第一話 文字は嘘をつかない
最初に気づいたのは、
文字が震えていることだった。
紙の上の文字は、
見た目だけなら整っている。
癖も少ない。
崩れてもいない。
それでも、
私は一目見て分かった。
——この人は、
書きながら何度も息を止めている。
依頼人は、
向かいの席で
落ち着かない様子だった。
「どうでしょうか」
そう聞かれて、
私はすぐに答えなかった。
机の上には、
一枚のメモ用紙。
油性ペンで書かれた、
短い文章。
『先に行きます。
探さないでください』
遺書、と呼ばれる類のものだ。
警察は、
事件性は低いと判断したらしい。
私は探偵だが、
刑事のようなことはしない。
調べるのは、
人ではなく、
文字だ。
「……探さないで、
と言われてますが」
私は紙から目を離さずに言った。
「書いた人は、
“見つかりたい”と思っています」
依頼人が、
息をのんだのが分かった。
「そんなはずは……」
「“見つかりたい”というより、
正確には、
“止めてほしい”ですね」
この筆跡は、
逃げる人間のものじゃない。
線が何度も戻っている。
書き直しの痕跡が、
わずかに残っている。
決意と迷いが、
同じ行に共存している。
しかも、
ペンを強く握る瞬間と、
力を抜く瞬間が、
不自然に交互だ。
——一人で書いていない。
いや、
正確には、
一人ではなかった。
私は、
そこまで分かってしまったが、
言わなかった。
言えば、
空気が変わる。
信じられないか、
疑われるか、
どちらかだ。
「警察には……?」
依頼人が聞く。
「見せない方がいいです」
私は即答した。
「この文字は、
誰かが近くにいた状態で
書かれています」
「それって……」
「言いません」
私は、
紙をそっと返した。
「でも、
書いた人は
まだ生きています」
それだけは、
はっきりしている。
この文字は、
終わりの形をしていない。
途中で、
何度も“戻ろう”とした痕だ。
「……どうすれば」
依頼人の声が、
少し震えた。
私は、
窓の外を見た。
午後の光が、
ビルの壁に反射している。
「この人が
最後に会った相手に
もう一度、
会いに行ってください」
「え?」
「探さないで、
じゃなくて」
私は、
少しだけ言葉を選んだ。
「——呼ばれるのを
待っている文字です」
依頼人は、
何か言おうとして、
やめた。
私はそれ以上、
説明しなかった。
説明できないからじゃない。
説明してしまえば、
私が疑われるからだ。
文字は、
多くを語る。
でも、
それを語れる人間は、
限られている。
私は探偵だが、
真実を暴く役ではない。
ただ、
真実が向かう方向を、
少しだけ
ずらすだけだ。
机の上に残った
筆跡を見ながら、
私は思った。
——この能力は、
救いじゃない。
せいぜい、
遠回りを
選ばせるだけのものだ。
それでも、
誰かが戻ってこられるなら、
十分だと思っている。
二話:消えない線




