プロローグ2 鍵かっこの位置が変わると意味合いは変わるもの
さらに、俺への恨みを込めたであろう、強力な正拳を俺の腹に見舞った。
「ぐは!」
「……あのさ! シイルが、私の『お兄ちゃん』だったことが……どれほど私を苦しめてきたか、分かるの!? ねえ!」
「ぐ……がは……!」
魔王の腕力は、その細腕からは想像も出来ない威力だ。俺は思わず口から血を吐き出した。
(やっぱり、か……ごめんな、俺なんかが兄で……)
そう思いながらもロナのほうを見やると、彼女はどこか暗い笑みを浮かべながら、先ほど戦士グリモアが傷つけた腕を見せつけてきた。
「けどさ……見てよシイル? ……この手の傷の跡……この血……赤くないでしょ?」
そしてロナは俺の体をぐい、と引き起こすと自身の腕の傷を見せた。
そこからは魔族特有の緑色の血がぽたぽたと流れていた。
「もう、さ……魔族に生まれ変わった私はね……? 忌々しい『お兄ちゃんと同じ血』は一滴も流れてないんだよ……?」
「……ああ……」
……「『忌々しいお兄ちゃん』と同じ血が流れている」、か。
それを聞いて、やはり俺のロナへの愛情は単なる独りよがりだったのか、と確信した。
(俺はロナに、そこまで嫌われていたのか……)
……やはり、俺が全ていけなかったのだ。
無力な癖に一方的な愛を押し付ける、そんな俺の身勝手な言動がロナを追い詰め、そして魔族に転生させてしまったのだ。
そう思うと、今ここに倒れている皆やこの世界の人々に対して謝っても謝り切れない気持ちになった。
「あはははははははは! シイル、分かる?」
そしてロナは狂ったように笑いながらくるりと体を翻す。
「私が魔族になったのはこの体と、この力が欲しかったからよ! ずっとずっと……前世から、ずーーーーっとね……見てよシイル、綺麗でしょ、今の私の体は……?」
そういうと魔王ロナは倒れこんだ俺の前に立ち、マントをそっと脱ぎ捨てた。
……ゲームに出てくる魔族がよく身にまとうような、露出の高い服とともに彼女の肢体があらわになる。
(……クソ! 何考えてるんだ俺は! ロナは妹だろ!?)
美しい銀髪に赤い瞳、そして引き締まりながらも柔らかそうな肌。
『魔王ロナ』の、その恐ろしいほどの美しい相貌に俺は一瞬トクン、と胸がなり言葉を失った。
「もう、さ……私のこと、誰にもブスなんて言わせないから……!」
ロナ……いや、ロナだった魔王は緑色の血を滴らせながら俺の頬に手を触れて呟く。
その刹那、不意にロナの殺気が緩むのを感じた。
「だからさ、シイル? これで分かったでしょ?」
「……何がだ?」
「……私とシイルは……もう血が繋がってないし『兄妹』じゃないってこと。……だからさ、シイル? これでシイルと私は……け」
「隙あり!」
だが、その一瞬の隙をついてマルティナがロナを切り付ける。
「ぐ……! 邪魔な……!」
袈裟斬りに放ったその一撃に、さすがの魔王ロナも苦悶の表情を見せる。
……が、浅い。
「フ……フヒヒ……! いい、痛みだったよ、魔王様……! まだまだ、ドMのあたしは満足してないよ! さあ、来てよ!」
マルティナはことあるごとに自分を『ドMである』と叫ぶ。
実際に彼女は、人から痛めつけられたりさげすまれたりするときに恍惚とした表情をいつも見せていた。
……そして今もまた、彼女は興奮するような表情でロナに対して剣を構えた。
「マルティナ……この女……!」
「ロナちゃん! あんたがシイルの妹だってことはもう忘れるよ! ……シイルは、あたしが守るから!」
「…………」
先ほどのロナの一撃も、魔王の薄皮をわずかに傷つけただけだったのだろう、痛みを覚える様子もなくロナは振り向き、氷のような目を見せた。
そして魔王ロナは独り言のように呟く。
「やっぱり邪魔ね、あんたは……」
弱冠14歳の女勇者マルティナは、その年齢にそぐわないほどの胆力を持つ。
ひるむことなく見据えるのを見て、ロナは不快そうな表情を見せた。
「そんなにシイルが大事?」
「当たり前でしょ! シイルのこと、あたしは大好きだよ!」
「気に入らないわね……。けど、今あんたを殺したら、あんたはシイルの中で生き続ける、か……。なら……いいことを思いついたわ!」
そういうと、ロナの全身から凄まじい魔力がほとばしる。
「ぐは!」
「きゃあ!」
その魔力に、満身創痍だった俺たちは勢いよく跳ね飛ばされ、ボロボロになった壁にたたきつけられた。
そしてロナはゆっくりと、倒れ伏したマルティナに近づいていく。
「フフフ、あんたの持つ勇者の力も、鍛えたレベルも、全部封じてあげる……! 二度と戦えない体にしてあげるわ……!」
マルティナは、立ち上がれないようでこちらを見据えながら辛そうに頭を下げた。
「ゴメン、シイル……」
「う……くそ……俺は……諦め……」
マルティナにかけよろうとしたが、体がもう動かない。
急速に意識が薄れる中、ロナはゆっくりとマルティナに近づいて、何かの呪文をかけた。
「術式はこれで完了ね……せっかくだから、他の連中にもかけておかないとね……」
そういいながら、ロナは倒れていた仲間たちにも同じように魔法を唱える。……俺はそれを見ているしか出来なかった。
「最後はシイル……あなたの番ね? 田舎で精々畑でも耕して暮らしていなさい?」
(くそ……あの優しいロナがこんなことするなんて……! 俺が……全部悪かったんだ……! 俺が、全部……)
そう思いながらも、目の前が暗くなってきた。
「術式完了。これでもう戦えないでしょ……? 私が世界を征服するまで、村で大人しくしててね、シイル……。私はシイルを絶対……絶対に迎えに行くから……」
そして俺が完全に気を失う一瞬、ロナのその悲しそうな一言とともに、唇に何か柔らかくて暖かく……そしてどこか悲し気な感触が伝わった。
……そして俺たちは全滅した。