第8話「嘘は、光より先に暴かれる」
大広間に入ってきた神官長の顔は、蝋のように白かった。
手には帳簿の束。指先は震え、扇の音も、囁きも、いつの間にか止んでいる。王都の夜会は華やかなはずなのに、今は裁判場のように冷えていた。
「神官長。大聖堂の寄付金と、祝福の宝珠の所在――今ここで、はっきりお答えください」
私の問いに、神官長は喉を鳴らした。
「……宝珠は、聖堂にございません」
一瞬、空気が凍る。
次いで、どよめきが爆発した。
「ない、ですって……?」
「では奇跡は……」
「寄付金はどこへ……」
王太子アレクセイ殿下が、椅子を蹴りそうな勢いで立ち上がった。
「な、何を言っている! 宝珠は聖女のために預けたはずだ! なあミナ!」
聖女ミナは涙目で首を振り、可憐な声を震わせた。
「し、知りません……。私、宝珠なんて……」
けれど私は、ほんの一瞬だけ彼女の指先に触れた。触れた瞬間、心の声が悲鳴のように飛び込む。
『嘘! 嘘嘘! 換金したのはベルトランが主導。でも私も受け取った。やばい、やばい、泣け、泣け、泣けば助かる!』
(逃がしません)
私はその声を表情に出さず、神官長へ続けた。
「神官長。寄付金の帳簿も、同じですか」
神官長は唇を噛み、帳簿を掲げた。
「……寄付金の一部が、王太子府への名目不明の支出として移されております。さらに――その先が、別名義の口座へ」
会場がざわめく中、神官長が視線を向けた先にいたのは、ベルトラン卿だった。
ベルトラン卿の薄い笑みが、初めて歪む。
「神官長、それは誤解だ。寄付金は王太子殿下の慈善事業のための――」
「慈善事業、ですか」
私は静かに割って入る。
「では、その慈善事業の具体的な支出先を、ここで説明できますね。帳簿のこの欄――“冬季救済費”と書かれていますが、宛先の印がありません。なぜでしょう」
ベルトラン卿の瞳が細くなる。彼は笑みを保ったまま、私を切り捨てようとした。
「辺境伯夫人。あなたは金の流れを理解していない。王都の会計は――」
「理解しています」
私はきっぱり言った。
「私は王都で、王妃教育の名目で公務を代行していました。税と兵站の帳尻を合わせ、支出の穴を塞いできたのは私です。だからこそ分かります。これは“手続きの不足”ではなく、“隠蔽”です」
会場がしん、と静まった。
私が“真面目で地味”なだけの女ではないと、初めて思い知らされる沈黙。
その沈黙を破るように、殿下が怒鳴った。
「黙れ! リリアナ、お前は俺を陥れようとしているだけだ! 辺境伯に唆され――」
「唆していない」
低い声が落ちた。
サイラス様だった。無表情のまま、ただそこに立っているだけなのに、周囲の背筋が伸びる。
「事実を確認しているだけだ」
淡々とした声。それが“正しさ”の重みを持って響く。
殿下は、視線を逸らした。自分が優位に立てる相手ではないと、本能が理解している。
「なら……証拠を出せ! 証拠がなければ、これは名誉毀損だ!」
殿下が叫ぶと、貴族たちがざわざわと息を吹き返す。夜会の観客たちは“決定打”を欲しがっていた。私も同じだ。
私は頷き、用意していた封筒を差し出した。
「こちらは、王都の文官による口座写しです」
ノアが一歩前へ出て、深く頭を下げる。彼の声は震えていたが、言葉は明確だった。
「寄付金は大聖堂から王太子府へ移され、その後ベルトラン卿の関係者名義の口座へ送金されています。写しは、複数の文官の確認印があります」
どよめきがさらに大きくなる。
ベルトラン卿の笑みが消え、口元が引きつった。
「偽造だ。文官など、金でどうとでも――」
「では、第三の証拠を出しましょう」
私は扉の方を見た。
「入ってください」
扉が開き、二人の兵に挟まれるようにして、一人の男が連れてこられた。
ヴァレンタイン領で捕らえた執事代理、ロイだ。顔色は土気色で、震えが止まっていない。
会場が騒然となる。
「なぜ辺境の者がここに?」
「夜会に罪人を?」
私は淡々と告げた。
「ヴァレンタイン領の物資と金が、王都の指示で抜かれていました。冬の備蓄を削る、命に関わる犯罪です。彼は実行犯。命令した者の名を、この場で述べます」
ロイが歯を鳴らす。私は一歩近づき、そっと彼の手首に触れた。
心の声が、怯えとともにこぼれる。
『言え。言わないと辺境伯に殺される。いや殺されない。でも怖い。王都も怖い。逃げられない。』
私は耳元で小さく言う。
「あなたが守りたいのは、誰ですか。王都の貴族ですか。それとも――自分の命ですか」
ロイは顔を歪め、泣きそうな声で叫んだ。
「ベルトラン卿です! 王太子殿下の側近、ベルトラン卿が! “辺境伯家の金は眠っている、抜いてもバレない”と……! 命令されました!」
大広間が割れそうなどよめきに包まれた。
「なっ……!」
殿下が言葉を失う。
ミナは真っ青になり、扇を握りしめる。
ベルトラン卿は、初めて“焦り”を露わにした。
「戯言だ! そんな下賤の言葉を信じるのか!」
「信じるかどうかではありません」
私が静かに返す。
「確認します。ベルトラン卿。あなたはヴァレンタイン領の執事に接触しましたか」
「していない」
即答。その瞬間、私はベルトラン卿の袖に軽く触れた。
『した。したに決まってる。執事が倒れた隙を狙った。金が必要だった。聖女も王太子も使えると思った――くそ、何でここまで……!』
私は彼から手を離し、微笑む。
「では、偽証ですね」
「な……!」
ベルトラン卿が声を荒げかけたが、その時、また扉が開いた。
国王陛下が入ってこられたのだ。
疲れた顔。けれどその瞳には、決断の色があった。陛下は夜会の華やかさなど切り捨てるように、神官長とノア、そして私の提出した書類を受け取った。
沈黙が落ちる。
蝋燭の炎が揺れ、誰も息をしない。
やがて陛下が口を開いた。
「アレクセイ。お前は、国の金を私物化した疑いがある」
殿下が叫ぶ。
「ち、違う! 俺は騙されただけだ! ミナが、奇跡が――国のために必要だと!」
ミナがすかさず涙を落とし、陛下に縋ろうとする。
「陛下ぁ……私はただ、神に仕えて――」
だが、神官長が一歩前に出た。
「聖女ミナ。あなたは“宝珠がないと奇跡が起きない”と吹聴し、寄付金を煽りましたな」
「そ、それは……」
ミナの声が途切れる。目が泳ぐ。会場の視線が冷える。
殿下は追い詰められ、最後の逃げ道へ走った。
「リリアナ! お前が悪い! お前が俺を支えていれば……!」
その言葉が出た瞬間、胸の奥が冷たくなった。
支えていれば。
つまり、壊れてもいい道具だったと言っているのだ。
私は一歩前へ出て、淡々と宣言した。
「殿下。私はあなたの所有物ではありません。国の仕組みは、誰か一人を使い潰して回すものではない。あなたがそれを理解しない限り、国は何度でも崩れます」
陛下が目を閉じた。
そして――短く、はっきり告げた。
「アレクセイ。王太子の地位を剥奪する。廃嫡だ」
会場が凍りつく。
殿下の顔から血の気が引いた。
「へい……ちゃく……?」
「調査の上、処分を決める。ベルトランも拘束し、財の流れを洗い出せ。聖女ミナについても、聖堂の名を騙った詐欺の疑いで取り調べる」
神官たちが動き、近衛が一斉に硬直する。今度は彼らが“裁かれる側”だ。
ベルトラン卿が喚く。
「陛下! 私はただ王太子殿下のために!」
「それが罪だ」
陛下の声は冷たい。
ミナは泣き叫び、殿下は支離滅裂な言葉を吐いた。けれど誰も助けない。夜会の観客たちは、勝ち馬を乗り換えるのが早い。ついさっきまで殿下に媚びていた貴族たちが、目を逸らし、距離を取り始める。
私は静かに息を吐いた。
終わった。
少なくとも、“王都に奪われる未来”は終わった。
◇◇◇
夜会の後、陛下に別室へ呼ばれた。
「リリアナ」
陛下は疲れた声で言った。
「お前には……詫びねばならぬ。止められなかった」
「陛下が謝ることではありません」
私は膝を折り、礼をした。「私は、選び直しただけです」
陛下はサイラス様に視線を向ける。
「辺境伯。そなたにも礼を言う。国境を守りながら、王都の腐りも止めてくれた」
「当然のことをしたまでだ」
サイラス様は淡々と答える。
だが私が袖に触れると、心の声は揺れていた。
『当然じゃない。彼女を守れた。よかった。もう二度と、王都に触れさせない。』
陛下は一枚の書面を差し出した。
「正式な声明だ。リリアナは辺境伯夫人としての地位を確認し、王太子府からの召喚命令は無効とする」
私は書面を受け取り、胸の奥がようやく緩むのを感じた。
「ありがとうございます」
王城を出る時、雨は雪に変わり始めていた。
王都の白は、辺境の白と違う。汚れを隠すための白だ。けれど今夜、その白が少しだけ剥がれた。
馬車に乗り込む直前、私は振り返った。
かつて私を“地味でつまらない”と切り捨てた場所。
もう、怖くない。
隣でサイラス様が淡々と言う。
「帰ろう」
『帰ろう。俺たちの場所へ。』
私は頷いた。
そして心の中で思う。
最後に、言わなければならないことがある。
彼に。
私の秘密を。
そのために――私たちは白い辺境へ帰る。




