5-6 「シイル」も「ロナ」も、日本にいた時から使っている本名です
そして時間は経ち、夜になった。
周囲からは不気味なほどにぎやかな喧騒が聞こえてくる中、俺たちは宿でゆっくりと時間を過ごしていた。
「ふう……もう体力は全快だね!」
十分な昼寝をしたマルティナはうーん、と伸びをした。
俺は机の上に置いておいたスープをマルティナに渡す。
「やっぱり0時までは安全なんだろうな。……ところで夕食は食えるか?」
「うん! あれ、シイルが作ってくれたの!?」
「ああ。念のため、食事は俺たちが用意したほうがいいと思ったからな」
夕食の準備をしてあると主人は言っていたが、俺は固辞した。
当然だが、毒を盛られる可能性を考慮したためだ。セドナはすでに俺が食べたスープの皿を片付けながらこちらを見やる。
「私が作ってもよかったんだけど、今日はなんかシイルが作りたがったからね」
「へえ……今日のスープはなに、これ?」
「ああ、ミネストローネ風スープだよ。……元の世界でよく作っていたんだ」
この世界はファンタジーだが、ゲームの世界じゃない。
そのためこの世界では、トマトがまだ生産されていない。代わりにビーツを使用しているので、ミネストローネというよりはボルシチだが、雰囲気だけは似せてみた。
味わいはだいぶ違うが、マルティナはそれを一口すすって嬉しそうに笑ってくれた。
「美味しいね、シイル……」
「ならよかった。……たまには元の国の料理を作りたくなってさ」
まあ、ミネストローネもボルシチも日本の料理ではないが。そのことを知っているセドナは苦笑しながらもなにも突っ込まなかった。
マルティナはスープをすすりながら尋ねる。
「そういえばさ、シイル? 宿帳に書いていた変な記号ってなに?」
「ああ、あれは漢字っていうんだ。セドナなら、なんて書いてあったか分かるだろ?」
俺がそういうとセドナはうなづいた。因みに彼女はものを食べない。
「勿論さ。正解は『はかもと しいる』だろ?」
「お、よくわかったな」
セドナが住んでいる時代にも、日本はまだ現存しているのだろうか。
そう思ってうなづくと、セドナは少し申し訳なさそうな顔をした。
「……けどさ。あまりいうべきじゃないけど……四五六って珍しい名前だね……」
「そうなの?」
この世界では『シイル』『ロナ』という読み自体はさほど珍しいわけではない。
だから俺たちは、特に偽名を使う必要がなかったのは、ある意味では幸いだった。
「ああ。……俺の親父とおふくろはギャンブル中毒とアルコール中毒でさ。俺の名前『四五六』の由来も、ギャンブル用語なんだよ」
「え……そんなことがあったの?」
そういえば、マルティナには言ってなかったな。
だけど、俺は両親を悪く言うのは嫌なのでそのあたりは軽く流すことにした。
「……それでさ。ロナや両親のために小さい時からよく飯を作ってたんだけど……特に気に入られたのが、ミネストローネだったんだ」
「へえ……何か工夫してたの?」
「ああ。みんなに少しでも栄養を取ってほしくて野菜を一杯入れるようにしてたんだ。親父はインスタントばっかだし、おふくろは酒浸りで飯食わないし、ロナは育ち盛りだったからな」
「へえ。いいお兄ちゃんだったんじゃん、シイルはさ!」
そういいながらセドナは俺の肩を叩いてきた。
マルティナは俺のその発言を聞いて、少し同情するような目を見せた。
「……けど、可哀そうだよね、シイル?」
「え?」
「だってさ。ロナは……そんなシイルに感謝してなかったんでしょ? いつもさ、ぶっきらぼうに食べてたんじゃない?」
「う……」
図星を突かれ、俺は思わず絶句する。
「そ、それはそうだったけど……別に俺は感謝してほしかったわけじゃないから……」
だが、実際にロナはあまり美味しそうに食べていなかった。
マルティナは俺の目をじっと見ながら憐れむように呟く。
「きっとさ。あの女は『お兄ちゃんは優しい自分に酔ってるだけだよ』って思ってたんだろうね……。じゃなきゃ、もっと喜んでいたと思うから……そう思わない?」
「……かもな……」
マルティナがそういうなら、間違いないだろう。
俺がやっていたのは自己満足だったのかと、少し気持ちが重くなる。……だが、そんな俺の頭をマルティナは撫でてくれた。
「けどさ、あたしだけはシイルのこと、素敵だと思ってるから! 偉かったね、シイル! あたしはシイルのこと、認めたげるよ!」
「はは……ありがとな……」
……マルティナの思いやりに甘えるわけにはいかないとは思うが、やはりうれしい。
俺はマルティナに笑いかけながらも、本題にうつることにした。
「ところでさ、セドナ。四天王のヴァンパイア・ロード『ルネ・ルナ』の特徴を教えてくれるか?」
「ああ。ニルバナから聞いた話だけど……基本的には素早い攻撃が得意だな。それで兄のルネが魔法、妹のルナが剣で戦うらしいね。前も話したけど、ヴァンパイアの癖に吸血攻撃もレベルドレインもやってこないから、そこは注意だね」
いわゆる正統派の小細工が通じない『ごり押しタイプ』のボスだと俺は判断した。
そういう相手はサービス行動を取らないので、『低レベルクリア』を目指すうえでは大抵鬼門になる。
「……なるほど、やりにくいな。他には?」
「後は、そうだな……。ルネの魔法をルナが剣で受けて、その威力を剣技に乗せる魔法剣が必殺技みたいだよ?」
「うそ……! そんなことが出来るの?」
マルティナは思わず驚いて口を押さえた。
一方セドナはあまりピンとこないような表情で、尋ねてくる。
「それって、そんな凄いことなのかい?」
「うん。ちょっとやってみよっか、シイル?」
「ああ。……ファイヤーボール!」
俺はそういうと威力を弱めたファイヤーボールをマルティナに放つ。
だが、
「きゃ!」
マルティナはそれを剣で受け止めきれずに、弾き飛ばしてしまった。
幸い火球は威力を抑えていたので、床に当たる前に消滅した。
「ね? 相手の魔力をピッタリ波長を同調させないと出来ないんだよ」
だから、魔法剣は『自分の魔法』でないと大抵扱えない。戦闘前ならまだしも、戦闘中に他人の魔法を自分の剣に乗せるのは神業だ。
「だから自分の魔法を相手に乗せるのは、相手の魔力や能力、そういうことを完璧に知ってないと無理ってことだな。常に互いのことを知り尽くしてないと」
「へえ……よくわからないけど、そういうことか」
この世界は、誰でも鍛錬すれば魔法を扱うことが出来る。
だが、ロボットであるセドナは例外的に魔法が一切使えない。そのため『他人と魔力の波長を合わせること』の難しさを理解できないのだろう。
「だってさ。『魔法剣』が簡単に使えるなら、魔法なんて意味ないだろ? みんな無効化されることになるんだから」
「あ、そりゃそうか。……つまり、あの双子のチームワークを崩すことが勝利の鍵ってことかな?」
「だな。挑発を使う? いや、難しいか……さて、どうするかな……」
そう考えながら俺たちはしばらく作戦会議を行った。
……そして、そこから小休止と準備体操をすませて時刻は0時を迎えようとしていた。
すでに準備も体調も万端。アイテムの用意もアクセサリーも完全に揃えている。
「……よし、作戦会議はここまでだな……勝とうな、マルティナ」
「うん!」
「……来たね」
そういうと、ドアの外からどんどんとノックする音が聞こえてきた。
俺たちは武器を構え、ドアを開く。
……そこには宿の店主がいた。だが、明らかに様子がおかしい。
「……なんのようだい?」
そうセドナが警戒しながら店主に話しかけた瞬間。
『ぐえええええええ……』
店主はそううめき声をとともに彼の皮膚が腐り落ち、べしゃりと地面に肉片を落とした。
「ぎゃああああああ! 出たあああああ!」
思わずマルティナが恐怖に叫んだ。
そんな彼女を庇うように前に立ったセドナは、拳を握って威嚇する。
「へえ、やる気かい? 私に勝てると思うなら、かかってきな!」
相手がゾンビのような姿に変わり果てたにも関わらず、向こうが手を出すまでは戦わないのはセドナの性格ゆえだろう。
……だが。
『えええええ……ぐうううう……』
その店主だったものは、そこで呻くばかりでこちらには近づいてこない。まるでバグで壁に引っかかった敵キャラのように、延々と足踏みをしている。
……しばらくして、俺はルネ、ルナの真意が理解できた。
「……なるほどな……」
「な、なに?」
この世界ではゾンビのような魔物はあまりお目にかからない。そのこともあり、怯えるマルティナをなだめるように俺は声を書ける。
「こいつらは、ルネ・ルナの操り人形だ……。そして、俺たちに言ってるんだよ。『窓から外に出ろ』ってな」
こいつを無理に殴り倒してドアから出てもいいが、奴らとの戦いが控えている以上、少しでも消耗を避けたい。
何より、すでに死亡しているとしても、村人の遺体をむやみに傷つけたくはない。……恐らく、俺がそう思うことも織り込み済みなのだろうが。
「ああ、悪趣味なあいつらの喜びそうなことだ……ったく、しょうがないねえ……」
「じ、じゃあ……この人たちはお化けとか、そういうのじゃないってこと?」
「ああ。かすかだけど、魔力を感じる。あれはアンデッドじゃない。単に遺体を操ってるだけだ。今までは魔力で形を保っていただけなんだろうな」
「そ、そうなんだね……」
彼らの正体が分かったことで、マルティナも気持ちが落ち着いたようだ。
それを見てセドナが鼓舞するように叫ぶ。
「じゃあいくよ! ……あいつらが何を企んでいるのか、見届けてやろうじゃないか!」
「ああ!」
「勿論! こんな酷いことした二人は……許せないから!」
そういって、俺たちは窓から外に飛び出した。




