3-1 ロナ編 ロナはシイルを兄でなく異性として愛しています
魔王ロナは魔王城の玉座に座り、側近の男の報告を聞いていた。
「報告します、魔王ロナ様」
「どうしたの、ニルバナ?」
「先日、シイル様のもとに派遣したホワイトドラゴンが、戦士グリモアと僧侶アリーナを始末したとのことです」
「そう……。もう、後戻りできなくなったのね……」
魔王ロナはそういいながら、ふう……と玉座に座ったままため息を着いた。
その姿を見て、ニルバナと呼ばれた側近の男がニヤリと狡猾そうな笑みを浮かべた。
男は気品のある執事長が身に着けるような外套を身にまとい、その長く伸びた耳はロナと同様人外であることを伺わせる。
そして彼は、慇懃な態度で答える。
「ええ……。グリモア様もアリーナ様も、シイル様にとっては大切な仲間でした。それを間接的にとはいえ奪ったのですから……もはや、シイル様と対話での交流は難しいかと」
「……いいわ。前世でも今世でもシイルに迷惑ばかりかけてた私なんかが、普通に告白しても……受け入れてくれる訳ないもの」
そういうと、ロナは少し寂しそうな顔をして窓を開けると外の空気を吸った。
因みに、先日シイルたちと戦ったときにあちこちに着いた城の傷は全て修復されている。
「ニルバナ……あなたのいうとおりにして、本当にシイルと結婚できるの?」
「ええ……ご安心を。グリモア様やアリーナ様の死は、全て想定内ですので」
この男の名前はニルバナと呼ぶ。
かつての魔王直属の配下『四天王』の筆頭であり、その高い魔力だけでなく参謀としての実力も評価されていた。
そして、前魔王とロナの魂を入れ替えたのも、この男だ。
なお、前魔王の魂と元のロナの肉体はすでに『魔王ロナ』の魔力により、消滅させられている。
ニヤニヤとした笑みを崩さないまま答えるニルバナに、少し業を煮やしたような様子で魔王ロナは尋ねる。
「それならいいけど……あなたと私の契約……忘れていないわね?」
「ええ……。あなたが魔王と肉体を取り換える代償に私は『あなたとシイル様が、ともに夫婦として永遠に添い遂げられる世界を作る』という夢を叶えること……でしたね?」
「そうよ。……私はあんたに利用されてあげるから、その約束だけは守って?」
「それであれば、ご安心を。我ら魔族にとって、契約は絶対です。あなたのその願い『は』命に代えても叶えさせていただきますので……」
ニルバナはよく整った容姿をしているが、目は細く常に笑みを崩さないこともあり、ロナは全く信用していなかった。
彼と行った契約も、以前から露骨に含みがある言い回しをしている。
そのことはロナにも分かっていたが、少なくとも『兄であるシイルと、血のつながりを絶つ』という最大の目的を達成できるのは彼しかいなかった。
そのため、彼女はこの男ニルバナを利用し、そして利用される道を選んだ。
ロナは、叢雲の隙間から顔を出した満月を見ながら呟く。
「こんな月夜は……あの頃を思い出すわ……」
「あの頃、ですか?」
「ええ」
そういいながら、ロナは目を閉じたまま、心地よい夜風を体に受けながら、そっと歌を歌い始めた。
「きっと、僕らは大人になったら思うよ~♪ あの時に見つけた思い出のかけらが~♪ 宝物になるから~♪」
魔王の肉体は、その声もまた多くのものを魅了する力を有している。
参謀ニルバナも、彼女の歌声がひとしきり終わったところを見て、少し表情を和らげながら尋ねる。
「フフフ、素敵な歌ですね。……ですが、その曲は聞いたことがないです……元の世界の歌ですか?」
「ええ。……私のクラスの合唱祭で歌われた曲よ?」
「そうなんですか……ロナ様の学生時代の思い出の歌……ですか?」
「ううん、ちょっと違うわ?」
そういうと、ロナは首を昔を思い出すような表情で呟く。
その表情は在りし日の『シイルの妹』であった姿をほうふつとさせる。
「あの時の私はブスでいじめられてたから……『お前が歌うと、邪魔だ!』とか……『練習に来ると迷惑だ!』とか、色々言われてね……。練習は勿論、本番の時も家に籠っていたの」
「そうだったのですか……辛かったのですね……」
「けど、シイル……当時はお兄ちゃんね……。合唱祭の日の夜に私をスタジオに連れ出して……一緒に、この課題曲を弾いてくれたのよ」
「ほう、シイル様が『すたじお』を?」
それを聞いて、ニルバナは一瞬だけ驚いたような表情を見せた。
この世界に「スタジオ」というものはないが、聡明な彼は文脈から『楽器の演奏を行える貸し部屋の一種』と類推出来たのだろう、話の腰を折ることなくうなづいた。
「ええ。『今夜はさ! 俺たちで、二人だけの合唱祭をやろうぜ?』って言ってくれてね? ……ピアノとシイルの弾き語りに合わせて、一緒に歌ったのよ。シイルがテノール、私はアルトでね」
「そんなことが……シイル様はピアノのご経験が?」
「そんなものないわ。けどきっと、相当練習したのね……凄い上手だったわ……」
ロナは少し涙ぐみながらも、その時を思い出しながら呟く。
「私は……前世で、シイルにあれだけ優しくしてくれたのに、何もしてあげられなかった……あんたの言うとおりにして本当にシイルは私を好きになるの?」
その質問に、ニルバナはいつものニヤニヤ笑いに戻って答える。
「無論、私のいうとおりにすれば、必ずシイル様はあなたを愛します……いえ、『愛さないとならない状況』にします」
「愛さないといけない状況?
「ええ。まずは、この世界を手中に納め、それを楯に強引に彼と婚姻を結ぶのです」
そういうが、ロナの表情は暗い。
「……無理に結婚しても、私を愛してくれるの?」
「最初は抵抗するでしょう……。しかし、あなたのその美貌を持って契りを結べば、必ず魅了できるはずですです。ご安心ください」
「そ、そう?」
ロナは少し顔を赤らめながら、自身の豊満な胸を見て恥ずかしそうにするのを見つめながら、ニルバナは答える。
「ええ、あなたの肉体にはそれだけの魅力があります。それに、他にも手は打っておりますので、ご安心を……」
そう話していると、突如王城の扉が開き、一人の少女が飛び込んできた。
……彼女は、シイルたちがいた村にいた『村長の孫娘』と呼ばれていたものだ。脱げかけた帽子の下から魔族特有の角がチラリと見えている。
「す、すみませんニルバナ様! ご報告です!」
「ええ、どうされました?」
「シイルさんが……シイルさんが、村を出てしまいました!」
「ええ!?」
「ほう……」
それを聞いて、ロナは驚愕と恐怖の表情を浮かべた。
「そ、そんな……じゃあ、村はずれの門番……ホワイトドラゴンに……やられた……ってこと?」
「い、いえ! ……シイルさんとマルティナお姉ちゃんは……! あのドラゴンを倒しちゃったみたいです!」
ホワイトドラゴンの強さはロナもよく知っている。
その発言に、ロナは信じられないといった表情で少女に詰め寄る。
「なんですって!? あのモンスターを? どうやって!?」
「わ、分かりません! ただ、私も……きっと返り討ちにあって逃げ帰ってくるって思ってたから……! 報告は以上です! それでは!」
そういって足早に少女は謁見室を立ち去った。
だが、それを聞いた参謀ニルバナはククク、と嬉しそうに笑みを浮かべた。
(……流石は伝説の勇者殿と魔導士殿だ……私の期待を超える働きをしてくれる……)
だが、その独り言はロナには聞こえなかった。
ロナは思わずニルバナの胸倉を掴みあげて焦ったように尋ねる。
「ちょっと、どうするのよニルバナ! ……シイルを村に縛り付けて置く作戦だったでしょ!?」
「ええ、その予定でしたが……どうやら、シイル様を見くびっていたようですね……」
ロナたちは、意図的に『優しい性格の住民』だけを選別して、村に残すようにしていた。
そして村人を説得して魔族を一人派遣し『村長の孫』として村に住まわせ、彼女にシイルたちの行動を監視させていたのである。
そうすることでシイルたちを村に留めるように促しつつ、その間に世界を征服する……という作戦をロナは聞かされていた。
……が、その作戦は瓦解したことを理解したロナは、慌てた様子でニルバナに詰め寄る。
「ですが、無論策はあります。……シイル様らの次の目的地は王城でしょう……」
「そうよね。この魔王城に向かうなら、絶対にあそこは通るもの」
「そこで、四天王の一人である古龍『リア・ヴァニア』と彼女の眷属をぶつけます」
「ええ!?」
四天王リア・ヴァニアは、シイルたちが倒したホワイトドラゴンの上司のような立場であり、実力でいえば四天王の中では最強格だ。
それを聞いて、ロナは驚いて尋ねる。
「四天王をぶつけてどうするの?」
「彼女たちにさんざんに王城と城下町を荒らしてもらいます。……そして王城を焼け野原にすれば、シイル様達も村に帰るか……或いは復興のためにその地に留まらざるを得ないはずです」
「その隙に他国に侵攻するってこと?」
「左様。……万が一にも彼女たちが『レベル1』のシイル様達に倒されるなどないでしょうから」
それは正論だと思ったのか、ロナはうなづく。
「……そうね。あまり人が犠牲になることは好きじゃないけど……けど、シイルと結婚するためなら……仕方ないわね」
それを見て、ニルバナはニヤリと笑って答える。
「ええ。可能な限り、死者は出さないようにいたしますよ。……私は人類を愛していますから」
そういうとニルバナは体を霧のように変化させ、そのまま屋敷の外に飛び去って行った。




