■第一章 6−2 月明かりの下で
本日の1本目です。
人狼の姿を見つけた浩介の体に緊張が走る。
が、不思議なことに、体に緊張は走るのに恐怖を感じない。今夜の人狼には殺気をまるで感じないのだ。考え事でもしているのか、人狼は少し前傾姿勢で佇んでいるだけで、襲いかかってくる様子もない。人狼の発する強大な生命力を感じ、体が自然と反応するだけじゃないのか、と、浩介は考えた。
浩介に追いついた真理恵も人狼を視認する。だが、彼女も恐怖を感じている様子はない。体の動きは少しぎこちないが、まったく警戒していないようだ。
真理恵を気にかけていた浩介は、同じ位置に真理恵とは違う存在がいることに気付いた。抜けるような天空の“蒼”のイメージ。それは、真理恵の胸の中心にいる、と感じる。
——と、人狼とこちらの状況を確認していた浩介は、人狼を前にして、自分が何をどうすればいいのか判断しかねていることに気付いた。
呼ばれているような気がして、こんな遠い場所まで赴いたが、人狼に何かしようと思ったわけではない。昨夜すれ違う瞬間に、その眼差しに『何かを言っている』『何かを伝えようとしている』と感じたと言うだけで、浩介に何か言いたいことや伝えたいことがあった訳でもない。それに、人狼とコミュニケーションが取れるとも実は考えていない。そもそも本当にここに人狼がいたこと自体に驚いている。
しかし、何故だろう。浩介は何故か喜びと安心を感じている。さっき聞こえた声——脳内に響いた声の主が、そう感じているんだろうな、と漠然と浩介は思った。
対峙してから数分。どう動いていいのか判らない浩介を前に、微動だにしなかった人狼がわずかに動いた。その場からは移動はせず、顔を浩介に向ける。その結果、浩介は人狼の顔をじっくりと見ることとなった。
狼のような犬科の頭部に、しっかりとした意志を感じる眼差し。黄色い眼球に自然と浩介の意識は引っ張られ、そして——。
気づけば、浩介は真っ白な空間にいた。ふわふわと空中に浮かんでいるかのような感覚。先ほどまで森の中の広場にいたはずなのに、それは周囲のどこにも見えない。ただ、空に浮かんでいたまん丸な月はそのままで——いや、先ほどまで見えていた月よりも大きく、そして近い位置で光を放っている。そのおかげなのか、辺りは明るくなっていて、まるで昼間のようだ。
先ほどまで肌で感じていた夜風も、聞こえていた木の葉が擦れる音も虫の声も、何もない。何も感じない。
近くにいたはずの真理恵は——いた。先ほどと同じ位置。だが、存在感は先ほどと同じではない。人狼と遭遇した瞬間に感じた、真理恵の胸の中心にいる、と感じた何かが、そこにいる“と感じる”。
そして、浩介に寄り添うように、《颶風》はいた。“彼女”は人狼に対して親しみを感じていて、同時に浩介に対して“笑顔を向けていた”。
そんな周囲の様子を、浩介は辺りを見回すことなく、意識で観察している。そんな自分の状況を、不思議だなとは思っても、どこかで納得している。
ふと意識を前方に向けると、そこに強烈な存在感があると気付いた。
生き物としてのエネルギーに溢れた、荒々しい何か。その何かに、暴力的な意志は感じない。冷静で、理性的で、敵意も感じない。
その何かが、太く、静かで、染み入るような声で浩介に語りかけてきた。いや、これは声なのか。それともただの意志なのか。どちらかは判らないが、ゆっくりと浩介に伝わってくる。
それは問いかけだった。
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——不思議だ。何故そんなに受け入れられる?
それは何に対してだろうか。多分《颶風》について言っているのだろう。だが、意味が解らない。浩介が《颶風》を拒絶すると思っていたんだろうか?
——そういう意味ではない。が、お前を彼女は別の存在だ。意志を通じ合わせることも難しい。なのに、彼女はお前を受け入れ、お前も彼女を受け入れている。
お互いを受け入れるのに何か必要だと考えているんだろうか。相手をこちらが思い、相手の思いを大切にして、同じ方向を進もう、と誘うだけ。それだけでいいのではないだろうか。
——なるほど。それはこちらの世界でも同じなのだろうな。だからこそ、か。だが、姫はどうだろう? まだ少し引きこもっているように見えるが?
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気づけば、浩介は意志だけで、問いかけてきた“何か”とコミュニケーションを取っていた。それは《颶風》を「彼女」と呼び、さらに「姫」という存在がどこかにいると伝えてきている。「彼女」とは一体……。
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——それは私です。ここまで導いていただいて感謝しています。久しぶりですね。『マ』の名を2つ重ねるモノよ。
——……ようやく逢えました。これだけで渡ってきた甲斐があったというものです。
——随分と無茶をしたものですね。“存在”が変質しているでしょう? 元に戻れるのかしら?
——さて……なかなか難しいかもしれませんが。それでもあなたに逢えた。時空を超えた先で、巡り会えたのです。
——まったく、ソレは禁呪であると知っていたでしょうに……。
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聞き覚えのある真理恵の声を似た響きで、「姫」は人狼と語り合っていた。せっかく意思の疎通が測れるし、聞きたいことはいろいろとあるのだが……口を挟む気にはなれない。
〜*〜 • 〜*〜 • 〜*〜 • 〜*〜 • 〜*〜 • 〜*〜 • 〜*〜 • 〜*〜
——もう一度逢い、きちんと伝えたかった。
——何を?
——アイを貴女に伝えたかった。
——アイ、ですか……?
——ずっと貴女の隣にいた。私の存在を受け止め、貴女は寄り添ってくれていた。だが、きちんとは伝えていなかった。だから、もう一度逢って伝えたかった。私はアイを貴女に捧げる。例え遠い場所にいても、ずっと貴女を想い、貴女が創建であることを願う。我らの間に時空の壁が立ちはだかっていたとしても。
〜*〜 • 〜*〜 • 〜*〜 • 〜*〜 • 〜*〜 • 〜*〜 • 〜*〜 • 〜*〜
人狼の“アイ”の告白に、「姫」は感激して声も出ないようだ。その様子に、同じく邪魔をしないように静かにしていた真理恵の意識が強烈に自己主張をしてきた。
〜*〜 • 〜*〜 • 〜*〜 • 〜*〜 • 〜*〜 • 〜*〜 • 〜*〜 • 〜*〜
2人の間にある障害、消せるかもしれません!
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突然の言葉に、その場所にいた全員? 全存在? が驚かされた。




