第四話 自分の字
私は、
自分の字が
あまり好きじゃない。
汚くはない。
癖も少ない。
ただ、
感情がない。
書類に求められる
最低限の形だけを
なぞったような線。
仕事の記録を書くとき、
私は
いつも同じ書き方をする。
日時。
依頼内容。
結果。
余計な言葉は、
残さない。
ある日、
机の奥を整理していると、
一冊のノートが出てきた。
薄い表紙。
タイトルなし。
開くと、
最初の数ページは
白紙だった。
その次のページで、
私は
手を止めた。
——自分の字だ。
見覚えはある。
けれど、
書いた場面を
思い出せない。
『もしこれを
読んでいるなら、
もう戻らない』
文字は、
落ち着いている。
迷いも、
震えもない。
私は
ページをめくった。
『説明はしない。
したところで、
信じないだろう』
その一文で、
分かった。
この文字は、
誰かに
読まれる前提で
書かれていない。
伝えるためじゃない。
残すためでもない。
——閉じるための文字だ。
私は、
立ったまま
しばらく
動けなかった。
人に渡る前に、
すべてを
閉じてしまった文字。
それと、
同じ匂いがした。
胸の奥で、
何かが
静かに噛み合う。
私は、
この能力を
最初から
受け入れていたわけじゃない。
むしろ、
拒んでいた。
だから、
言葉を
削った。
だから、
文字だけを
信じるようになった。
自分の感情を
外に出さないために。
私は
ペンを取り、
白紙のページに
自分の名前を書いた。
一度で、
うまく書けない。
線が、
戻る。
力が、
抜ける。
——迷いが混じる。
私は、
その線を
しばらく見つめた。
今の私は、
拒んでいない。
少なくとも、
完全には。
ノートを閉じ、
引き出しに戻す。
捨てる気には
なれなかった。
あの文字も、
確かに
自分だったからだ。
それでも、
今は違う。
私は探偵だ。
真実を
暴くためじゃない。
ただ、
誰かが
戻れる余地を
見落とさないために。
灯りを消し、
事務所を出る。
夜の空気が、
少し
冷たかった。
——説明しない、
という選択も、
また
一つの言葉だ。
第五話:都合のいい線




