23 コントン
黒い靄の森の中。何も問題なく進む。この先にキノコがないことは、もう分かっていた。けれど、この先に行くべきだと、なんとなく思った。大気まで黒く染められたその場所をひたすら真っ直ぐ歩く。そうして漸くその場所に辿り着いた。
ここが瘴気の中心部。そこには一人、男の人が倒れていた。随分前に命を落としたはずなのに、朽ちることなく、ただそこにある。彼こそが瘴気の源、溢れ出す怨念の依代、かな。
その体に触れた瞬間、この人の歩んだ非業の人生が走馬灯のように流れ込んできた。様々な光景が目の前で見ていたかのように目の前に蘇る。幸せだった時に感じた夕暮れの匂い。両親の葬儀と時に打たれて冷たい雨。初めて人を刺した時の感触と、その血の温かさ。その時に感じたであろう哀しみ、苦しみ、心の痛みまでが伝わってくる。なぜ見ず知らずの自分にそれがわかるのか、なぜこれほどまでに心が痛むのか。理屈はわからない。けれど、私の中の何かが彼と共鳴し、勝手に涙が溢れ出した。
自分を不幸にした者たちや、裏切った者たちへの恨み。自分を救ってくれなかった世界への絶望。それとともに、自分が殺め、苦しめてしまった人々への罪悪感が、彼を押しつぶそうとしている。
この世界にとっての不幸は、彼が命を落としたこの場所が、とりわけ陰気の強い場所だったというところなんだろうな。彼の絶望と怨念が土地の力と混ざり合い、この広大な瘴気溜まりを形成していったのだ。この人が魔王といえば、魔王なのだろう。
男の凝り固まった絶望が想いが、積み重なって重い塊となって周囲を蹂躙しようとしてる。この場に立つ私の結界を飲み込もうとして押し寄せてくる。この想いが彼を支え、彼を苦しめているものなのに。それを必死に守っているのもこの男の想いだ。
「もういいのだから。もう、楽になっていいんだよ」
私は呼びかける。この場でこのまま永遠に苦しむ事を選ばなくてもよいのだと。
【コントン】
短く唱える。周囲に渦巻いていた黒い重い塊が徐々に解けていく。積み重なった想いも、周辺の瘴気も、静かに全てが解けていく。全部を混ぜて、バラバラにして、あるべき場所に並べ直す。偏って凝り固まっていたモノが解きほぐされて、周囲の理に馴染んでいくのを感じた。彼が握りしめていた絶望というなの硬い塊を、マゼコゼの力で解きほぐしていく。重く、苦しく、絡まりあった記憶が、サラサラとした光の粒に変わって、風に溶けていく。
そうして、最後には男の身体すらも解けていった。それは消滅じゃない。澱みが無くなって、あるべき形となって世界へ還っていくのだ。
ふと、男の影が浮かんだ気がした。顔はよくわからない。だけれども、背の高い人のような気がした。ふと、お礼を告げられた、そんな言葉が聞こえた気がしたんだ。
「ちょっと待って。これ持っていって」
何か自分でも言っていることが変だとは思うけれども。慌てて鞄から食べようと思って持ってきたハンバーガーを一つ取り出して、男のいた場所に置いた。包んでいた紙包みを開こうとして、ほんの少し指が震えた。それからこれもコントンで分解する。ふわりとどこかの食卓の匂いがしたのは、きっと気の所為だと思う。
解き放たれた雰囲気に、少しだけこそばゆい気持ちになる。絡みついていた何かが解け、私の体もほんの少しだけ軽くなった。
後に残ったのは、かつて森だった場所。瘴気が晴れ渡った空は高いけど、地面には草一本もなく剥き出しのままで、木々は白く立ち枯れている。ふと、立ち枯れの木々の向こうに、竜崎さんたちの気配を淡く感じた。
「おっと、見つかったら大変だ」
彼女たちに見つかったら、せっかくの「料理人ライフ」が台無しになっちゃう。私は慌てて、彼女たちがいる方向とは反対へと足を向ける。来た道を戻ろう。
この仕事をやり遂げたのは、聖女様達御一行ということにしておいてもらおう。実際にたくさん頑張ったのは、彼女たちだ。私は私の役割を果たすために、来ただけだから。キノコは、諦めよう。まあ、森がこんな状態じゃあね。
カイさんが言っていた。聖女の浄化は、綺麗に消し去ってしまうものだと。けれど、コントンは違う。世界に戻し、還元する。力に示された選択肢は二つ、という話は本当だったんだね。
魔王になってしまった男の人。悲しいことばかりの人生だったのに、最後は存在そのものを消されてしまうなんて、あまりに寂しい。
私は、それを見極めるためにここまで来たのかもしれない。ガーベラも分かっていたのかもしれない。消し去るべきものならば、竜崎さんに任せればいい。けれど、あの人をただ解きほぐしてあげたいと願った私の手に、このへんてこな力が宿っていたことには、きっと意味があるのだと信じたい。
ガーベラがふんふん機嫌よく歩いていく。その横を私は歩く。やがてガーベラがまた立ち止まった。なんだろうと思うと、その先に奇妙なものを見つけた。それは打ち捨てられたかのように倒れていた、一体のゴーレムだった。ゴーレムの駆動源である魔晶石を入れる場所はタイプによって違うんだけれど、これは顔の額のところにはめ込む奴みたいだ。そこには魔晶石の残骸が残っているだけだった。その姿をみて、先程の男の姿に重なって見えたのかもしれない。ガーベラが、私の方を見る。
「そうだね」
砕かれた魔晶石の欠片を集めてみても、少し足りないようだった。けれどコントンの力でくっつかないかなっと試してみたら、なんと再結晶化してしまった。あれま、と思いながらも魔晶石に魔力を流すと、ゴーレムがゆっくりと立ち上がった。
「おっと」
思わずゴーレムを見上げる。身長は二メートル近くあるので、なかなかの迫力だ。
「姉御、あっしはアルスと申します。以後、お見知り置きをお願いいたしやす」
挨拶されてしまった。やってしまったかもしれない。ガーベラはふんと鼻を鳴らす。
「えっと、私はマッキーで、彼女はガーベラ」
ガーベラの自分を紹介しろという圧に押されて、思わず自己紹介をする。
「わかりやした。よろしくお願いします。マッキー姉御、ガーベラ姉御」
深々と頭を下げられた。うん、何か、とんでもない失敗をした気がする。
結局、アルスという新しい舎弟と共に、カイさんとハロルドさんの待つ街に戻ることとなった。




