第3章 スズランの嘘
保育園の一日先生を終えて、帰り道。西日が差し込む坂道を、遼とさくらは並んで歩いていた。
「……お疲れさま。どうだった? 子どもたち」
「うるせーし、暴れるし、マジで体力もってかれた……けど」
遼はぽつりとつぶやいた。
「なんか、悪くなかった」
「ふふ、でしょ?」
「でも、あれだな。先生って、ほんとすげぇ職業だわ。毎日とか、絶対無理」
「私は、夢だったんだ」
「……ん?」
「小さいころから、保育士さんになりたかった。でも……たぶん、なれない」
さくらは、笑いながら言った。だけど、どこかその笑顔は、空を見上げているように遠かった。
「なれないって、なんで?」
「秘密。でも、いつか遼くんには話すね。……もうちょっと先に」
その言葉に、遼は何も言えなかった。ただ、胸の奥がきゅっと痛んだ。
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その翌日。大学の講義が終わった後、さくらは遼を中庭に呼び出した。
「今日のラッキーフラワーは、スズラン。花言葉は“再び幸せが訪れる”」
彼女は、小さな白いスズランの花を押し花にして、しおりにしていた。それを遼に手渡す。
「遼くんに、これ。お守りみたいなもの」
「……また、意味深だな」
「だって、そうでしょ? 幸せって、すぐに遠くに行っちゃうから。追いかけないと」
さくらは、少しだけ寂しそうに笑った。
その笑顔が、どうしても引っかかって、遼はある行動をとる。
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数日後、さくらがいない講義の日。遼は、ふとさくらの友人・茜に声をかけた。
「……なあ、橘のことなんだけど」
茜は少し驚いた顔をしたが、すぐに顔を曇らせる。
「……あの子、自分じゃ言わないと思うから、言わないでおこうと思ってたんだけど……」
そう言って、茜がぽつりと漏らしたのは――
**“さくらは、心臓に持病があって、手術を繰り返してる。悪化したら、長くはもたないって、本人は知ってるの”**という事実だった。
目の前が、少しだけ滲んだ。
花が好きで、人が好きで、笑ってばかりの彼女が、そんな現実を一人で背負っていたなんて。
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その夜、遼はスマホを手にして、LINEを開いた。
さくらからのメッセージが届いていた。
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「今日のラッキーフラワーは、スズランでした。“再び幸せが訪れる”。私の嘘、いつか笑ってくれるといいな」




