プロローグ
「今日のラッキーフラワーは、ラナンキュラス。花言葉は“とても魅力的”」
大学の中庭に、彼女の声が響いた。昼休みのざわついたキャンパスの片隅で、毎日ひとり、花の名前と花言葉を発表している女の子がいる。彼女の名前は、橘 さくら(たちばな さくら)。教育学部3年。明るくて、優しくて、おせっかいで、ちょっと頑固。そして、やたら花に詳しい。
「へえ、今日の俺にぴったりじゃん」
その日、さくらの花占いを聞きながら、ちゃっかり昼寝しようとベンチに座ったのが、佐藤 遼。同じ大学の4年生。遅刻魔、課題未提出常習犯、出席日数ギリギリ。単位は毎年崖っぷち。キャンパス内での通称は「留年候補No.1」。
「……魅力的って言葉、自分で言う?ふつう」
「自覚ないやつが一番めんどくさいんだって、さくらちゃん」
「言い返す相手が違うでしょ。レポートの締切とか、出席表とか、もっと気にしなよ!」
初めて交わした会話は、そんなやりとりだった。
その日から、遼の生活に「さくらの花占い」が入り込んだ。
遅刻しそうな朝に「今日のラッキーフラワーは朝顔!花言葉は“結束”だよ、ちゃんと出席して!」とLINEが来る。講義中に寝そうになると、背後からそっとノートを差し出される。時には、一緒に単位がかかったレポートを徹夜で仕上げてくれたり。
正直、うっとうしかった。
でも、不思議と、嬉しかった。
何より――彼女が笑って「よかった、今日も咲いてたね」って言うたび、なんか、自分まで少しだけマシな人間になれた気がした。
だから俺は、卒業するまで、彼女と一緒に咲き続けるって、勝手に決めてたんだ。
……なのに。
彼女は、ある日、ふいにいなくなった。
最後のラッキーフラワーを、残して。




