白雲とナギ
妙義白雲。榛名の父親であるが、榛名の以前の名であるスセリの惚れた男でもある。切れ長の目を細め、白雲は目の前にいる小学校低学年の男の子を見ている。
「そう焦るなよ、白雲。娘の仇に出会って、熱くなるのはわかるが、まだ今はお前と戦う段階ではないんだよ」
男の子に不似合いな濁った声が言う。その声の正体こそ彼の娘である春菜を殺した張本人の闇の頭領のナギである。ナギ自身は自分の事を「天津甕星」と名乗っている。
「その子から離れて姿を見せろ、化け物。それとも人間に隠れた状態でなければ、私の前に現れる事ができない程腑抜けなのか?」
白雲はナギを挑発した。しかしナギは男の子の顔を借りてニヤリとし、
「そんな安っぽい挑発に乗るとでも思っているのか? 私を誰だと思っているのだ?」
逆に挑発し返して来た。
「だから化け物だと言っている」
白雲は真顔のままで返した。するとナギは、
「私を挑発している場合ではないだろう、色男? お前が寝取った我が娘の命が風前の灯だぞ?」
哀れむような目をして告げた。白雲の顔が一瞬強張った。
(榛名が何者かと戦っているのはわかるが、気を感じられないでは、どういう状況かわからない)
彼は男の子に取り憑いているナギを睨む。
「寝取ったとは他人聞きが悪いな、お父上?」
彼は不敵な笑みを浮かべてナギを鼻で笑った。そして、
「お前の娘は闇の世界ではお前の右腕だったと聞いた。それほどの腕の者を命の危険にまで追い込める奴がいるのか、お前以外で?」
するとナギは男の子に肩を竦めさせた。
「道理だな。確かにスセリは私の次に強かった。だが、今スセリはお前の娘の肉体に宿っている。その娘の肉体はどこまで保つのかな?」
ナギはまたニヤリとした。白雲の顔色が変わった。
(春菜の肉体は護法をかけて強化してはいるが、榛名の動きに全て堪えられる訳ではない。長引けばまずい事になるか)
白雲の変化に気づいたナギは高笑いを始めた。
「図星のようだな、色男? お前の愛しい娘がお前の愛しい女のせいで復活できるかできないか、見ものだな」
「おのれ……」
白雲は確かに今ナギと事を構えている時ではないと悟った。しかし、ナギがこのまま素直に彼を榛名の元に行かせるとも思えない。
「それにしてもお前、本当に人間なのか、色男?」
ナギが尋ねる。
「何の事だ?」
白雲はナギを睨んで尋ね返した。ナギはフッと笑い、
「私はお前の心を覗けるんだよ。お前の心は私以上に冷徹だな。そんな考えを持てるお前は、闇の世界でも立派に通用するぞ」
白雲の顔がまた強張り、眉間に深い皺ができた。
(こいつ、全てを見通しているのか?)
ナギは目を細めて白雲を見ると、
「それをお前に惚れて我らを裏切ったスセリが知ったらどう思うかな?」
その言葉で、白雲は全身から冷や汗が噴き出すのを感じた。
「お前は我らの事を化け物呼ばわりしているが、お前の方が遥かに化け物だよ。我らが束になっても敵わぬほどのな」
ナギは皮肉めいた笑みを浮かべてそう言い捨てると、男の子の身体から離れて消えた。
「く……」
白雲は歯軋りしていた。
「あれ?」
我に返った男の子は周囲を見渡して首を傾げて何かを呟きながら路地を戻って行った。
(まさか奴はそれを榛名に教えに行ったのか?)
白雲は目を見開き、走り出した。
「はるな……」
それはどちらの名を呟いたのか、白雲自身にもわからなかった。
一方、闇の者であるサクヤの結界に閉じ込められた榛名は今は父である白雲の危機を脳裏に現れる少女から聞き、脱出を試みようとしていた。
(結界内では術も護符も使えない。となれば、力で押し破るしかないという事か)
そう結論づけた榛名であったが、容易い事ではないのもわかっていた。
(以前の強靭な肉体であれば、力任せに結界を砕く事もできただろうが、春菜の身体ではそうもいかない)
榛名は余裕の笑みで自分を見ているサクヤを睨みつけた。
「手も足も出ないのがようやく自覚できたようだね、スセリ? そろそろ死にな」
サクヤがニヤリとし、榛名に突進して来た。
「その名で呼ぶなと何度言えばわかるのだ、サクヤ!」
榛名は五行剣を下段に構えてサクヤの突進を待つ。
「燃え尽きろ、裏切り者め!」
サクヤがその口から強酸性の炎を吐き出した。炎は直径二メートル程の火球になり、榛名に向かって飛んだ。榛名は火球を寸前まで引きつけ、横に飛んでかわした。
「待っていたよ、スセリ」
すると飛んだ先にサクヤが勝ち誇った顔で立っていた。
「く!」
榛名は歯軋りしたが、距離的にどうする事もできない。
「死ね、スセリ!」
サクヤが先程のものより大きな火球を吐いた。
「はあ!」
榛名は五行剣を上段に振り上げて向かって来る火球を唐竹に斬った。しかし五行剣も本来の力をサクヤの結界によって封じられているので、火球は少し揺らいだだけだった。榛名は地面に腹ばいになり、辛うじて直撃をかわした。
「ぐ……」
ところが、火球が彼女の上を通過する時、強酸の滴を垂らしたため、制服が溶け、背中を焼かれてしまった。
「バカめ、我が火球から逃げ切れると思ったのか?」
サクヤは得意満面で言い放った。榛名は背中に痛みを感じながら立ち上がる。
(おかしい……)
彼女はある矛盾に気づいた。
(そういう事か)
榛名は見下すような目をしているサクヤを見た。サクヤは榛名がまだ挑戦的な顔をしているので、
「続けるつもりか、スセリ!? 悪足掻きはよせ」
ところが榛名は、
「悪足掻きではない。この結界の破り方がわかったのだ」
「何だと!?」
榛名の言葉にサクヤは右の眉を吊り上げた。
「出鱈目を言うんじゃないよ、スセリ! 術も護符も使えないお前にこの結界を破る方法などあるものか!」
サクヤは苛立ちを隠し切れずに怒鳴り散らした。瞳のない目を見開き、口からは怒濤の如く妖気を吐き出している。
「出鱈目ではない。今から破るから、よく見ておけ」
榛名は五行剣をスカートに差して制服のポケットから護符を取り出した。それを見たサクヤはせせら笑い、
「バカめ、そんなもの、只の紙切れよ」
榛名が自暴自棄になったと思ったのだろう、高笑いをした。
「それはどうかな?」
榛名は無表情のままで言うと、護符を自分の身体に貼り付けた。
「何?」
サクヤは榛名の意外な行動に眉をひそめた。
「何のつもりだ? そんな事をしても何もならないぞ、スセリ」
彼女は再びせせら笑いを始めようとした。その時である。
「はああ!」
榛名の身体に強い気が巡り出した。その気は彼女の身体から膨れ上がり、周囲を歪ませるほどになった。
「何だ?」
訝しそうにそれを見ていたサクヤだったが、結界が軋んでいるのに気づき、慌てた。
「おのれ、何をしたのだ、スセリ!?」
サクヤは目を吊り上げて榛名を睨んだ。
「この結界は確かに術も護符も使えないようだが、傷を治すために身体に貼った護符の効果は削がれていなかった」
榛名は五行剣を抜きながら言った。
「どういう事だ?」
サクヤは妖気を激しく吐きながら怒鳴った。
「つまり、この結界は外なる力を封じるが、内なる力には反応しないという事だ」
榛名の説明にサクヤは目を見開いた。ようやく何が起こったのかわかったのだ。
「結界を破ろうとする力に対してはそれを無効とする事ができるが、それ以外の力には何もできない。それがこの結界の弱点。そして、それを利用したのがこの気を高める護符だ」
榛名は護符をサクヤに見せ、再び身体に貼り付けた。すると彼女の気が更に高まり、結界を圧迫していく。
「おのれェッ!」
サクヤはもう一度火球を吐き出した。榛名はそれを読んでいたかのように反応し、五行剣に気を込め、火球を打ち返した。
「ふざけやがって!」
サクヤは返された火球を素手で叩き落として消滅させた。火球が当たった地面は抉れ、シュウシュウと蒸気を発した。
「はあ!」
榛名は剣を振るってすでに限界に達していた結界を打ち砕いた。その途端、周囲に元の世界が戻って来て、倒れている高山遼と宮城綺奈の姿が見えて来た。
「くう……」
サクヤは妖気を吐き出しながら荒い息をしていた。榛名の清らかな気を当てられ、苦しいのである。
「やめよ、サクヤ。お前の負けだ」
そこに濁った声が轟いた。サクヤの顔がギョッとなり、声の主を探す。榛名も声の主を求めて視線を動かした。
「お前か?」
榛名が尋ねた。そこには彼女のクラスの担任である新里さくらが立っていた。
(また新里先生を使うのか)
榛名は目を細めてさくらを見る。しかし、さくらに取り憑いたナギは榛名の言葉を無視して、
「帰れ、サクヤ。お前ではスセリには勝てぬ」
サクヤは死刑宣告でもされたかのようにヘナヘナとその場にしゃがみ込んでしまった。
「さすがだ、スセリ。腕は衰えてはいないようだな」
ナギはさくらの顔でニヤリとして言った。榛名は無表情のままで、
「誉めても戻らんぞ」
ナギは大声で笑い出した。
「相変わらず強気だな。昔と変わらん。だからこそ、我が右腕と思うたのだ」
榛名はナギの考えが読めず、眉をひそめた。
(こいつ、何を企んでいるのだ?)
怪訝そうな彼女の視線に気づいたのか、ナギは笑うのをやめ、榛名を見た。
「お前はどこまであの男の事を知っているのだ?」
突然真顔で尋ねられ、榛名はギクッとした。
(何を訊きたいのだ?)
父として、娘を奪った男の事を知ろうとしているのか、それとも白雲の力を知りたいのか?
「その前に……」
ナギは榛名が口を開きかけたのを制して、
「聞こえなかったのか、サクヤ。早く戻れ!」
威圧感を漲らせて言い放った。サクヤはビクンとして顔を上げ、スウッと姿を消した。闇の世界に戻ったのだ。
「さて、邪魔者はいなくなった。父に教えてくれ。奴の事をどこまで理解しているのだ?」
ナギは再び尋ねた。榛名はそこでようやくナギが何を知りたいのかわかった。
「私は……」
榛名が言いかけた時、
「榛名!」
白雲がスーツを着崩した姿で走って来た。榛名は彼がそこまで慌てているのを初めて見た気がした。
「何だ、もう来たのか」
さくらに取り憑いていたナギはスウッと彼女から離れ、その気配を消した。
「この場は引く。次に会う時はどちらかが死ぬる時だ、スセリ」
ナギの声が遠くから聞こえ、榛名は身を引き締めた。
「榛名、大丈夫か?」
白雲は息を整えながら彼女に近づいた。榛名は五行剣を消して白雲を見上げ、
「はい、父上」
すると白雲は微笑んで榛名を抱きしめた。榛名は驚いて目を見開いた。
「すまなかった、榛名。これからは離れずに行動しよう。奴は本気だ」
白雲は榛名を抱いたままで告げた。
「はい、父上」
榛名は白雲のぬくもりを感じ、顔を紅潮させてしまった。
(白雲様、どういうおつもりなのですか……)
スセリとして白雲に抱かれた日の事を思い出してしまい、身体が火照った。
「父上、学校に行かないといけません」
榛名は一向に離してくれない白雲に囁いた。すると白雲はハッとして榛名から離れた。
「すまん。奴に誘導されて、気が急いていた」
白雲も顔が赤くなっているのを榛名は見て取った。
「高山君、宮城さん、大丈夫?」
榛名は気を失っている二人に声をかけた。白雲はその隙にその場を立ち去って行った。
「あ、うん。あれれ、どうしてこんなところで……?」
高山が記憶の糸を辿ろうとしたので、
(血塗れの私を思い出されては困る)
榛名は護符で制服を修正し、高山の記憶を操作した。
「あれ、私どうしてこんなところで倒れてるの?」
綺奈も首を捻りながら起き上がった。
「急がないと、遅刻するよ」
榛名は二人にそう言うと、先に駆け出した。
「え? あ、ホントだ!」
高山が禁止されているはずの携帯電話を取り出して叫んだ。
「ああ、高山君、いけないんだよ、携帯を持って来ちゃ!」
クラス委員らしい反応を示す綺奈だったが、
「そんな事言ってる場合じゃないよ、宮城!」
高山は綺奈を置いて駆け出した。
「ああ、待ってよ、高山君!」
綺奈も慌てて走り出した。
元の教職員宿舎に戻りながら、白雲はナギの言葉を思い出していた。
(このままでいいのか? しかし、春菜を生き返らせるには、今の方法しかないのだ……)
白雲は迷いを振り払うように右の拳を握りしめた。
(ナギめ。何としても春菜の仇は討つ)
白雲は誓いを新たにし、舗道を大股で歩いた。辺りに逆柿中学校の始業のチャイムが鳴り響いていた。




