プロローグ1 妹は魔王になったけど
「はあ……はあ……もう、立っているのは……」
「……シイルと……私だけみたいだね……MPはあとどれくらいある?」
「悪い……もう、ガス欠だ……はは、魔導士失格だよな、俺は……」
「ううん、よく頑張ったよ、シイルは……ありがとね、今まで……」
漆黒の玉座の前で、女勇者マルティナは魔導士の俺『シイル』に笑みを浮かべてくれた。
周囲にはおびただしい血が飛び散っており、壁は戦いの余波でボロボロになっている。
マルティナの長い髪は血でべっとりと汚れており、身に着けている鎧もあちこちにヒビが入っていた。
俺はローブから回復薬を取り出し、マルティナに振りかける。
「悪い……これが最後の回復薬だ……」
「そう……もっと、用意するべきだったね……」
「……くそ……『ごり押しプレイ』のツケが今来るなんてな……」
俺たちのパーティは、高いレベルと能力値にものを言わせた戦い方でここまで来た。
戦闘はしょっぱなに最大火力の魔法をぶっぱなして敵を蹴散らすようなやり方だ。
そんな戦いをしていたこともあり、回復は治療術に頼りきりであり、アイテムなんてろくに買い整えていなかった。
……だが、そのことを今更になって激しく後悔している。
そして、勇者マルティナがふらりと立ち上がるのを見て、玉座に腰かける美しい女性は笑みを浮かべて呟いた。
「ふうん……二人とも……この魔王を前に、まだ立てるのね?」
俺たちの目の前にいるのは、魔王『ロナ』だ。
漆黒のマントに身を包んだ、恐ろしいほどの美貌を持つ彼女だが、まるで爆発前の時限爆弾のような凄まじいプレッシャーを感じさせる。
「なんとか……ね……! いこう、シイル!」
「ああ! 俺は……諦めない……ロナ、お前を止めてみせる!」
そう言いながら立ち上がる俺たちを見て、魔王ロナは、ニヤニヤと笑いながら余裕そうな笑みを浮かべる。
「ふうん? ……まだ、その女のことを信じてるのね、シイルは……」
俺たちが彼女に与えられたダメージは、腕に付いた10センチほどの切り傷だけだ。
あれですら、先ほどまで戦ってくれていた戦士グリモアが捨て身の最終奥義によって与えたものだが。
……まったく、ここまで俺たちと魔王との力の差があるなんて思わなかった。
彼女は玉座から立ち上がると、俺たちに対してよく響く声で叫んできた。
「ねえ、シイル。もうわかったでしょ? ……あなたたち人間は、魔族には勝てないって……」
「さあな……」
「もう降伏しない? もし降伏したらさ……シイルには世界の半分をあげてもいいわよ? ……その女を殺すのなら、あなたを人間界の王にだってしてあげる……」
俺たちは、彼女を討伐しにこの魔王城に向かったのだが……すでに仲間の戦士と僧侶は地面に倒れ伏しており、意識を保っているのは俺とマルティナだけだった。
甘く美しい声でささやくロナを睨みつけながら、俺は首を振る。
「ふざけんな! 降伏なんて……するわけないだろ! なあ、マルティナ!」
「ええ……。私にとっては……こんな苦痛……ご褒美だから! フフ……フヒヒ……!」
彼女もボロボロだったが、そう叫ぶマルティナの表情は恍惚としていた。
「さあ、魔王様! もっとあたしに苦痛を与えてみてよ! もっとあたしをさげすんだ眼で睨みつけてよ! まだまだ……足りないからさあ!」
だが、その発言を半ば挑発と受け取ったのだろう、ロナは怒りとともに手に持っていた杖に魔力を込める。
「……こ、このヘンタイ! お兄……シイルから離れなさい!」
そして魔王ロナは杖から強力な光弾を放ってきた。
ガアン! と、凄まじい音とともにマルティナは吹っ飛ぶ。
だが、それでもマルティナは膝をつかず、くいくいと指を自分に向ける。
「た……足りないよ! こんなん、ドMの私にはご褒美にすらならないよ! もっと撃ってきたらどう!? 魔力が尽きるまで、受けてあげるから!」
「ふうん……なら、好きなだけ味合わせてあげるわ! くらいなさ……」
「もうやめてくれ、ロナ!」
だが、魔王ロナの前に立って俺は涙ながらに叫ぶ。
「なんでこんなことになっちまったんだ! ……俺たちは……血を分けた兄妹だったじゃないか!」
「双子の兄妹? ……確かにそうだったわね……」
「だろ? 日本にいた時も……この世界に転移したときも……ずっと二人で仲良く支え合ってきたじゃんか! なんで、魔王になって俺たち人間を傷つけるんだ……!」
……そう、魔王ロナは元々は俺の妹だった。
前世……現代日本でもそうだったし、交通事故に巻き込まれて今のこの『ファンタジー世界』に転移した後も、血を分けた兄妹として一緒に過ごしていた。
だが、数年前に突然、ある魔族の誘いを受けたことで妹は『魔王ロナ』として生まれ変わる道を選んだのだ。
(なんでロナは……人間の敵になったんだよ……!)
……そして今に至るまでロナは魔王として、多くの人間を傷つけ苦しめてきたため、俺は彼女を止めるために旅をしてきたのだ。
だがロナは俺の言葉を聞いて、ギリ……と歯をきしませる。
「支え合ってきた……? うそでしょ、それ……適当なこと言わないで!」
「え?」
「……前世でシイルは、いじめられてた私の傍にずっと、寄り添ってくれたじゃない!」
それは覚えている。
……だけど俺は保健室登校に付き添うことくらいしか出来ず、結局完全な復学にまでは至らなかった。
「それに私が志望校に受かるために、いつも遅くまで勉強教えてくれたでしょ?」
それも覚えている。
……だが、結局俺の実力が足りずロナを志望校に合格させることが出来なかった。
「この世界でも……いつもお仕事探してきて、私にご飯を食べさせてくれてたじゃない!」
それも同様だ。だが、当時は言葉も分からなかった俺が貰える仕事は低賃金なものばかりで、ロナにはいつもひもじい思いをさせていた。
そしてロナは大声で叫んできた。
「そこまでしておいて、なにが『支え合う』よ! そんなシイルとずっと一緒にいて、ずっと私が辛かったの、分からないの!?」
(ハハ……そうか、そりゃ、ロナも俺を嫌いになるよな……)
……なんだ、まったく俺はロナを支えられていなかったじゃんか。
一方的に自己満足な厚意を見せていただけの、ふがいない俺がロナに責められるのは当然だ。
だからロナは、力もないくせに愛だけ求める俺を嫌って、魔王に転生したということか。
……そう思っていると、ロナは俺に歩み寄り、思いっきり俺の顔をバシン! と張ってきた。
ロナのその目には、涙が溜まっていた。