夕日色の髪の女
リーファが、女性の顔の上に右手をかざす。パッと掌を広げれば、部屋中に、重なるようにして展開する幾数もの魔方陣。
薄い水色と白い魔方陣が大小いくつもでき、それが仄かに発光する。
女性の体の中に仕組まれた、数式・呪文・そしてその組み合わせ。
かざした手の平を伝ってリーファの頭の中に刻まれるそれらを、一つ一つ丁寧に解いて行く。
「くだらない」
そして、幼稚で陰湿。
術式の組み合わせから、その術者の印象をそう結論付ける。
右手は女性の頭上から動かさず、しかし左手で周囲の魔方陣を動かし、重ね合わせたり離したり。
女性の身体に、不思議な記号が帯のように、全身に浮かび上がる。
そしてそれは、リーファがかざした掌に吸い込まれていった。
そっと、ゆっくりと、かざしていた右手も、魔法陣を操っていた左手も女性から離す。
涼しい顔をしているが、リーファの呼吸は浅く早い。
くるっと振り返り、事の成り行きをしがみつくように見ていた親子を見つめる。
「呪い、取れましたよ」
え?とポカーンとしている男性。弾かれたように駆け出し、リーファに抱き着いたセシル。
「……ん」
部屋の中に、もう一つ女性の声がした。ぼんやりとした虚ろな瞳、そしてまだ重そうな瞼が何度も瞬きを繰り返す。
「セシル?」
女性は、自分の声が出たことに驚いていた。
呼ばれたセシルも、部屋の入口で固まっていた男性も、ベッドにしがみつく。
「起きたばかりでごめんなさい」
女性は部屋の中にいた見知らぬ少女を何度も見つめた。
「あなたは…?」
「ママ!このお姉ちゃんが、ママの呪いをといてくれたの!」
「呪い…私は今まで……?」
やや困惑した表情。
リーファはつとめて優しく言う。
「声を目を耳を、そうやってだんだんと人としての感覚を奪う呪い。最後には…死が待っていました」
死。その言葉がゾワリと一家を襲う。何故、このような平凡そうな一家に呪いなど。
「呪いにかかった日の事、教えて下さい」
「……吟遊詩人の話を聞いたの。世界が消えて無くなるっていう怖いお話」
普段と異なる点はそれだけと言う。あとはいつものように、店に出たり、近所の人と立ち話をしたり、買い物に行ったり。その買い物の途中に、詩人を見かけたのだと言う。
「どんな…人でしたか?」
「フードを目深にかぶって…声は女性で夕日みたいな髪の色…だったわ」
夕日みたいな髪?
リーファにはさっぱり思い当たらなかった。リーファが知らないとなれば、かつての帝国とは関係の無い人物だろうか?しかし、永続型が使えるのなら見た目は変えられるものだし、ローデシア王国の民に対して無差別に呪いをかけようと画策するなんて、帝国関係者ばかりだと思っていたが…。一体誰だろう?
眉間にシワを寄せたまま、考え事をしていると、おずおずとセシルが小さな袋を手渡した。
「おねーちゃん、これお金…。下で、アレ渡すね?」
「お金!?セシルあなた!どこからそれを!?」
「いや…待て。お前を治してくれたんだから、これくらいは…」
セシルの渡そうとした袋を巡って、家族が一瞬とても慌てる。
「二千です。私が、セシルと契約したお金は」
「…え?」
「に、二千?」
依頼を出したのはセシル。受けたのはリーファ。契約はお互いの間で行い、お互いが無理の無いように交わす。
そんなやりとりをしたのだと説明すれば、泣き崩れるセシルの母。少ないから上乗せする、と言い張る父。
そんな二人を慰めつつ断りつつ、帰るために出口まで向かう。
「おねーちゃん、はい」
出口で見送りに来たセシルが、蝶々の髪飾りを差し出す。スッと取ったリーファは、それの留め金を外し、髪につけた………セシルの髪に。
「?おねーちゃん?」
「セシルちゃんの覚悟が知りたかったの」
母を助ける為に、自らの傷付きを受け入れた事。何かを犠牲にして、目的を達した事。
「それにね、私は夕日色の髪の女を追いかけているの。情報が欲しかったから、髪飾りは情報料ね」
それを聞いていた両親が、再び何度も何度も頭を下げた。
振りちぎれんばかりに手を振るセシルと別れ、ノワールと共に店を出る。
何か言いたげなノワールの目線を、苦笑で流し、大通りまで出た。
「あーーーーー!!!とうとう見つけたわ!!リーファ!!!」
人込みの中でも特に目立つ大きな声。振り返ったリーファの表情がひくつく。
数日前に、勝手に逃げ出してきたのは自分だ。だって、騎士と共に一夜を明かすなど、さすがに気持ちの整理ができない。
「フルーラ…、リッツ…」
物凄い俊敏さでもって近付き、逃げられぬように手を捕まえられる。ふと気付けば、二人の後ろに更にもう二人いたことに気付く。屈強な戦士とおぼしき男性と、華奢で美人な女性。何やら絵になるお二人だ。
「リーファ、探したのよ?聞きたい事が山ほどあるんだから!」
逃れられない……。このニンマリしたフルーラの表情を見て思った。