ドナドナ事件改めケイオス浄化事件
懐かしさに身を焦がしながら、リーファは部屋の隅々まで丁寧に見て回った。
「…追っ手に気付かれるんじゃないのか?」
ついさっきまで逃げて隠れてと逃亡劇を繰り広げていた。だから、この部屋でリーファがゆっくりしていることを不審に思ったのだ。
「この部屋には魔法が組み込まれていてね。部屋の存在を認識させなくするの」
「えーっと…つまり?」
「この部屋は他の人には見えないの。だから、此処は荒らされた形跡が無いでしょう?」
他人に踏みにじられた形跡の無い、単純に年月だけを重ねた部屋。この部屋だけが、異次元のようだった。
「お前は、この部屋に何をしにきたんだ?」
「…依頼、でね。だから街の結界について知っていたし、この部屋のことも分かった」
始めからこの部屋を認識していれば、魔法の効力も防ぐことができるのだった。
「何を、探してるんだ?」
本当ならば、依頼についてもっと詳しく…何故こんな危険な依頼を受けたのか、王国が手を焼く程の結界の解き方を知っていたのであろう依頼人の正体などを聞きたかったがそれはやめておいた。依頼人の秘密は必ず守る子だと感じたからだ。
「…写真。この城に昔住んでいた筈の家族の写真よ」
「何百年前のだよ!朽ち果てたんじゃないのか?」
部屋の有様を見るに、写真が現存しているとは考えにくい。
リッツの言葉に、リーファはふと手を止めた。悲しそうに「そうよね…」と呟いた。
「これだけ探しても無いし…諦めるわ」
「依頼は未完か?」
「ううん。“無い”ことが分かって良かった。これで未練も無くなる…でしょうね」
部屋を見渡し、原型を留めているものたちを一つ一つ丁寧に撫でていく。それはまるで、久しぶりに帰ってきた我が家の家具に郷愁を感じながら別れを告げているようで。
「さぁ出ましょう。外も騒がしいしね」
「外?」
「騎士のお仲間が突入したんじゃない?この音」
さっさと部屋を出ていくリーファをリッツは慌てて追う。
それにしても、早過ぎやしないだろうか…突入。この部屋に来て、まだ数分しかしていない。むしろ、リーファは何か解除の法をしただろうか?部屋の様子を見ただけだった筈。何故と問いただしてもきっと答えてくれない。彼女は、一体何者なのか。
外は、既に殆どを王国軍によって制圧されていた。あちこちに人が倒れていて、元々廃墟だったのが、更に不気味に恐怖を煽る様子になっている。
入口の大きなロビーの2階にまでやってくると、そこはほとんどが王国軍で埋め尽くされていた。
王国軍の、白を基調とし黄色のラインが入った制服を着た一群の中から、ややみすぼらしい格好の少女が跳びはねながら走ってきた。
「リーファ!リッツ!」
「フルーラ!」
「子ども達はどーしたんだ?」
「エニエス副隊長に任せてきたわ」
「げー、俺あの人苦手だ…」
どんな人なのか聞くと、苦笑いをする二人。相当な個性の持ち主らしく、会ってみれば分かるとの事だった。
フルーラに連れられて、古城の外に出る。
兵隊に連行されて行く奴隷商人やその傭兵たち。彼らの中には、何故あの鉄壁の結界が破られたのか不思議に感じている者も多かったという。
「リッツはCテントに行って。私とリーファは副隊長の所に行くわ」
「あぁ。……頑張れよリーファ」
「え…まぁ頑張るよ」
町の中心部にある噴水広場を抜け、リッツは東へ向かう。リーファとフルーラは南へ向かった。
王国軍は、城だけでなく街全体を制圧していて、街の住人が悪人であることを除けばそれはかつての戦争と何も変わらない風景だった。
この街に争いを持ち込ませないために、作った結界だった。魔法の効果はリーファが死ぬまで。だから死に物狂いで戦争を終わらせようとしたのに。
結果的に、五百年も消えない結界は悪人に利用され、いくつもの悲劇を生み出し、この街を忘れさせ混沌たるものにしてしまった。
リーファにとってそれは、悔しいという気持ち以外の何物でも無かった。自分の行いは、果たして正解だったのか?
「リーファ。ありがとうね」
「え?」
「貴女がいなければ、私達の作戦は失敗。奴隷として売られてたもの」
「そんなこと…」
「ううん。本心よー!ありがとう!」
ニコニコと笑うフルーラに、リーファの中で罪悪感が生まれる。
こうして王国軍や騎士団を苦しめたのは、リーファの作った結界のせいだし、敵の本拠地の中で一人残りたいとわがままを言って、結局リッツを危ない目にあわせたのは、他でも無い自分自身のわがままで。
だって、依頼なんてものは存在していない。
探していた写真は、リーファがこの街から去る時に隠したものだ。
「…ごめん…」
「えー?どうしてリーファが謝るの?」
「ん…何となく…」
「変なのー?」
案内するように一歩先を歩いていたフルーラが振り返る。
その時、古城で一際大きな歓声が上がった。
制圧が完了したのだろう。
もうこの街が、ケイオスなどと不名誉な名前で呼ばれることは無くなった。これからは、少しずつ一般の人々がこの街に住んでいき、かつてのリドルムが蘇れば良いなとリーファは思う。
だが、リーファの帰る場所はここには無い。
この世界の何処にも無い。
そう思うと、胸が締め付けられるし、これからのことを思うと消えてしまいたくなる。
しかし、アイ達と交わした約束のこともある。
「あ…連絡…」
歩みを進めていた足が自然と止まり、フルーラは耳に手を当て何かを聞き取ろうとしている。
離れたところにいる相手に、意思を伝える魔法だ。
あらかじめお互いが契約を交わしていることが前提条件であるが、特に暴力的な魔力を有しているものは、相手に対して強制的にメッセージを送ることも可能であった。
「ごめんなさい、リーファ。報告は明日にしましょう。今日はテントで休みましょう」
「何かあったの?」
「ん?隊長も副隊長も忙しくなっちゃって…ね」
「だったら…、フルーラに報告でもいい?」
リーファの申し出に、キョトンとした表情をするフルーラ。
「え?私?何か…急いでる?」
「…。リッツにも話したけれど、私はあの城に依頼達成の為に侵入したの。だから…一刻も早く依頼人に結果を報告したくてね」
嘘ついてごめんね、と心の中で付け足すリーファ。
「え…えっと…」
「…。難しかったらいいや!」
どうしようかと考えあぐねるフルーラを前に、リーファは唐突にニコッと笑いながら言う。
深刻である筈の話題に対して、まぁいいや!は軽すぎるのでは無いかという疑いすら浮かぶ。
「忙しいし、仕方ないよね〜」
「ごめんなさいね…」
「いいのいいの!」
ヒラヒラと手を振り笑うリーファに対して、フルーラは違和感を覚える。この、何処か脳天気なやりとりは、リーファと出会った時と酷似してはいないだろうか。
それに、牢屋にいる時よりも強く感じる深い心の溝。
宿舎を兼ねたテントに着き、何人かの女性騎士団員に挨拶をする時もリーファは、無邪気な子供という仮面を被っていた。リーファは何かを隠している。そう考えても隠されている事を見抜くなんてできないし、彼女の隠し事は尋常ならざる事柄である気がする。
「リーファ、明日の朝…一緒に隊長たちの所へ行きましょう」
「分かったぁ」
手をヒラヒラと降る。ニコニコと笑う。
強烈すぎる違和感。
その違和感に対して、何故もっと注意していなかったか、フルーラは後に後悔する。
同時に布団に潜った筈のリーファが、周囲にいる現役騎士団員にすら気配を悟られる事無く姿を消したことが、発見された。
ローデシアの歴史に名を残す、ケイオス浄化事件の裏側の出来事であった。