ドナドナ事件(5)
目が覚めてからずっと揺られていたのだから、今ここで落ち着けるというのは確かに有難いことではあるが。
それが冷たい石畳の上では泣きたくなるものだ。
まして、それが、住み慣れた城を改造されて作られた地下牢なのだから、苛立ちは募るもの。
早く此処から出たい。
そう切に願う。
まぁ、それは、王国騎士団だという二人に任せればいいか、と思考を切り替えた。
鉄格子の扉の近くでなにやら相談しあうリッツとフルーラの邪魔にならぬ様、壁の近くでうずくまる。
すると、それまで一切喋ったことのなかった子どもたちが、ススッと寄ってきた。
「おねーちゃんは、騎士団の人じゃ無いの?」
先陣切って話しかけてきたのは、藍色の髪の十歳前後の少年。
気づけばワラワラと集まっていた子ども達。
「私は違うよー」
「そうだぜー!このねーちゃん、ずっと寝てたじゃん」
「でもでも、おねーさんの服ってよく見ると騎士団の制服みたい…」
「ほんとだ…。でもすっごい汚れてる…」
「これはね、着るものが無かったから着てるの」
嘘ではない。
王城にいた私に用意されたのは、お姫様が着るヒラヒラフワフワの服でもなければ、女官たちの着る制服でも無い。
戦う為に、戦争の為に、敵国の兵を一人でも多く消す為に。
この制服は、そんな意味を込めて私に用意されたものだ。
―夜の女神みたいなお前には、静かで落ち着いた色のドレスがきっと良く似合うのだろうな……―
そんな、歯の浮くような…まるで吟遊詩人の歌のような台詞をはいた人間は、後にも先にもあの人だけだった。
他のもの達は、それこそ、白地の騎士団服を血の色で染めて来いと言わんばかりだった。
着るものも無いのか…と子ども達に哀れんだ目で見られ、それに苦笑を返したとき。
ふと、子供たちの肩越しに不思議な文様が目に入った。
長方形の石を積み上げて作られたこの空間で、その文様は壁を形成する石の一つに彫られていた。
近寄って、何だこれ…と呟きその文様を撫でれば、それまでおしゃべりをしていた子ども達以外の子から他にも色んな場所にあることを教えてもらう。
天井以外、そう、四方を囲う壁と床にまんべんなく描かれるその文様。
よくよく目を凝らせば、一つとて同じ文様は無い。
「何だこれ…」
いや、正確に呟くならば「何だっけこれ…」だ。
どこかで、見たことがあるのだ。
どこだったか…、この文様に似たものを、私は確実に見たことがある。
複雑で幾何学的な文様を指でなぞった。
「それじゃ、行ってくるわ」
唐突に告げられた声に、リーファも、リーファと共に謎の文様を眺めていた子ども達も驚いて振り返る。
「何処に行くの?というか、どうやって出るの?」
「姿を隠す魔法、そして自分の体を小さくする魔法。その術式を紙に書いたものを、魔術符というんだけれど…。今回の作戦にあたり、それを持ってきたの」
「魔術符…?そんなものがあるの?」
「えぇ。私たちが間諜として此処に潜り込むことが決定したときに、私の師匠が作ってくださったの。これなら、術式を書く手間が省けるでしょう?魔術用のペンは見つかって没収される可能性も高いし…」
魔術符に、魔術ペン。
どちらも二百年前には無かった物だ。というか…そんなものはいらなかった筈だ。
自らの指先に魔力を込め、空中をあるいは地面をキャンバスに見立てるかの如く、魔法陣を描く。
魔法陣を描く際に、詠唱もあれば尚良い。威力も制度も格段に上がるが、基本は魔法陣だけだ。魔法陣が崩れぬように、声と精神力でもって存在と図形を形として留める。だから、気持ちの強さと詠唱は重要だ。
詠唱破棄で魔法をぶっ放す人間は、ほぼいない。初級レベルなら、熟練者であればできるだろうが、複雑な魔法陣を必要とする高度な魔法に対して詠唱破棄など、できる人はいない。
いない…というか。
リーファにしか、できなかったという方が正しいか。
ほとんど無動作で魔法を放つことが可能なリーファだが、無動作というのも曲者だった。
味方に対して、どのような魔法を今から使うのかが示せないからだ。
あの当時、味方なんて自分は思っていなかったが、万が一王国側に上級破壊魔法を繰り出されては堪らない、という訳で王国からそう命令されていた。
「便利なものがあるんだねぇ…」
「割りと有名な筈だけれど…?まぁ、武術担当の俺にはあんまり縁が無いけどさ!」
「そんな訳無いでしょう?!魔法が使えない人も、この術符があれば可能なんだから、むしろ重宝するわよ」
「へーリッツ、魔法使えないんだ?」
「うるせー!成績が悪かっただけだ!」
「コホン。無駄口はこれくらいにして。私は今からそれらの魔法を使って、この城の中を見てくるわ。敵の数、位置、騎士団の侵入できそうな経路、私たちの退路を見てきます。一応こっちのことはリッツに任せるけれど…、心配だからリーファにもお願いするわ」
「おいっ!お前…!一応、俺仲間だぞ!」
「おっけー!分かった!」
「わかんなよ!」
一通りの漫才が終わる。
これで本当に捕らわれているのか…と不安になってくるが、私も子ども達も、騎士団の二人が大丈夫だと言ったのだから、大丈夫だろうと安心していた。
フルーラの握り締めた魔術符が、燃えて灰になるまでは。