3-5 なぜ「中世」ファンタジーの世界にピアノがあるのだろう
翌日。
俺は教会の祭壇の前で祈りを捧げていた。
教会の中には朝の陽ざしが窓から差し込み、光が当たる女神像が神聖な雰囲気を醸し出していた。
「……グリモア、アリーナ……どうか安らかに……」
実力者だが自分勝手な二人のことは、個人的にはあまり好きではなかった。
だが、それでも一緒に旅をしていた仲であったし、もしもあの場で俺が無理にあの二人を引き留めていたら死ぬことはなかったかもしれない。
そう思うと、俺は彼らのために祈らなくてはならない気がして、俺は手を合わせていた。
「フフ、信心深いんだね、シイル君は」
しばらく祈りを捧げていると、横からディラックがにこやかに声をかけてきた。昨日の酒盛り以降、彼は少し態度が柔らかくなったのを感じる。
俺は祈りをやめてディラックの方を向いてこたえる。
「ああ……。教会はやはり落ち着くからな」
「亡くなった仲間……例の二人のことを考えていたのかい? ……まったく優しいんだね、シイル君は」
言外に、ディラックもグリモアたちを嫌っていたことを感じさせた。
だが俺は首を振る。
「……俺は優しくなんかないよ……あいつらを守ってやれなかったんだから……」
「そういえば、マルティナちゃんもこの教会に来ていたよ?」
「あれ、そうなのか?」
「うん……そろそろ戻ってくると思うけど……」
そうシスターが懺悔室の方を指さすと、そこからマルティナが出てきた。
「あれ、シイルじゃん?」
「なんだ、マルティナもここに来ていたのか」
俺たちは朝から自由行動を取っていたため、お互いに教会に足を運ぶとは思っていなかった。マルティナはいつもの元気な様子は微塵もなく、どこか憔悴したような表情を見せている。
「懺悔室に行っていたのか」
「うん……。故郷の村の人たちのこと……聞いてもらいたくて……」
「そうか……」
確か、故郷の人たちはマルティナが皆殺しにしたと噂では聞いている。
だが、懺悔するほどの罪悪感を抱えている本人の様子を見る限り、それが真実とは思えない。
だが、懺悔室で話さなければならないほどのことを問いただすほど俺は愚かじゃない。
俺は浮かない顔のマルティナを見て、何かしてやれることはないかと思っていると、シスターが声をかけてきた。
「そういえば、シイル君は異世界からの転移者なんだよね?」
「え? ……まあな……」
この世界では転移者は俺以外にもいるが、人数自体はさほど多くない。
……だがそれは、単に転移者が少ないのではなく、そもそもこの世界に適応できなかったり、転移先が海や山の中など過酷な環境であり、すぐに命を落とすものが多いためだろう。
「君たち転移者ってさ。いろんなこと知ってるよね? 光る『すまーとふぉん』?の話とか、不思議なおとぎ話とか!」
「まあ、俺たちの世界では普通にあったものだからな」
「シイル君は何か、異世界から持ち込んだ知識ってあるのかい? 折角だから、何か教えてくれると嬉しいな」
そういわれたが、正直ディラックにゲームの話などしてもつまらないだろう。
俺は周囲を見渡すと、部屋の隅に手入れの行き届いたチェンバロがあるのを見かけた。
「……そうだな。それじゃあ、話の代わりに曲なんてどうだ」
「お、いいね! 僕はこう見えても音楽にはうるさいんだよ?」
そうディラックはキザに答えた。
……正直こいつには、バイオリンとビオラの区別もつかないと思うが。
「あ、もしかしてあの曲弾くの?」
「ああ。……一緒に歌わないか?」
「うん!」
そういうと、マルティナはぱあっと表情を明るくした。
……よかった、少し気持ちも晴れたようだな。
そう思うと俺は、教会に置いてあったチェンバロの前に座り、息を整えた。
(……それにしても……なんでファンタジー世界には、当たり前のようにピアノがあるんだ?)
現実世界ではピアノが出来たのは割と最近だ。
にも拘らずファンタジーの世界には結構当たり前にピアノが出てくるのは、恐らくサウンドクリエイターの都合だろう。
だが、この世界はファンタジーのようだが、決してゲームの世界ではない。
当然ピアノはないのだが、代わりにチェンバロはすでに開発されている。基本的な使い方はピアノとさほど変わらないので、演奏は可能だ。
俺はゆっくりと前奏を弾き始めると、マルティナは俺の隣に寄り添うように立ち、歌を歌い始めた。
「きっと、僕らは大人になったら思うよ~♪」
この曲は、元の世界で合唱祭の時に弾いた課題曲だったものだ。
当時すでに不登校になっていたロナは合唱祭には出れなかった。そのため、俺はクラスの女友達に頼んでピアノの猛特訓をして覚えた曲でもある。
「あの時に見つけた思い出のかけらが~♪」
マルティナはアルトパートを歌うのに合わせて俺はテノールで弾き語りを行う。
「ふん、ふん、ふん……」
ディラックは、そんな様子を見ながら目を閉じて指揮棒のように指を振る。
まあ、彼のリズムはでたらめなのだが自分に酔っているディラックに水を差す気もない。
「宝物になるから~♪」
サビのコーラス部分をマルティナと歌いながら、俺はロナとこの曲を歌ったときのことを思っていた。
正直、元の世界での思い出は日に日に薄れていく。
けどスタジオを借りて、ロナとこの曲を一緒に歌った思い出は今でも鮮明に覚えている。
そして俺はその曲を終えた。
「おお、凄いじゃないか、シイル君! この僕の心にも染み入ったよ!」
そうディラックは拍手をしながらたたえてくれた。
「お疲れ様、シイル! すっごいいい演奏だったよ?」
「ああ。マルティナもいい声だったな」
「えへへ……ありがと!」
マルティナはすっかり元気を取り戻したようで、俺の腕を掴んできた。
だが、俺の表情を見て少し不安そうな表情を見せる。
「けど、シイルは……悲しそうだね、昔……ロナちゃんといた時を思い出したの?」
「……ああ……」
以前この曲を覚えた経緯を教えたマルティナには分かるか。
そう思いながらも俺はうなづくと、マルティナは怒ったような表情を浮かべる。
「けど、酷いよ! ロナちゃんはさ……シイルにこんな素敵な体験をさせてもらっていたんでしょ? なのに……魔王になって人を傷つけて……シイルを裏切るなんて!」
「いや……。きっとあの演奏会は……ロナにとっては、有難迷惑だったんだろうな」
ロナは、俺が女友達からピアノを教わっていたという話をすると、不愉快そうな表情を見せていた。
……それはそうだ。
友達がいないロナに、俺は自慢をしたように受け取られたのだろうから。
そしてマルティナは俺の目を見据えながら呟く。
「やっぱさ……。きっと……ロナちゃんはさ、シイルのことが大っ嫌いだったんだよ」
「マルティナもそう思うか?」
「……ハッキリ言って、そうとしか思えないよ。ロナは私と違って……シイルみたいな兄なんて欲しくなかったんだと思う」
「俺を……?」
申し訳なさそうな表情でマルティナは続ける。
「うん……優しくされると、その人を『舐める』人っているでしょ? きっと、ロナもそうだったんだよ? あたしは、シイルは優しい人だと思うけど……だからこそロナは、シイルを見下していたんだよ」
「だよな……」
「シイルを『自分より下の人間』と思っていたから、シイルが他の女といたことに腹が立ったし、演奏会も迷惑だと思ってたんじゃないかな?」
「なるほど、言われてみると……」
「……ごめんね、酷い言い方で……」
だが、そう考えれば辻褄があう。
女の子同士ということもあるのだろう、マルティナはいつもロナの心理を正しく分析してくれる。
だが、正直そう考えると気持ちが重くなる。
だが、それを察したのかマルティナは俺の腕を掴んで上目づかいでこたえる。
「けど、あたしはさ! あの女と違うからね? ……裏切ることもしないし、逆らったりもしないから! だからシイルはさ。私を好きなだけ『使って』いいからね? 溜まっているもの、全部吐き出して、気持ちよくなってよ? それでもあたしは嬉しいから!」
「……あ、ああ……」
つまり、マルティナは怒りやストレスのはけ口になってくれるという意味か。
そう思いながら、俺はうなづいた。




