実習終了
あっという間に時間が過ぎゆく。
二週間など、忙しくしていればすぐ過ぎる。その間、暇を見ては保健室に入り浸っていた凪人だが、とにかく保健室には生徒がいることが多い。(当たり前だが)遥との距離を縮めるどころか『私はそんなに暇じゃない』と言われる始末。実際凪人も、教育実習後半になるとやらなければいけないことが多く、そうそうお喋りに興じていられるわけでもなかった。
(このままじゃヤバい…、)
妙な危機感が凪人を襲う。
気持ちを伝えるどころか、最終日だというのに連絡先すらゲット出来ていないのだ。
そして、最後の空き時間。保健室に生徒がいないことを祈りつつ、また、ドアを叩く。
「谷口先生、いますか?」
ガララ、と扉を開ける。
遥は机に突っ伏して目を閉じていた。
「え? 寝てる…のか?」
傍らにはメガネが置かれている。
気付かれないよう、そっと近付くと、規則正しい息遣いが聞こえてくる。
凪人は丸椅子に座ると、じっと遥の寝顔を見つめた。
「メガネ外すとこんな感じなんだ…へぇ」
化粧っ気もあまりない遥は、しかし睫毛も長く美しい。(ように見える)こんな風に無防備なところを見せられて、手を出さずにいられようか。いや、無理だ。
凪人は無意識のうちに手を伸ばしていた。その髪に、その頬に、その唇に…触れたい。
「どうすりゃいいんだろうな。俺、マジでわかんないや。谷口先生、俺のこと好きになってよ……」
そっと髪に触れる。ピク、と遥の瞼が揺れた。顔を近付ける。そのまま頬にキスを…と、その瞬間、パチっと遥が目を開く。
「寝込みを襲うとは、フェアじゃないな」
「うわぁぁ」
凪人が驚いて飛び退く。勢い余って椅子から転げ落ちた。
「い、いいいつから起きてたんですかっ?」
尻餅を突いたまま顔を真っ赤にして(ま、青いけど)叫ぶ凪人を他所に、遥が大きく欠伸をする。そして、
「おいおい、大丈夫か?」
座り込んでいる凪人に、遥が呆れて手を伸ばした。
伸ばされた手を、不愛想に凪人が掴む。そしてそのまま遥を引き寄せたのだ。
「わっ」
結果、遥が引っ張られ凪人の腕の中に飛び込む形になる。
「なにをっ、」
小さくもがく遥を、凪人が抱きしめる。
「谷口先生…俺、もう我慢できない。俺、あなたが好きです。どうせ聞いてたでしょ? さっきの告白も」
耳元で囁き、頬にキスをする。
「急にそんなこと、」
照れくさそうに俯き呟く遥。凪人は体を離し遥の目をじっと見つめた。
「俺を見て」
遥が顔を上げ、潤んだ瞳で凪人を見つめる。
「好きです」
そしてそのまま、二人の唇が重なる。
……なんていう想像をするも、現実はそうはいかないのだ。
「大丈夫か?」
尻餅を突いた凪人に声を掛ける遥。
「あ、はい大丈夫です」
バツが悪そうに立ち上がる。さっきの告白、聞こえていたのだろうか。
「珍しいですね、居眠りなんて」
話題を変えようと、少し意地悪なことを言ってみる。と、遥が大きく欠伸をしながら返した。
「ふぁぁ、昨日は昴流が寝かせてくれなくてな」
(…ん?)
「昴流…くん、ですか?」
(寝かせてくれないってどういうことだ?)
「あいつ、始まるとしつこいから」
(は、ははは始まるとしつこい…?)
良からぬことばかり考えてしまう凪人。
「な、なにをして…、」
しかし、聞くのも怖い……。
「役作りだそうだ。電話でずっとカレントチャプターの話をしていた。熱心なのはいいことだが、私はいささか寝不足だ」
……オーディションのためか。
確かに、世界観や作品への理解度はオーディションを受ける上で重要な要素かもしれない。凪人は、いいことを考えた。
「谷口先生!」
声を荒げ、遥に詰め寄る。
「なんだ、急に大きな声を出して」
「俺に連絡先教えてくれませんか? 俺も役作りがしたいですっ」
真剣な顔で、頼み込む。
「えええ、」
あからさまに面倒臭そうな顔をする遥を見て、ズキンと胸が痛む。拒絶、されたのだ。
「……あ、そうですよね、すみませんなんでもないです」
(やばい、泣きそう…)
なんでこんなに胸が痛むのか。一刻も早くこの場を去ろう、そう思った時だった。
「凪人君」
急に名前を呼ばれ、驚く。
「え?」
振り返ると、遥がゆっくりと歩み寄ってくる。凪人の前に立つと、自分の掌を、凪人の胸に押し当てた。
(心臓の音、聞かれちまうっ)
凪人が焦っていると、遥が真剣な顔で、訪ねる。
「ここには何がある?」
「へ?」
何を言われているのかわからず思わずおかしな声を出してしまう。
「ココ、だ」
トントン、と凪人の胸を叩く。
「心臓…?」
「ココロ、だよ」
「心……」
「カレントチャプターは、上辺の想いなんかどこにもない。全部、心だ。心で…愛で出来ている。それを忘れるな。そうすればきっといい演技が出来るだろう」
神懸った遥の助言を、凪人は真剣に受け止めた。そうだ、心だ。愛だ。アニメを見たときに感じたあの感動。あれは台詞に心がこもっているからこそ、響いたに違いない。
「わかりました! ありがとうございます、谷口先生!」
「遥、だ」
「…え?」
「今日で実習は終わるんだろう? これからは私を『先生』と呼ぶ必要はない」
「あ…、だからさっき俺のこと名前で…?」
「そういうことだ、大和凪人君」
ぎゅんっ。
ただ名前を呼ばれただけなのに、テンションが爆上がる。
「それから、連絡先だな」
携帯を取り出し、掲げてみせた。
「あああああ、はいっ!」
凪人は満面の笑みで大きく返事をした。
遥はそんな凪人の頭をチラリと見る。二つの触角が、元気よくピーンと立って、時折、フリフリと楽しそうに揺れるのだ。
(犬の尻尾みたいだな)
そういえば、最近の凪人は犬っぽいな、などと考えていたのである。




