野に降る雨を刻む時 ―15年前のこと―
窓の外には野原が見える。
雨に濡れた野の草が、水をはじいていた。
降り続く雨にやむ気配はない。
そんな景色を見ながら、時間が過ぎてゆくのを感じていた。
ガラガラッ
誰かが部屋に入ってきた。
「具合はどう?」
そう言ってわたしの体を心配する彼は、わたしの愛する人。
「ええ、大丈夫。今のところは。」
わたしは笑顔でかえす。本当は結構つらいけど、あまり心配させたくない。
「本当に?痛くない?」
彼は心配そうな顔でわたしを見つめている。
「痛くないってことはないけど、大丈夫よ。」
どうやら、わたしの言うことが信じられないらしく、心配そうな顔でこちらを見つめたままだ。
「ところで名前、考えてくれた?」
「いや、まだ・・・。」
「予定日はもうすぐなのに・・・。なにかいい名前ないかしら。」
わたしは再び窓の外を眺めた
見えたのはさっきと同じ。
降り続く雨とぬれた野原。
「ねえ、『雨』っていう字、入れれないかな。」
野原を濡らす雨。雨のしずくが葉の上にのって、丸いつぶをつくっている。
「『雨』・・・?なんで?」
彼が不思議そうな顔で言った。
「なんとなく・・・、この景色が素敵だったから。」
「この景色が?雨だし、視界悪いし、空は曇ってるけど・・・。」
「なんか、野原に降る雨って神秘的。」
わたしは、首をかたむけている彼は見ず、窓の外をじっと見つめている。
「ほんと、ここの病室からみる景色は絶景ね。さすが、丘の上の病院。」
「・・・『雨』っていう字を入れるとして、どういう名前にするの?」
「そうね・・・。どうせなら、変わった名前がいいわね。この世界でただ一人しかいないような。」
「でも、あんまり変な名前をつけちゃあ可哀想だよ。」
わたしは、じっと黙り込んで考えた。
「『時』っていう字を入れたらどう?」
そう提案してきたのは彼のほうだ。
「『時』・・・?なんで?」
わたしは、さっきの彼のよう聞き返した。
「いや、なんとなく・・・。部屋の時計が目に入ったから・・・。」
「どんな理由?でも、いいわね。『時』・・・。いい漢字よね。」
「『時』と『雨』・・・。時雨?」
「たしかに『時』と『雨』で『しぐれ』って読むけど・・・。女の子みたいじゃない?もう1文字たしましょうよ。」
わたしがそう言うと、彼は再び悩み始めた。
わたしも、再び視線を彼から窓の外に移して考えた。
見えたのは、やっぱり雨に濡れた野原。
「野原・・・入れれないかな。」
なんとなく、景色につられてそうつぶやいた。
「『野』?『原』?」
「『原』より『野』じゃない?」
「なんで?」
「一音のがいいかと思って・・・。」
「別にいいけど・・・。で、『野』と『時』と『雨』で、なんて読むの?」
彼にそう言われて、窓の外を見ていたわたしは、彼のほうに視線を移した。
それから、再び考えた。
ただ好きな漢字をならべただけじゃ名前にならない。
そのとき、たなの上に置いてあったわたしの日記帳が目に入った。
そこで、思いついた。
「『のうと』は!?『野雨時』で『のうと』!」
「ノート!?」
「『ノート』じゃなくて『のうと』。まあ、『ノート』の意味もあるけど。」
「『ノート』の意味って?」
「一冊の真っ白なノートに、これからの人生、何を書き込んでいくかは自分次第ってことよ。」
「自分という一冊のノートに、自分自身でいろいろなことを書き込んでいってほしいってことだね。」
「そうよ。」
「いいんじゃないかな。ちょっと・・・いや、かなり変わった名前だけど。」
それからわたしはまた、窓の外を見つめて、
「野雨時・・・まさに、今のこの瞬間を語った名前ね。この景色みたいに、なんだか神秘的。」
思ったことをそのまま口に出した。
「君の『神秘的』っていうのがどういう感覚なのか、僕にはわからないけどね。」
「名前、こんな短時間で考えたものでいいのかしら。」
「なぜ?君にとっては、それが最高の名前なんでしょ?」
「そうね・・・確かにそうだわ。」
わたしはまだ外を見つめたまま。
野原を潤し続ける雨は、
まだまだやむ気配を見せない。
どうして『野雨時』という名前をつけたのか。
それが書きたくてできた番外編です。