宣材写真
芸能事務所、ケ・セランで凪人を担当しているマネージャー、橋本伸也は頭を抱えていた。というのも、同じ業界で働いている友人からおかしな話を聞いてしまったからだ。
『お前の事務所の大和君…だっけ? この前の映画のオーディションで凄かったらしいじゃないか』
きっかけはそんな会話だった。てっきり、想像以上の実力を発揮して皆の度肝を抜いたんじゃないかと喜んだわけだが、どうやらそんな話ではなく……。
「どうしよう」
このことは社長にも相談出来ず、今、一人で抱え込んでいる。今日は宣材写真を撮りにスタジオ入りする日だ。気は重いが、真相を確認しなければならないと思っていた。
時計を見る。そろそろか。
事務所の内線が鳴り、受付から凪人到着の一報が入る。ほどなく叩かれるドア。
「どうぞ」
なるべくいつもと同じ調子で話をしたいと思うのだが、気持ちの動揺が隠し切れない。声が半分裏返ってしまった。
「失礼します。橋本さん、おはようございます」
いつもながらの爽やかな笑顔だ。
「ああ、おはよう大和君」
「えっと、今日は橋本さんも同行なんですね?」
マネージャーとはいえ、小さな芸能事務所なのだ。スタッフの人数も限られており、いつでも付きっ切りというわけにもいかない。そのため、雑誌の撮影などはスタイリストだけが同行、ということも少なくない。今日は会社で使う宣材写真の撮影なので、社のイメージも関係してくるから同行なのだろう。
「ああ、久しぶりに一緒に行こう」
デスクの引き出しを開け、車のキーを取り出す。スタジオまでは大した距離じゃないが、車の中で詳しい話を聞こうと決めた。
一階の駐車場に停めてある社用車に乗り込むと、気付かれないよう息を吐き、大きく吸い込む。自然に。あくまでも自然に、を心掛け、切り出した。
「こないだのオーディションだけどさ」
上ずってしまいそうな声をなんとか抑えつつ訊ねる。
「はい」
「知り合いがいたんだって?」
「えっ?」
明らかに凪人が動揺したのを感じ取る。
「ギグナスんとこの子?」
「あ~、はい、ちょっとした知り合いで」
濁している!!
橋本は、心臓の音が少しずつ早く、大きくなるのを感じつつ本題に入る。
「大和君、控室での会話なんだけどさ、」
ビクッっと凪人の肩が震えた。聞かれては困ることを聞かれた時の反応だ。
「橋本さん、その話って…、」
明らかに『バレてしまったのか』の顔!
「うん、ちょっと小耳に挟んでさ。確認しておきたかったんだ。凪人君、ギグナスの子に(お前が好きだって)宣言した、って本当なのかな?」
「……あの、本当です」(遥が好きだと宣言した)
「…本当なんだ。で、その子も『俺も(お前が好き)だ』って認めたっていうのは…、」
「それも本当です」(俺も遥が好きだと昴流が言った)
凪人の返事を聞き、橋本が深い溜息をつく。そりゃそうだ。これから売り出そうというタレントが、まさかこんなスキャンダルを抱えていようとは。(違うけど)
「…恋愛はさ、勿論自由だよ。でも、さすがにあまりにもスキャンダラスなのは、」
「わかってます! 事務所に迷惑はかけないようにって理解してます! でも俺、こんなの初めてで、なんだか色々わかんなくなっちゃってて…、」
珍しく感情的な凪人に、橋本も悩む。
(そうだよなぁ、この前まで女性と付き合ってたもんなぁ。なんで急に…、)
「何か心境の変化があったんだね」
「そう…みたいです」
「まぁ、少し様子見ようか。もしかしたら今だけの…なんというか魔が差したようなアレかもしれないし」
「そんなことっ。俺、割と真剣ですよ? こんな気持ちになったことないからハッキリは言えませんけど、誰かを想って胸が苦しくなるとか、嬉しくなったり悲しくなったり、こういうのって今の俺には必要なことだって思ってます!」
(ああ…、)
これは重傷だ、と橋本は思った。あまり煩く言うと、逆に燃え上がってしまうかもしれない。少し放っておいた方がいいだろうと判断する。
「わかった。プライベートなことだもんな。大和君に任せるよ。もう大人なんだし」
「すみません、ありがとうございます」
ペコリ、と凪人が頭を下げる。
「さ、着いた。いい写真撮って、なんか旨いものでも食べに行こう」
「はい!」
*****
撮影は順調だった。数着の衣装替えを挟みながら、全体、上半身、顔とポーズを変えながら撮っていくのだ。凪人はモデルだけあって服の着こなしもポージングも上手い。
「よぉ、やってるか~」
そこに顔を出したのはケ・セランの社長であるルーク柴崎。アメリカとのハーフで、自身も昔はモデルをやっていたという、事務所の創設者だ。今でこそガタイのいいオッサンではあるが、若かりし頃の写真を見ると惚れ惚れするような美少年なのである。
「社長! 珍しいですね?」
凪人が声を掛ける。
芸能事務所の社長など、主な仕事は接待です、と言わんばかりに留守がち。所属タレントと顔を合わせることもあまりないのだ。
「ちょっと近くにいたから顔出しに来たのさ。どうよ、凪ちゃん?」
ルークが橋本に訊ねる。
「ばっちりですよ。彼、モデルとしての素質はズバ抜けていいですし」
「だよな~。俺が見つけた素材だもん」
自慢げに腰に手を当てるルーク。
まぁ、俺が見つけた、などと言ってはいるが、読者モデルだった凪人に最初に声を掛けたのはカメラマンの大原大喜で、大原経由でケ・セランに来たわけだが。
「宣材か…、あれ? そういや凪ちゃんこの前、映画のオーディション受けてたよな?」
「はい、受けましたけど…、」
もしや『例の話』がルークの耳にも!? と、橋本と凪人が体を強張らせる。
「これからも役者方面目指すなら、写真だけじゃなく動画も必要になりそうだな~」
二人がホッと胸を撫で下ろした。
「俺さ、明日から接待ゴルフで沖縄なんだけど、凪ちゃん沖縄来る?」
「え…? 沖…縄?」
「橋本ちゃん、誰か撮影クルー用意出来ないかな? 沖縄で宣材動画撮ろうよ」
「社長、そんな急に、」
「行きます!!」
凪人が右手を高く上げた。
「橋本さん、俺、手配手伝います! 行きましょう、沖縄!」
運が、向いてきた!




