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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

シリアス

さよならの前に届けたい、この恋の歌

作者: しぃ太郎

よくあるゆるふわ設定です。

ご都合主義でも温かい目で読んで下さると嬉しいです。


※途中、女性を貶める発言等があります。

※職業蔑視の差別発言もあります。

苦手な方はご注意下さい。

 綺麗で繊細で、でも歩きにくいヒールの高い靴。

誰かにエスコートされないと歩けない不自由なこの靴。


「もうこんな物はいらないわ」

 私は空に向かって、それを思い切り放り投げた。雲一つない青空。そして一層(いっそう)青い海。


 裸足の私は……。ここから前に進んでいく。


◇◇◇


 私の母は舞台女優だった。

舞台女優といえば華やかなイメージが付くが、端的に言えば後援者(パトロン)を必要とする、娼婦の様な存在だ。


 世間に(あざけ)られ、非難され、後ろ指をさされる。

演劇が好きな貴族女性は、それでも舞台女優を嫌悪し。

妻に貞淑さを求める貴族男性は、女優に憧れや癒し、さらには爛れた関係を求める。


 母は美人で、演技も歌も上手かった。

美しく波打つ金髪に深い碧眼。貴族に人気の組み合わせだった。

それ故に、色々な人から求められた。


 母が出演した舞台は連日観客が殺到し、チケットが取れない程。


 だから、敵も多く色々な悪意に晒される日々だった。

私は彼女の隠された子どもだった。

子持ちだと露見(ろけん)すると人気が落ちる。当たり前の話だ。


 夜になると、母は色々な歌を(うた)ってくれた。

綺麗な歌声で、綺麗な歌を。

それはあまりにも綺麗な空間だった。大好きだった。

私も母も歌うのが大好きだった。


 ――それは突然に訪れた。

母が連れて行かれた。名前も知らない高貴な貴族が攫っていき、そのまま囲ったのだ。私は1人で取り残されてしまった。

 

 あの時の私は10歳だった。


◇◇◇


「シャーリー!早くこっちも手伝って!公演が始まるまで時間がないわ」

私を大声で呼ぶ同僚の声がするが、こっちにも余裕がない。

「ちょっとこっちは無理だって!他の人は?誰か私の化粧をチェックしてくれる?」


 ――あれから10年。私は母と同じ様に劇団で働いている。

母によく似て育った私は、彼女と同じ様にトップ女優になった。



「今日の公演も素晴らしかったよ、シャーリー。会場の男共の視線に嫉妬してしまう程だった」

「いつもありがとうございます。シアン様のお陰ですわ」


 大きな薔薇の花束を受け取り、それを付き人に渡す。

 

 ――そして。彼に大事な話をしなければ。


 シアン=ヘリオス様。

私の後援者(パトロン)だ。

今の私があるのは、全部彼のお陰だった。


◇◇◇


 彼との出会いは、私が母と別れた直後だった。

行く場所の無くなった私は、劇団に住み込みで雑用をして生き永らえていた。


 しかし、幼い少女には厳しい世の中だ。

仕事ができないと折檻(せっかん)され、食事も抜かれる。


(あの日は、寒空の中に裸足で追い出されたんだっけ)


 後で知った話だが、幼いシアン様は実母を亡くし、その後すぐに他の女を連れ込んで住まわせた父親を憎んでいた。


 だから、その憎い女の娘に会いに来ていたのだ。


 綺麗な少年だった。貴族でも珍しい銀髪で、美しい碧眼。


「お前!あの女の娘なんだろう!美しさにしか価値が無いあの女の!しかもお前……!お前……?何で裸足でこんな所に立っているんだ…それに痩せ過ぎだろう……。幼い少女が何故こんな……」

 

 話しているうちに、段々と冷静になったのか最後は心配そうな目で私を見た。

 いきなりの大声に吃驚(びっくり)したけれど。


――あぁ、優しい子だ。


 ここでは、他人を心配する人なんて居ない。

弱い者は弱いまま。

そして消えていくだけだ。


「大丈夫ですよ。もう少ししたら入れてくれます。多分、大きくなったら私は売れるから。そこまで酷くないんです」

「……!」

幼い彼の瞳が揺れた。傷つけてしまったかもしれない。

 

 無言で、私に自分のコートを掛けようとしてくれるが、丁重(ていちょう)に断るしかなかった。

「私には返す当てがないですし、何より団長がこのコートを見たら、あなたに迷惑がかかるかも」


 彼は、差し出したコートを渡すのを諦めてくれた。

良かった。私としても。下手をしたら、盗んだとあらぬ疑いまでかけられる。


「僕は、シアン。お前の名前は?」

「シャーリーです」


「シャーリー、さっきはいきなり怒鳴りつけて悪かった。お前は悪くないのに、八つ当たりをした。悪いのはうちに居るあの女だ。お前をこんな状況で置き去りにするなんて…」


 ――それは。

「お母さんの事ですか?元気でしょうか。好きな歌は歌わせてもらえてるんでしょうか。幸せそうでしょうか?」

少年は顔を背けて、教えてくれなかった。


「今度会ったら、質問に答えてやる。次に会えるのはいつだ?何処に住んでいる?」


「そこの劇団で住み込みで働いています。ごめんなさい、会えるかは約束出来ません」


 約束もしなかった、出来なかった私達。

でも、その後に何度もシアン様は会いに来てくれたのだ。



(今日もシアン様は会いに来てくれた。お母さんの様子も教えてくれたわ)


自分の父親の愛人の事を、その娘に話すなんて内心は複雑だろうに。


 何度も会って親切にしてくれる、不器用で優しく素敵な男の子。


――そんな彼を好きにならずにいられる筈がない。


 でも、私は貴族の怖さを知っていた。身分の違いの意味。それだけで、人を物扱いする人達の恐ろしさを。


 何度会っても、私は彼の本当の身分を知らない。お母さんが連れて行かれた場所も聞けなかった。

会える筈もない。平民で幼く、しかも女の私にはどうしようもない事だ。


わかっていたから、彼にわざわざ聞かなかった。


◇◇◇


 ――やっぱり、不運な出来事は突然やってくるようだ。


 15歳になった私は、若い頃の母によく似ていると言われる様になった。

 

 そして劇団を訪れた、ある紳士が私を見初めたらしい。

団長は、その申し入れを快諾した。


 でも、将来は女優にさせるつもりだと説明して、後援者(パトロン)と言う形で合意した。


(いつかこんな日が来るってわかってたじゃない。(むし)ろこの機会を利用してやるくらいじゃなきゃ)


 こんな日に、今は一番会いたくないシアン様が来る約束だった。

彼とも、もう5年の付き合いだ。


(なんて皮肉で気の利いた、安っぽい悲劇なのかしら)

その時の私は少し自棄(やけ)になっていた。


「今度、買われる事になったの」

彼を傷つけたくて仕方が無かった。

「何?」


彼を怒らせてみたかった。私のことを想って怒りを覚えて欲しかった。


「私って美人になったでしょう?たまたま見かけた貴族が私の後援者になってくれるんですって。見返りは、まぁお察しよね」


「それでお前は、そのまま買われるのか?好きにさせるのか?そいつが何をするのか分かっているのか?」


――ああ、彼の怒りが心地よい。


「分かっているに決まっているでしょ。娼婦の娘よ。お綺麗な育ちのご令嬢よりも、純粋な紳士よりもよく知っているわ」


「何処の誰がお前を買ったって?」


 執着心に(まみ)れた彼の表情が、私の心を慰めてくれる。満ち足りた気分でその日を迎える事が出来るわ。


「名前を言っても無駄でしょう?もう決まった事よ」

「いいから言え。誰にもお前を渡すつもりは無い」


「とある紳士としか聞いていないわ。これからは、何人もの後援者を募集するみたいだから」

「……そうか。なら自分で調べる。絶対に潰してやる」


 シアン様は踵を返して立ち去っていった。


(そんな言葉が聞けるなんて。それだけで私は幸せよ、シアン様)




 その次の日、劇団内は大慌てだった。

公子が劇団を訪れているらしい。


……まさか。


(期待しては駄目よシャーリー。期待は心を殺す毒なのよ)


 でも、心は勝手に()()(いだ)いてをしてしまう。


「彼女を買いたい。そして、私は誰かと自分のものを共有するのが嫌いだ。独占契約を求める」


 ――この声は。やっぱり彼なのか。


 いつもより着飾った、貴公子然としたシアン様が私の肩を抱いて告げた。

(公子様……。思っていた以上に高貴な方だったのね)


 シアン様はシャーリーを助けてくれた。その年齢で女を囲うと宣言したのだ。

少なからず悪評が立つだろう。


 そして彼は意図せずに、最初から無理だとわかっていた私の初恋を断ち切ってくれたのだった。


◇◇◇


 その後の私は、シアン様の為に歌った。

私の恋の歌は特に評判で、あっという間にトップ女優になった。


 幼い頃に世の中の理不尽と厳しさを知り、そして恋を知り、その後の失恋を知り。

その為か演技にも力が入った。


 台詞で伝えられる気持ちがある。

演じる時に思い浮かべる人がいる。こんな底辺で生まれた私が、人を愛せるとは。幸せなことなのかもしれない。




「そういえばシャーリー!あなたの後援者(パトロン)様、今度ご婚約するんですって!」

「そうなの?じゃあ、私はそろそろお役御免かしら。次の方を探さないと」

「シャーリーなら、希望者が列をなして待ってるわよ」

「ならいいけど。稼ぎ時にいっぱい稼いでおかないとね。いつどうなるかわからない業界だもの」


 シアン様が私にそういう形で触れたことはない。

きっと同情なのだろう。

でも、その同情に助けられている。本来なら話もできない身分の方なのだ。


(婚約するなら、そろそろシアン様から離れないと。奥さまが嫌な思いをするわよね)


 彼は、公演後に毎回花束を渡しに来てくれる。

話はその時にしよう。


(大公家に居るお母さんも、シアン様に任せれば大丈夫よ。優しい方だもの)


 ズキズキと胸が痛むが、それに蓋をして舞台の為の化粧を続けた。


 今日の公演後。

その時にシアン様と別れる。




「今日の公演も素晴らしかったよ、シャーリー。会場の男共の視線に嫉妬してしまう程だった」

 

 受け取った薔薇の花束を付き人に渡し、私の楽屋に彼を招き入れる。この後は誰にも邪魔をされない。暗黙のルールだ。


「シアン様、私はあの日の幼い少女じゃなくなったわ。今やトップ女優で、無下(むげ)にされる事も少なくなった。身を守る処世術もあるわ。そろそろ面倒を見てくれなくても大丈夫よ」


 コクリと喉を鳴らす。最後まで笑顔で伝えないと――。

「そろそろお別れ―」


 言い終わる前に口を塞がれた。これは…。

「シアン様、ダメで…」

さらに深く口付けられ、話が出来ない。力が強い。()すがままに口内を蹂躙(じゅうりん)される。


「今更何だ?他に好きな男でも出来たか?それとも他の後援者…これは無いな。俺から逃げたくなったのか?」


 ギリギリと腕を掴まれ、問い詰められた。

「ちが…違うわ……。あなた、結婚するんでしょう?」

彼はハッと息を呑む。


「私を囲うの?昔のあなたの怒りを忘れた?不誠実な父親にあんなに怒っていたじゃない。私のお母さんを憎んでいたじゃない」


 この言葉の全てが彼を傷つける事はわかっている。


「私は権力に物を言わせて、お母さんを連れて行った貴族が大嫌い。貴方だけが恨んだと思う?私のほうがずっとずっと恨んだわ。いきなり!私から母を奪った奴を!なのに、私に同じように生きろと?そんなの貴方の父親と同類だわ」


「違う!違うんだ!俺は…シャーリーを愛している……」


――それ以上は言わせないわ。


 ピシャリと彼の頬を叩く。

「恋愛ごっこは終わりよ。そろそろ本当の居場所へとお帰りください、シアン様」

「……!」


 何度も彼の葛藤が見えたが、結局言葉にならなかったようだ。

 

 これが終幕(フィナーレ)


 彼はこれから違う舞台に立つ。高貴な妻とその子供がいる、貴族としての華やかな舞台。

 

 ただの舞台女優には憧れる事さえ許されない、そんな所が本来の彼の居る場所だ。


 呆然とした彼の背中を強く押し出し、部屋に鍵をかけた。

――ガチャン。鍵を閉める硬質な音。

この音が私を守ってくれる。


(大丈夫。誰も心の中に入れなければいい)


 この世界で生きていくためには必要な事だ。

そうしなければ、辛すぎる。


◇◇◇


「なんだと!?公子様からの支援がなくなる?何をやっているんだ!」

 シアン様からの支援が無くなったと知った団長は私に強く当たった。


「だが、お前は引く手あまたで名乗りを上げる貴族も多いだろう。3〜4人は相手してもらうぞ」


「わかりました。文句はいいません…が、暴力的な方は止めて下さいね。まだまだ舞台に立ちたいので」

「わかったわかった」


 こちらを見もしない。早速、物色を始めるらしい。


 今まで私はシアン様に守られていた。


 これからは他の女優の様に後援者(パトロン)を何人も見つけ、囲われながら生きていくのだ。




 団長の部屋を出ると、少し離れた所に勝手に私をライバル視してくる、エロイーズが居た。

(はぁ、もう疲れたから休みたいんだけれど)


「シャーリーったら、捨てられたんですって?そろそろ、その場所を譲る時が来たんじゃない?」


「そうかもね。ただ、簡単に譲るつもりは無いわ。あなた、まだ高音が下手じゃない。そんなんじゃねぇ?」


「……!そういうあなたもここを追い出された時の為に必死にパトロンに媚びを売る練習をした方がいいわよ?お高く止まっちゃって、簡単に捨てられないようにね」


「ご忠告どうも。その分野はあなたに敵わないもの。本当に流石だわ。ご苦労なことよね」

お互いに睨みあい、通り過ぎた。


「……あの女さえ居なければ……」

 背後でエロイーズの憎々しげな声が聞こえたが振り返らない。いちいち相手にしていたら切りが無い世界なのだ。




「シャーリー、紹介しよう。ライター様だ。今、解消したばかりのお前の後援をしたいと申し出てくださっている」


「まぁ!とってもありがたいですわ!なんて素敵なお方でしょう。私でよろしいのですか?もっと綺麗な花は沢山ありますのに。見劣りしないか最近不安で仕方ありませんの。こんな私を選んでくださる?」


(団長に紹介されたって事は、近々そういう覚悟をしとけって事ね)


 演技が出来ても、そっちは全然自信がない。

無駄に期待され、それに応えられない場合が一番困る。

(本物の職業の方々に頼ろうかしら)


 流石に同僚には隙を見せられない。皆、お互いを蹴落とすライバル同士なのだ。


 顔に出さずに色々と悩んでいると、ライター様が耳元で囁いた。服のこの上質な仕立てから見て伯爵もあり得るわ。


「いやいや、シャーリー嬢はとても美しく咲いてますよ。今度の仮面パーティーで、どうでしょう?部屋も用意しておきます。私は複数の花を一緒に愛でるのが大好きでね。君はどうかな?」


(この変態。複数ですって?ハードルが高すぎるわ)


「ご想像にお任せしますわ。最初から明かしてしまうと楽しくないでしょう?」

――あぁ、こんな会話したくもない。




 仮面舞踏会用の衣装を仕立てる為に、ブティックを訪れた私は、店員に奥の部屋に案内された。


 さる紳士が「シャーリー」をご指名して待っているらしい。


 稀にこういう事はあったりする。

この店は女優もよく通う所なので、世間に言えない密会や、女優や娼婦に隠れて会いたい時などに、特別に使われたりする部屋があるのだ。


(これは仕方ないわね。店員も同席させましょう)


 しかし、そこに居たのはシアン様だった。


「久しぶりだ、シャーリー。噂は聞いているよ。例の仮面舞踏会に出席するんだって?あそこがどんな場所か教えてあげようか」


「まぁ!どんな紳士の方のご指名かと思ったらシアン様でしたのね。また会いに来てくださって嬉しいわ。ご親切にありがとうございます。でも、新しい後援者(パトロン)からのご希望なので応えるしかありませんの」


 ――彼には会いたくなかった。

 私には知られたくない事が多すぎる。


「君は!」

 シアン様が声を荒げる。

「私がもう他の方のお手付きになった事が気に入らないなら…」


 ――ダン!壁を強く叩きつける音。


「……やめろ。そんな話は聞きたくない」


 ごめんなさい、こんな下品で汚らわしい女で。

早く、早く、シアン様の視線から逃げ出したい。


彼は真っ直ぐすぎる。私の醜さが見られている。


「君にドレスを贈りたい。今までの(よしみ)だ。今度の仮面舞踏会で着てほしい」


「ありがとうございます。助かりますわ。なるべく露出度が高い物でよろしくお願いしますね。魅力的に誘惑しないと男性方から飽きられてしまうんですの」


「……ああ。わかった。要望通りにしよう」


「では、期待して待ってますわ。シアン様に着飾って貰えるなんて、なんて幸運なんでしょう!では、忙しいのでお先に失礼します」

(あぁ、ついていない。会いたくなかった)


 一緒に部屋に連れてきた店員には、嫉妬したファンとそれを都合よく利用している女優に正しく見えたかしら。

 

 こういう事はすぐに噂になる。

男性の軽い火遊び程度に見られるのが一番良いのだ。


 ブティックの裏口から出る。貴族女性と顔を合わせない為に、私達のような人間は裏口を使うのだ。


 「穢らわしい。こんな所をシアン様に(まと)わりつく娼婦がうろついているなんて。気分が悪いわ」

 

 ――見つかってしまった。しかも、シアン様の知り合いか。


「これは、失礼しました。お嬢様のご気分を害させるつもりはありませんでした。すぐにお(いとま)致します」

 

 頭を下げて、すぐにその場を立ち去ろうとするが。


 ビシリ!と扇で肩を叩かれた。

「これ以上、出しゃばらない事ね。身の程を知りなさい」


「申し訳ありませんでした。しかし、もうあの方と私の関係は終わっていますわ。安心なさってくださいませ」

 日常茶飯事だ。


気にせずに急いで馬車に乗り込む。これ以上の面倒事は御免だわ。




 劇団に帰り、団長に相談する事にした。

例の仮面舞踏会の事だ。

 

 流石に複数は、初めての女には厳しすぎる。


「こちらで媚薬を手配してやろう。下手な芝居をするより処女なのをアピールしろ。その方が喜ばれるかもしれん。しかし、公子が手を出していなかったとは」


 なるほど。そういう考え方もあるだろう。

なら、もう心配する事は何もない。


(シアン様……ここはこんなに暗いんです。貴方が居る場所と全然違います。暗すぎて小さな星すら見えません……)


 昔、寒空で彼と出会った時。もっと星がキラキラと輝いていた気がした。

そしてあの時よりももっと寒い。

(とても暗くて寒いわ)


◇◇◇


 シアン様が贈ってくれたドレスは、女優らしく、そして娼婦らしく、大きく胸元が開いたデザイン。

 背中のスリットさえもエレガントな仕上がりで、美しい真紅のドレスだった。



 舞踏会の当日、ライター様が迎えに来てくださった。

私は大袈裟に喜び、団長はライター様に耳打ちしている。


 それを聞いたライター様はニヤニヤと私を観察する様な目つきで上から下まで見やった。

きっと団長が私が処女だと話したのだろう。


 嬉しそうだから、ひとまず良かったのだろう。

そのまま、馬車に乗り込む。


 エスコートの手が…さわさわと私の手を触る。

馬車の中では私のドレスを少し(めく)り脚を撫で続ける。


(早く着かないかしら……。でも、慣れなくては駄目なのよ)

嫌だ。こんな所、早く逃げ出したい。


 でもここが私が生きている世界で、これからも続く舞台だ。

もっと上手に浅ましく踊って、たくさん歌わなければ。



「まぁ、賑やかで素敵な会場ですわね!ライター様、こんなに楽しそうな所に連れてきてくれてありがとうございます。華やかな方々が沢山いて心が弾みますわ」


 既に気分が沈み、帰りたいのを我慢して。甘えた声を出し、彼の腕に自分の胸を押しつける。


 ライター様は、私を見せびらかしたいらしく、様々な紳士に紹介した。


中にはよく劇場で会う人や、同僚のパトロンの姿もある。楽しそうに話を聞きながら、さり気なく男性達に触れる。だって女優だもの。


 ちらほらと辺りにいる高級娼婦には負けていられないわ。

このくらいしないと逆に落胆される。



 しばらく会場に居ると、ライター様は賭博に誘われたらしい。

「まぁ、賭博なんて楽しそう!ライター様はお強いの?」

「こればっかりは運だからね。君も行くかい?」


「私は、少し疲れてしまったので、端の椅子で休憩しておりますわ」


 ――ようやく離れられた。


 ずっと腰を抱かれ、耳元で話しかけられ、肩を撫でられるのは耐え難い。


(この後はさらに苦痛ね…。賭博が終われば()()の時間だわ)



 疲労感で椅子に(もた)れたくなるが、こんな場所でそんな無様は見せられない。


 豪華で煌びやかなシャンデリア。その下で踊る着飾った男女。

賑やかな会話が響く会場。


 私は、ここで人々を魅了しなくては。

(綺麗に着飾った商品なんだもの。団長の期待に沿わないとね)




「久し振り」


 低く囁くシアン様の声。


「シャーリー。そのドレスよく似合っている…が、奴らを殺したくて仕方が無い」


思わず驚いて声が裏返ってしまった。


「…シアン様……!来ていらしたんですね」

彼はシャンパングラスを私に渡して、椅子の後ろに立った。


「ああ。ずっと見ていた。……なぁシャーリー。10年前から、お前は俺の物なんだよ。お前の意思なんて、どうでもいい。俺があの時見つけた、俺だけの女だ。お前の事だから、どうせ身分を気にして身を引いただけだろう」


「身分違いは確かです。それに私は汚すぎる。見ていたのでしょう?あんなに男性に媚びを売る女なんて貴方にふさわしくないわ」


 シャンパンの味がしない。

――仮面舞踏会で良かった。彼に仮面の下の私を見られたくない。


「お前の言葉、結構胸に刺さったよ。俺はずっとお前の母親を囲っている父が嫌いだった」


そこで彼の指が私の仮面にそっと触れた。


「だがあの時、羨ましいと思ってしまったんだ。お前を手放さず、同じ様に囲えたらどんなに幸せだろうと想像してしまった」


「それは、結局シアン様を不幸にするわ。そして言ったでしょう?私はそんな貴族が嫌いだと」


 だって、彼は優しくて。潔癖で。

私はこんな女になってしまったのに。


「そんな想像から逃れられなくなって、絶対にお前を手に入れる事だけを考えた。他の男なんかに渡さない。手放すことなんてしない」


 仮面を撫でていた指がそっと首元に移動する。

撫でられている筈なのに、掴まれているような感覚。


「だから父と交渉して、大公家の商団の1つを譲り受け平民になることにした」


「なんて事を!」


「心配か?これでも、後継者の教育を受けてきたから、そうそう苦労はさせないと思うぞ。それにもう遅い。()()()()()()()平民だ。ようやく同じ場所に立てた」


 シアン様は嬉しそうに笑った。

何を馬鹿なことを。


(私と同じだなんて。()()()()()()()()()()()()なんて、そんな笑顔で言わないで)


 貴方がずっとそれを望んでいたなんて錯覚してしまう。


 シアン様が煌びやかな世界から遠ざかってしまう事を心配しているのに。


 喜んでいる事を彼に悟られたくない。こんな醜くて誰にも見せられないようなこんな感情。


――あぁ、やっぱり私は浅ましいんだわ。


「まぁ、もう時間もない。今すぐに攫ってしまおうか」

「え……」


彼に抱き上げられた時にクラリと目の前が揺れた。

「シアン様……」

何か盛りましたか……と聞きたいのに、意識が無くなってしまった。


◇◇◇


 その翌日の新聞は大騒ぎだったらしい。

「公子と女優の駆け落ち」

「身分違いの恋」

「平民になってまで愛を選んだ男と華やかな舞台から突然消えたトップ女優」


 薬で眠らされている間に、別の大陸に向かう彼の商船に乗せられていたらしい。


 船員は皆気のいい人達で、私は酒場で歌うような曲を幾つも歌った。

 

 大勢に囲まれながら、色々な曲を歌った。


 歌うのが好きだ。こんな場所で歌っても楽しかったのだ。別に煌びやかな舞台に執着していたわけじゃない。

 でも、あそこがお母さんとの唯一の繋がりで。

シアン様と会える唯一の場所で。


あんな場所、本当は苦しくて辛くて嫌いだったのだ。

(シアン様、連れ出してくれてありがとう)


――ただ、純粋に歌って楽しんだのは随分と久し振りだった。


「お前の母親から手紙を預かってきた」

今まで母の様子は教えてくれていたが、直接的なやり取りはしたことが無かった。


「シアン様、お母さんは幸せそうでしたか?好きな歌は歌えていますか?」

いつかと同じ質問をしてみた。ずっと聞きたかった事だ。


 幼い頃の彼は、この質問に答えられなかった。

だから、私の希望通りの答えは返ってはこないのだろうと聞くことを止めた。


 でも、目の前の彼のこの表情。明るく笑っている。


「ああ。おまえの母親の歌を、幼い頃によくドアの隙間から聴いていた。お前の話をしてあげたら喜んで笑っていた」


「歌っている時、お前の話を聞かせた時、いつも幸せそうだったよ」


「ありがとうございます」


シアン様からもらった手紙を胸に抱く。


「読む勇気が湧いたわ。ありがとう」

「ようやく敬語をやめたな。俺の前で下手な演技をするなよ」


 涙と共に、私の中の何かが一緒に落ちていった。


 この船が着くのは最近開拓が始まったばかりの新天地だと聞く。彼らはそこに夢を抱いて進んでいる。


 私だってどこでだって歌える。

 私だってどこでだって幸せになれる。


「シアン様、私と一緒に生きてくれてありがとう」

「こっちの台詞だ。そういう事は男に言わせろ」


 彼と何処までもずっと一緒に。

そんな気分にさせてくれる大海原だった。


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