目遣いで、ひなたの顔色をうかがう。
「いいけど、でもどうして? そんな能力を持っているなら……」
「今のまま、アンダーポイントとしいて暮らしたいんだ。一条さんは、ピンとこないだろうけど……今の生活が、すごく大事なんだよ」
ひなたの脳裏に、教室で騒いでいる望と友人たちの姿が思い浮かぶ。
彼らは、五人とも、生き生きとした表情で、思い切り笑い合っていた。その言動はともかく、充実しているのだろう。
もし彼の能力が公になれば、友人との関係が、今のままというわけにはいかない。
時間停止は、あまりに強力な能力だ。研究のため、数年はセントラルのある研究地区で暮らすことになるだろう。望は、それが嫌なのだ。
なんとなく、ひなたは相手の気持ちがわかった──その昔、能力によって、友人と会えなくなった経験があったから。
「わかった。内緒にしておく」
「本当に? よかったあ。ありがとう、一条さんッ」
望が、満面の笑みを浮かべる。
今にも飛びついてきそうな喜びようだった。
「それじゃあ、帰るわ。さようなら」
鞄を拾い上げると、彼に背を向け歩き出した。
「さようなら。明日は休みだから、また来週ね」
ひなたが振り向くと、望が笑顔で手を振ってきた。
同じように手を振るのは、慣れ慣れしい気がしたから、背を向けたまま、軽く右手を挙げるだけにする。
あとは、振り返らずにその場を去った。
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ひなたは、学園を出ると脇目もふらずに女子寮へと帰った。
その様子は、なにかから逃げているかのようだった。
女子寮につくと、ロビーで知り合いに声をかけらたが、短い挨拶だけで切り上げ、自分の部屋へと急いだ。
部屋の前につくと、勢いよくドアを開けて中に入る。
そしてひなたは、ドアにもたれかかってうつむいた。
ドンと大きな音がした。鞄を、床に落としてしまったのだ。
さらに彼女の手が、小さく震えている。
「ま、まさか……ね?」
声まで震えていた。
ハッとしたように顔を上げると、鞄から学生証を取り出す。
震える指先で画面を操作し、念のため保存していた望のデータを呼び出した。
能力値や中学生時代の成績、出身校といった情報が映し出されるが、知りたいのはそんなことではない。
指を画面上で滑らせながら、目的の情報を探す。
あった。実家の住所。
「ギャーァア!!」
思わず、ひなたは学生証をベッドに投げつけた。
頭をかきむしり、鞄を蹴りとばす。壁にぶつかった鞄は、中に入っている警棒のせいで物凄い音がした。
「うそ、うそ、ウソでしょッ!?」
ベッドにかけより、学生証を拾い上げる。
食い入るように、その画面を見つめた。
「あーッ、間違いないよお、ここ、昔住んでたぁあ」
そのままベッドに倒れ込み、ひなたは右に左に転がった。
「ってことはさあ、やっぱり、そう言うことだよねえ。あいつが、あいつが……」
枕を抱えて天井を見上げる。
別れ際に見た、望の笑顔が頭に浮かんだ。その顔が少年の顔と重なる。同じだ。二人の顔にはいくつも共通点があった。
あれほど思い出せなかった少年の顔が、今ははっきりと思い出せる。
「もおーッ、アンダーポイントじゃ、探しても見つかんないよ」
不意に、最後の決闘で見せた真剣な表情を思い出した。
いつもは見せない真面目な表情。そんな望が自分を見つめている。
「わッ、うわああッ!!」
とっさに顔を枕に埋めた。
顔が赤くなり、耳まで真っ赤だった。心臓が、バクバクと音をたてて打ち鳴らされている。
「明日は休みだからいいけど。来週からどんな顔して会えばいいの? はあ? 会う? 無理無理ムリムリ……っていうか、同じクラス? あ、ありえないんですけどッ!!」
奇声を発しながらベッドの上でもがく。
「でも、今日のあいつ、なんか優しかったよね? 笑ったりして楽しそうだったし、何度もあたしに『すごい』って言ってたし、それに最後は、手を振ってたし……」
体を小さく丸めて、放課後の時間に思いをめぐらせる。
ひなたが、ブツブツと独り言をつぶやいていると、部屋のドアがノックされた。
「一条さん、どうかしたんですか?」
ドアの向こうから呼びかけられた。
さっきから大きな物音を立てたり、奇声を発していたのが原因だろう。
心配した隣人が、やってきてしまった。
しかし、今のひなたは、そんなことを気にしている余裕などなかった。
「キャーッ!!」
絶叫。直後に枕を放り投げた。
「まずい、まずい、まずいよ。土下座とかさせてんじゃんッ!! 絶対ムカつかれてる。絶対、性格悪いとか思われてるッ!!」
ベッドから転げ落ちたが、気にせず床の上でジタバタと手足を振り回した。
そのため、ものすごい音と「うわあ」「だあッ」「あーッ」などの奇声は、部屋の外までもれていた。
「今、すごい音したよね?」
「一条さんの部屋みたいなんだけど……」
「どうしたんだろう?」
「ねえねえ、どうしたの? みんな、集まって」
「うん、なんか一条さんの部屋から……ほら、聞こえたでしょ?」
「一条さんの声、だよね?」
「たぶん」
その時、また大きな音がした。
ひなたが、頭をイスにぶつけてしまったのだ。その音とイスが倒れる音が響く。
隣人たちが、ドアの向こうから呼びかけてきた。
「一条さん、大丈夫ですか?」
「だれか呼ぶ? その方がいいなら、寮長呼んでくるよ?」
だが心配する彼女たちの言葉が、ひなたの耳に届くことはなかった。
また大きな物音と、ひなたの絶叫がこだまする。
「嫌ぁああああッ!!」
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終章まで、ほぼ毎日更新の予定です。