英雄の望み
「お側にいる事を許して頂けますか?」
グッと強くローブを握りしめるリーファ。俯いた事でノワールからは顔が見えない。が、僅かに震えているのが分かる。
「………ょ」
「え?」
「当たり前よ!私だって!居て欲しい!心細かったの!魔力も削り取られるし!リドルムは無いし!」
ポカポカとノワールの胸を叩きながら、目覚めてからの数日間に貯まった思いを爆発させる。
目が覚めれば、知らない馬車の中で。知らない人たちと辿り着いたのはかつての故郷で。その故郷が今は犯罪都市で。故郷を取り戻してくれたのは、リーファに恐怖と憎しみしか与えなかった騎士団で。思い通りに魔法は使えないし、昔と今とで魔法の有様が激変しているし。頼る者は誰もいない。五百年前に親しくなった神様たちも、喚ぶのに命懸け。
「契約していなければ、リーファ様の場所が分からなくて。お側に行けずすみません」
「……大丈夫。切ったのは私。それで苦しかったのも私。自業自得ね」
「それは、悪い癖です」
リーファの癖。自分が傷付く事で物事が収まるのなら、という自己犠牲だ。時にそれは感情すらも消してしまう。リーファが受け止める傷は、誰が癒すのか。支えになれないからこそノワールは強く言いたい。もっと自愛してくれと。
「リーファ様、今宵の宿は?」
「まだ。今朝イデアに来たばかりだから」
「では、一先ず宿へ行きましょう。その服はリーファ様には似合わない」
みすぼらしいとも言える衣服を身につけていても、リーファの纏う雰囲気は清浄だった。魔の力をこんなにも持ちながら、リーファの纏う雰囲気は、人が持ち得ない聖。人は神にはなれない。神のみが持ち得る力を持っているのは、彼女が召喚士であり、神々と仲が良いからなのだろうか。
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ノワールに案内されてやって来た宿は、中央通りからも商人通りからも離れた所にあるこじんまりとした可愛らしい宿だった。レンガの壁にアンティーク調の扉。ノワールがその扉を軽く叩くと、元気よく少女が飛び出してきた。
「いらっしゃいませー!あ!クロさん!お帰りなさーい!」
レモン色の髪をお下げにした、リーファと歳のかわらないくらいの子。少女はテキパキとした所作でノワールを招き入れる。
「あら?お連れ様?」
「あぁ。彼女も宜しいですか?」
「もちろん!と言いたいけど空き部屋が無いの…」
「部屋は一緒でかまいませんよ」
「へーほーふーん?クロさんが女連れ込むなんてねー?」
少女はニヤニヤしながらノワールとリーファを見比べる。ひとしきり見比べた後、台帳に何か記入して部屋の鍵をノワールに手渡す。
「私はアニー。貴女は?」
「リーファです」
宜しく、と握手を交わしてから部屋に向かった。
「何故、誤解を解かなかったの?クロ」
部屋に入るなり、リーファは呆れた口調で尋ねた。それに、苦笑を返すノワール。
「ノワールも元々、黒という意味ですし。それに、リーファ様が付けて下さったものを他人に教え托は無かったもので」
「そういえば貴方、エズにも教え無かったものね。ってそういう事じゃなくて」
「すみません。友人というよりも手間が省けるかと」
「…。まぁ、いいけれど」
殆ど無い荷物をベッドに置き、ノワールは食事をお願いしてきますと言って出ていった。
アイボリーの天井を見つめるリーファ。そのままベッドに倒れ込む。
「これからどうしよう」
リーファの身を縛るものは無くなった。これからは何をしても良い。戦争に行かなければならないなんて事も、皇帝を倒す必要も無い。
最後の二年間があまりにも衝撃で、生活力が無い。やりたいことなど無い。したい事も無い。自由になった事がこんなに重いとは思わなかった。
色々な思考を巡らせ、やりたい事やりたい事…と呟く。
パッと起き上がった。
「やりたい事…あった」
「やりたい事…ですか?」
部屋に戻ってきたノワールにそう告げると、些か怪訝な顔をした。キラキラとした表情のリーファを見て、何か嫌な予感がしたのだろうか。
「私、ギルドに入るわ!」
「いけません」
「じゃあ盗賊になるわ」
「な…」
あまりの二者択一にノワールが絶句する。盗賊、というのは分からないでも無い。エズと同じだからだろう。
しかしギルドは何故?とノワールは首を傾げる。
「リーファ様、この時代のギルドはならず者達の集まりですよ」
「構わないわ?」
だから何?と言うリーファに、再び言葉を失う。
「この魔法の力を、破壊では無く誰かの為に使いたい。今更、自分勝手に生きられないもの。そして騎士団は嫌なの」
残ったのはギルドだと言うわけだ。
確かにその選択肢はアリだろう。しかし、ノワールが先程告げたように、ギルドに所属しているものは、皆一癖も二癖もある人間たちばかりだ。
昔は、騎士団に入れるのが貴族だけだったから、民間のお助け屋として機能していたギルドだが、近年は違う。
世間をほとんど知らないようなお嬢様が入る場所とは訳が違うと、ノワールは言いたいのだ。
「リーファ様はご存知無いかもしれませんが、現在は魔法のルールも何もかもあの頃とは違いますよ?」
「それは分かっているわ。ノワールは、詳しくないの?」
「私は…」
言いよどんだので、知らないのだろうなと推測しリーファはため息をついた。
これは、誰かに聞かなければならないのだろう。この世界で生きていくためには。
だが、一体誰に聞いてよいのか。
魔法について詳しい人間なんか、ゴロゴロいるだろうが、この年でご教授願います!と言ったって果たして通用するものなのか。
コンコン
「失礼しまーす」
元気ハツラツと入ってきたのは、夕食を手にしたアニーだった。お盆の上に乗せられた夕食は、ホカホカと湯気がたちおいしそうだ。
五百年ぶりに見るまともな食事をリーファは繁々とみつめる。
「リーファさん、何か珍しいものでもあった?」
「いえ…。とってもおいしそうだなぁと」
数種類の野菜を煮込んだスープに、パン。川魚を焼いたものと、刻んだ野菜を漬けたもの。
魔女であった頃は、宮廷のご飯を食べていたわけだけれど、こっちの方が断然おいしそうだ。
「リーファさん、育ちが良さそうだから、お口に合わないかと思ったわー」
「まさか、そんな。そうだわ、アニーさん。聞きたいことがあるの」
「何でしょー?」
二人分の夕食をテーブルに置き、首を傾げるアニー。
「この辺りで魔法に詳しい人、知らない?」
「リーファ様!」
「えー?魔法に…?」
「私、実はものすっごい田舎から出てきて、まともに魔法の勉強したこと無いの。ノ…クロに聞いても教えてくれないし」
と言いつつ、ギッとノワールを睨むリーファ。
ノワールの表情は、完全に諦め顔だ。言い出したら止まらない、リーファの性格を知っているから。
「んー、教えてくれそうな人かー。パーシーさんとかかなぁ。騎士団で魔道士やってる…」
「騎士団…。他には?」
「他ぁ?んー…。あんまり詳しくは無いけど…、リーファさんがまともに勉強したこと無いっていうレベルなら、大丈夫かも」
「どんな人?」
たずねると、アニーがニカッと笑う。笑顔のまま、アニーは自分自身を指差した。
「わ・た・し」
「え?アニーさんが?」
その疑問は、ノワールも同様だったようで、同じようにキョトンとしている。
「実は私、こう見えてもローデシア魔術学院を出てるのよ!」
ローデシア魔術学院…と口の中で復唱するリーファとノワール。
だが、いまいちその組織が何なのか掴めなかった。なんせ、五百年前には無かったものだから。
「えー、それも知らない?しっかた無いなぁ!ちょっと待っててね。仕事を片付けてからまた来るわ!」
「それなら、私も手伝うわ」
「いーのいーの!此処で待ってて!」
手にしたお盆で、軽く追い払うようにして部屋を出て行ったアニー。
半分ほど浮かせた体を、再びベッドの上に戻すリーファ。
「魔術学院て何?」
「確か…百年程前にできた魔法を学ぶための学校ですね。入学するにはかなり優秀でないといけない筈です。それぞれの街や村には一応魔術をそれなりに学べる学校があった筈ですが、それでは物足りないようなレベルの子ども達が集まる学校です」
「と、言うことは、そこに入学して卒業したアニーはかなり優秀な魔道士ってことじゃないの?」
「その…ようですね…」
あの能天気でお人好しそうな感じからは、あまりそう見えないが…とリーファは感じる。
しかし、昔は魔道士といえば殆ど戦争に使用する兵器のようなものだったし、あるいは何か便利なものを発明する研究員のような存在であったから、今は違うのだなぁという感想でしか頭の中を纏められないのであったが。