田舎に飛ばされた冒険者が、恩師と再会して励まされるだけの話
昔、『先生』は僕にこう言った。
「これだけはちゃんと覚えていて欲しい。貴方達が元気に生きていてくれるだけで、先生はとっても幸せだから」
きっと皆、話半分にしか聞いていなかった。
僕もそうだった。
だって『先生』の教え子は、みんな卒業してから大活躍。
若くして出世した者もいれば、偉大な功績を挙げた者もいた。
だから僕達に見えていたのは、これからの輝かしい未来だけ。
どうやって成功するかしか頭になかったし、成功しなければならないと思っていた。
◆◆◆◆◆
冒険者三年目の、夏。
田舎のぼろ屋に日が差し込んで、気怠げな朝が幕を開ける。
今日もまた、いやな一日の始まりだ。
のろのろと身支度を調えて、僕は冒険者ギルドの受付に向かう。
今日の任務は『教会の草むしり』。
やりがいもないし給金も安い。ただ、誰でもできるというだけの取り柄の仕事。
ここ一年ほどは、ずっとそんな仕事ばかり繰り返している。
誰も出来ないような仕事は、この町には残っていないのだ。
かつての僕は、こんなことを繰り返しているだなんて夢にも思わなかっただろう。
そんな昔の自分にだけは、今の姿は決して見せたくない。
いや、むしろ見せられるなら見せたいくらいだ。
調子に乗っているとこんな目に遭うって、あの日の自分に伝えられたら。
きっともう少し身の程を弁えていただろうから。
◆◆◆◆◆
「おう、遅えな。それじゃとっととやってくれ」
柄の悪い不良神父に頭を下げてから、今日の仕事が始まった。
草むしりをしながら、過去を淡々と回想する。
歯車が食い違ったのは、一体いつ頃だっただろうか?
冒険者ドリームに憧れて、田舎から上京してきたところまでは問題ない。
大陸一の冒険者ギルドに籍を置いて、そのギルドの修練生となったところもいい。
僕をあてがわれた先生が、ギルドで一番教えるのが上手いとされていた、『アルジェンヌ先生』だったということ。
そしてあの人に教えられて、僕も門下生の仲間と同じように、新米冒険者の中で抜きん出て強くなったこと。
きっとそこまでは何も間違えていなかった。むしろ恵まれていた。恵まれすぎていた。
順風満帆の人生だった。
間違えたとすれば、ここから先。
先生のおかげで強くなれた僕は、ここで一つ勘違いをしてしまったんだ。
それは、何が特別かということをはき違えてしまったこと。
アルジェンヌ先生は、どんな生徒でも一流に育てると有名な凄腕の教官だった。
そんな先生の下で学んで、僕も立派に強くなれた。
だけどそれは、僕が特別なんじゃなくて、単に先生が特別だっただけなんだ。
それを忘れて、僕は調子に乗ってしまった。
きっと歯車が食い違ったのは、そのせいだ。
◆◆◆◆◆
草ぼうぼうの教会の裏庭は、僕にとって相当の難敵で、仕事を全て終わらせた頃には既に日が暮れていた。
いつまでかかってんだよ、とぶっきらぼうな雇い主。
心なしか支払いもしたくなさそうに見える。
仕方ないだろう、こんな仕事をやる僕なんて、元々想定していなかったんだから。
未だに慣れていないんだ。心も体も、こんな僕に。
「ほらよ、『落ちこぼれ』」
乱雑に投げつけられる僅かな給金。それを丁重に受け取って、夜道を僕は帰路につく。
閑散とした田舎町は、この時間になると人気がない。
この町に来てはや一年半。
最初は絶望で一杯だったけど、最近はようやく慣れてきた。
この静かな街の風情も、これはこれで悪くないものだと思えるようになってきた。
いや、そう言い聞かせているだけかも知れない。
そんな田舎町でも外れの方、滑落しそうな山際のぼろアパートが、今の僕のねぐらだ。
ギイギイうるさい引き戸を引っ張って、四畳半の我が家に寝転がる。
なんだかんだで毎日そこそこ早く帰れるし、案外悪い仕事じゃないよな。
そう自分に言い聞かせながら、僕は戸棚の乾いたパンを、味も分からずに黙々とかじった。
◆◆◆◆◆
次の日の朝も、差し込む日差しが眩しくて目が覚めた。
どうやら今日も、嫌になるような一日が始まるようだ。
憂鬱な気分を振り払うように、僕はベットから起き上がって、割れた鏡に向き合いながらいつもの着替えに身を包む。
まともな仕事がなかったとしても、せめて格好くらいは襟を正しておきたかったから。
でも、その時初めて気付いた。
涙の筋が、知らず知らずに僕の目元から這い出て頬を濡らしていることに。
いつの間にか泣いていたことよりも、気付けなかったことにショックだった。
ついに限界だと悟った僕は、その日初めてギルドへ行かなかった。
◆◆◆◆◆
毎日の習慣である支部通いをやめて、僕が向かったのは丘の上。
街の景色を一望できる、近くで一番の見晴らし台だ。
山を登って辿り着いた頃にはもう日は昇っていて、街の営みは始まっていた。
市場の喧騒も、工房の金属音も、漁から帰ってきた船乗り達のかけ声も、一度に俯瞰できるのがこの場所だ。
当然僕の姿はその中にない。だけど街はつつがなく回る。
この町にとって、僕は不要な存在だ。
ああ、だってそうだろうさ。
片田舎にあるこの小さな町は、いつだって平和と安寧に溢れている。
そんなのどかなこの町で、冒険者が何の役に立つ?
荒事を任されるのが冒険者だ。
平和に暮らす人々の代わりに、危険を担うのが冒険者だ。
誰が言ったかは覚えていないが、僕の心に深く刻み込まれているその言葉は、今の僕には深く突き刺さる。
僕のような存在が必要ないこの町に、今の僕は閉じ込められている。
組織の上に逆らったことで、怒りを買って飛ばされたからだ。
あのときの僕は愚かだった。
下らない正義感を働かせ、ギルドのお偉方に刃向かった。
要らない人材だと思った上層部は、僕を僻地に追いやった。
その時初めて僕は自分が、特別じゃないと気付いたんだ。
アルジェンヌ先生に『特別』にしてもらっただけの『凡人』なら、このギルドには腐るほど溢れているのだから。
冒険者を必要としていないこの町では、僕の扱いは無職も同然。
仕事を恵んでやっているのだと、町の人々の目は冷たかった。
針の筵、無用の長物。
けれど勝手にここを抜け出せば、今度こそギルドにはいられなくなる。
ギルドから追い出されてしまえば、今まで築いてきた全てが水の泡だ。
滑稽だなと、自分でも良く分かっている。
どちらにせよ、もうギルドで僕が活躍できる道なんて、残っていないはずなのに。
希望があると自分を騙して、目くらましの中の日常を生きている。
そうしないと僕は、明日にでも死んでしまいそうだから……
「――――あれ?」
電光が走るような衝撃。
「ねえ、そこにいるのって『ゴルト』君じゃない?」
長らく『落ちこぼれ』としか呼ばれてこなかった僕の名前を呼ぶ懐かしい声。
「だよね、やっぱりゴルト君だ」
振り向くと、そこに立っていたのは天使だった。
はためく艶やかな銀髪。
人形のように透き通った肌。
それでいて、背筋がピンと整った、毅然で精妙な佇まい。
こんなに美しいものの名前を、僕が忘れるはずがない。
そこにいる理由は分からないけど、あの姿は間違いなく先生だ。
僕を導き育ててくれた、アルジェンヌ先生本人だ。
「アルジェンヌ先生」
思わず口に出した一言。
人の名前を呼ぶのなんて、一体何日ぶりだろうか。
掠れた僕のその声に、先生は一切嫌な顔をせず、にっこりと微笑み返してくれた。
「久しぶりだね。私のこと覚えててくれたみたいで嬉しいよ」
先生のような素敵な人を、僕が忘れるはずがない。
僕の方が覚えられていたことこそ驚きだ。
毎年沢山生徒を指導してきたはずなのに、僕なんかの名前を覚えてくれていただなんて。
朝、涙を流していなければ、こらえきれずに泣いていた。
でも既に泣いてしまっていた僕は、感動よりも先に申し訳なさの方に耐えられなくなった。
「ごめんなさい、先生」
自分でも制御できないほど無意識に、僕の口からこぼれ落ちた謝罪の言葉。
「え、何が?」
困惑する先生を置いてけぼりにしながら、僕は鬱鬱と言葉を紡ぐ。
「先生に教えてもらったのに。立派な冒険者になれるよう、沢山のことを指導してもらったのに」
言い訳するように、僕は言葉を取り繕った。
「僕はこんなになってしまいました。毎日ただ淡々と、誰でも出来ることをこなすだけの駄目な奴になってしまいました」
先生は、自分の教え子がみんな活躍していると信じていたはずだ。
九割九分の教え子は、今も一線で活躍している。
ここまで惨めに落ちぶれたのは、きっと僕一人だけ。
「先生に、立派な姿を見せたかったのに……」
その時ふわりと漂う、ミントのような爽やかな香り。
「ゴルト君、落ちついてよく聞いて」
いつの間にか僕は、アルジェンヌ先生に抱きしめられていた。
シルクのような柔らかな腕が、僕の首筋をそっと撫でる。
「私、今から君に酷いことを言うかもしれない」
「酷いこと?」
「それでも、今君に言わなくちゃいけないことがあるんdな」
そう前置きして、先生は僕の耳元でそっと囁いた。
「私はね、教え子が出世したとか功績をあげたとか、そんなことははっきり言ってどうでもいいんだ」
「え?」
「私にとって大事なのは、生徒が元気で生きていること」
僕ははっとさせられる。
先生の口から聞くその言葉に、妙に聞き覚えがあったから。
そうだ。先生はいつも言っていた。
生徒が生きているだけで幸せなんだって。
あの頃の僕達は、話半分に聞いていた。
いつも先生が僕達に教えてくれる戦い方と同列の、単なる教示だと思っていたから。
「この数年、私のところにいくつも便りが届いたよ。元気そうにしている手紙は嬉しかった」
でも、そうじゃない。
先生にとって一番大切なことは、本当に生徒が生きていることだったんだ。
「でも中には、仕事中に事故で死んだとか、殺されて命を失ったとか、見たくもない便りも混じってた。最近はもう、手紙を開くのすら怖くなるほどだったんだ」
先生の手は震えていた。
思い出すだけで辛いのだと、鈍感な僕にも良く分かった。
「だから、君が生きていてくれて、本当に良かった」
手の震えをぐっと抑えて、僕からそっと体を離して。
まっすぐに僕の目を見据え、先生は優しい声で言う。
「君が生きていてくれたというだけで、私にとって君は自慢の生徒なんだよ?」
時は過ぎて、季節は移ろい。
夢に満ちていた僕自身は、こんなにも腐り果ててしまったというのに。
先生は何も変わらないまま、僕のことを肯定してくれた。
だけどそんな賞賛すら、僕はまっすぐに受け取ることができなかった。
だって僕は、生きようとして生きていたわけではないのだから。
「僕はただ、たまたま安全なところにいただけです」
後ろめたさから、思わず呟く。
そんな僕の迷いを吹き飛ばすように、先生はそっと首を振った。
「それも全部、君が掴み取った道だよ」
「左遷して、追いやられただけだったとしてもですか」
「それでも、君は生きてるでしょ? それでいいんだよ」
心の底から嬉しそうに、屈託なく笑う先生は、まるで太陽のように眩しくて。
反則だよ、そんなの。
「うっ、ううっ……」
僕の目から思わず、ぽろぽろと大粒の涙が零れる。
情けないよな。立派に自立した、一人の男のクセしてさ。
「ど、どうしたのゴルト君。やっぱり私、酷いことを言っちゃったかな」
慌てる先生の様子が妙におかしくて、僕は泣きながら笑ってしまった。






