ドナドナ事件(3)
ガタゴトという馬車の音が、一定の間隔でする。
馬車の軋む音も、ずっと鳴りつづける。
子ども達の不安を膨らませながら。
あとどれくらいで目的地に着くのだろうか?
私は、この馬車の中でどれ程眠っていたのか?
気になることは後から後から沸いてきて、少し不安になる。
そもそも、私が此処にいる理由は何だろうか。
二百年前には、敵味方から恐れられた私が、あんな筋肉だけの男二人に負ける訳が無い。
ギリギリの生死の境をさ迷ったり、死地を駆け抜けてきたこの私が。
幾人もの人を殺め、血の海を渡ってきた私が。
見つめる掌をギュッと握る。
その瞬間、ある事に気が付いた。
「魔力が、無くなってる…」
人間の魔力は、その人を包むように在るのが本来の状態だ。
魔力が皆無の人間はいないが、魔法を発動するだけの魔力を持たない人間はたくさんいる。
逆に有り余る魔力を持つ人間は、包んでいる魔力の膜が分厚く、なおかつ濃度が濃い。
私は、後者であった筈だ。
なのに、今はあまりにも…濃度も厚さも薄い。
「どうかした?」
心配そうに首を傾げるフルーラに、何でも無いよと笑う。
何でも無い訳無い!
これじゃ戦えない!
いや、この時代で戦う必要なんて無いのかもしれない。
帝国は滅びた…とはさっき聞いた話。
この世界の情勢が分からない。文化が、魔法が、人々の生活が。何一つ分からない。
私の…存在が薄いな…と、そこまで考えて、ふと思う。
二百年前の私が、存在感を持っていたのだろうか?と。
だって、あの頃の私は、ただの殺戮兵器だったじゃないか。
何が、英雄様だ。笑わせる。
誰がそんな意地の悪い名前を付けてくれたのだろうか。誰が、私を美しいなどと表現したのか。
そのような伝承を残してくれたやつを、殴ってやりたいと思うほどに、その綺麗過ぎる伝説は腹が立つ。
何も苦労せずに、帝国を滅ぼしたと思うのか?
私が、王国の兵士として戦いたいと…そう志願したと言うのか?
王国騎士団の士気を挙げる存在だったと…今の人間は本当に思っているのか?
実態の無い英雄サマ。
綺麗な部分だけを強調された、美しい英雄様。
私であって、私ではない英雄様。
苛立ちをそのままに、拳を振り上げて床に八つ当たりしようとしたその時。
ゴトンッ
と、大きな音がして、馬車が急停止した。
勢いを削がれてしまった拳は空中で止まり、静かに下ろす。
「まさか…。着いてしまったのかしら…」
「そう…みたいだな…」
扉の近くで座っていた男の内、一人が荷台から出て行き、すぐに何本ものロープを持って戻ってくる。
「お前ら…大人しくしてねーと、首と胴体がサヨナラするぜ」
厳つい顔の男の一言で、荷台の隅で怯えていた子ども達がワーッと泣き出す。
その泣き声に合わせて別の場所で固まって座っていた子ども達も「助けてー!」と誰にも届かない声を挙げる。
男が持ってきたロープで縛られ、全員が馬車から降りる。
初めて見る、二百年後の世界。
それは、濁った空気を持ち、どんよりとした灰色の雲に覆われた…地獄のような街だった。
私の後から、ロープに縛られて馬車から降りたフルーラが、街の様子に顔をしかめる。
「フルーラ…。此処は?」
「本当の街の名前は…知らないわ。もうずっと昔から、奴隷や危険薬物の売買を行ったり、裏情報の取引がされている所。窃盗や殺人は日常茶飯事で、定期的に闇市も開かれているわ」
「名前の…無い街?」
「通称、ケイオス。常識的な人間は、まず近寄らない場所。そして、あの建物が、これから私たちが行く場所」
街の中心に、一際大きな建物…古びた城が見える。
濁って淀んだ空気を纏うのに相応しい程の不気味さを持つ古城。
あれが、奴隷売買の会場なのだろう。
「リドルム…城…」
その古城を、胸を締め付けられるような思いで見つめた私は、懐かしき名前を呟いた。
まさか、こんな形で、生まれ故郷の地を踏み…生家を訪れるとは思わなかった。