これでいいだろう……だがしかし、だがしかしだ!
百鬼領内。戦線からも遠く戦略的に価値のない、とある雪深い辺境地区。ごく稀に日々の疲れを癒しに妖怪達がやって来る寂れた温泉街。大層古びた宿に人目を憚るように妖怪達が集う。紋付き袴で黒服を数人引き連れたヤクザのドンのような風体の者もいる。後は高級将校や大物政治家、財閥の会長と言った風な類いか。皆が奥の広間に通されて座蒲団に座る。名目上は単なる古株幹部の慰労会ということなのだが。
「さて、皆の衆」
紋付き袴姿のタコの頭のような妖怪が上座から皆に話し掛けた。ぬらりひょんだろうか?
「本日お集まり頂いたのは、今後の百鬼の行く末についてなのだが」
しばし、沈黙が続いた。
「このままでは、イカンよなぁ」
化け狸の親分が口を開いた。それを発端に皆が意見する。
「だからあの時、永田町を襲撃するなど反対だったのだ!」
「ウチも若い衆が全員ハルマンめに殺られおった」
「ハルマンはもういない」
「何を言っている、弟子共がおるわ!」
「どうするのだ、我らは狩られるばかりではないか?」
「戦略的に勝利すれど、局地戦では毎度のこと惨敗だからなぁ」
「当たり前だ、彼奴ら我々を狩るプロではないか?」
「古から退魔の者共に勝ったためしはない」
永田町事変から世界内戦、小はテロ活動にゲリラ戦。ある程度の実効支配地域の拡大は出来たが、決定的な保障と安全は何もなく、結界に護られた境界線は実のところ一度破られたら取り返しがつかないほど脆弱なのだ。
「何か決定的な切り札が必要だと思わないかね諸君?」
と、ぬらりひょんは言った。
「それは鬼院様にお任せして…」
誰かが言いかけたが、ぬらりひょんは言った。
「それがいけなかったと思わんか?ハルマンめに暴露されてからというもの、あの方が積み上げてきた秘匿の策略は総て水の泡。姫様の知らぬ存ぜぬのやり過ごしを無視しての独断専行は、いやはや自暴自棄としか思えぬ。やはり、ハートマン暗殺からの私怨であろうか?」
黙してうなずく者、天を仰ぎ黙る者。
「で、有り体にどうせよと?」
見上げ入道が言った。しばし、沈黙の後でぬらりひょんは答えた。
「そろそろ、表舞台から退場願いたい」
全員が上座のぬらりひょんを見て凍りついた。そこに大音声で爆笑する見上げ入道。そして真顔に戻ると一つ眼がギロリと睨んだ。
「貴殿は鬼院様が恐ろしくはないのか?」
皆は固唾を飲んだ。
「この、ぬらりひょんとてあの方は恐ろしい。だがしかしだ。全面的な戦となって負けた場合は戦犯として我らを裁くのは誰だ?見上げの御坊よ」
「ふん、人の家に上がり込み勝手に茶や菓子など食うだけの奴かと思えば、似たように勝手に上座へ座りこみ、ずいぶん偉そうに弁が立つものよなぁ!儂らは貴殿の部下になった覚えはないぞ!」
巨大化仕掛かる入道だが。
「見上げ入道、見上げたり!」
と、ぬらりひょんは一喝、
「な!?」
驚く入道はみるみるうちに縮み、親指ほどに小さくなってしまった。
「貴殿、何故儂の弱点を知っておる!?」
「なに、驚くにはあたらんよ?みなこれに書いてござる」
ぬらりひょんが懐から取り出したのは“色彩豊かな本”だった。
「上臈蜘蛛殿、鼓舞羅女官殿、皆にもこれを…」
蜘蛛を想わせる髪結いの、時代劇に出てくる腰元のような姿の女郎蜘蛛だろうか?それに蛇顔の公卿の子女が結うような髪型が名前の通りコブラを想わせる蛇女。異界の色香漂う美妖女が妖怪達に人数分本を配る。
「退魔の者共の教本でござろうか?」
「ほほう、絵草紙とは!」
「流石はぬらり殿、よくぞ手に入れられたものよ」
ぬらりひょんは腕組みしたまま眼を閉じて黙している。やがて、読み耽る妖怪達から…。
「お、おい…おい~ッ!?」
最後の“おい”は悲鳴だった。それもそのはず。鵺は驚愕した。
「どうされた鵺殿?」
と、ぬらりは静かに問いた。
「こ、これはまことか?」
鵺の鋭い爪が指す本の表紙、“児童書”と書かれていた。題は『世界の妖怪大百科』だ。
「童が読む本とな!?」
「誰だ?こんなふざけたモノを書いた奴は、暴露にも程がある!」
「み、みず…き?」
誰かが、監修だか作者だかの名前を見て腰を抜かした。
「妖怪大翁様ではないかぁ!?」
「なにっ?これは共著が山ン本様?神ン野様?では御座らんか!?」
「あまりの仕打ち!」
全員が青ざめた中で、化け狸が言った。
「ということは何か?」
『世界の妖怪大百科』を抱えた子供に化けて。
「つまり“おじさんは退治してもいい妖怪なの?”とか喰おうとしたガキに言われるのか?儂らは?え?」
ぬらりは答えた。
「あぁ、残念ながら可能性は無くもない。もはや魔法、まじないの類いは人間共には常識よ。迂闊に襲ってみろ、返り討ちにあうは必定よ。護身術程度に学べるものであるらしい」
しばし沈黙の後で誰かが言った。
「詰んだな」
再び、ぬらりは口を開いた。
「鬼院様の仰有る『妖怪は人を喰い、退魔師は妖怪を狩る』という理は最早破綻した。妖怪大翁様はかの本を出す事により、“別の道を模索せよ”と仰せになりたいのだろうよ」
歌舞伎の装束をした大百足が言った。
「待たれよ。それは正に“八百万”の示す道ではないか?そもそも、この絵草紙。お主の事も記してはあるが、なんだこの“謎の多い妖怪の総大将”とは?それに比べて拙者の弱点、退治の仕方まで記してあるのに、貴様、まさか…?」
「応よ、妖怪大翁様に拝謁を賜り、平身低頭し、土下座し懇願し、どうかお許しをと願ったのよ。このぬらりひょんとて命は惜しい、何が悪い?」
当然の事ながら、ぬらりひょんへ野次、罵倒が飛んできた。
「だまらっしゃい!この田舎妖怪共が!!」
ぬらりは畳を叩いて怒鳴り付けた。さらに。
「いいか貴様ら?鬼院めらの秘匿の策に胡座をかいて、隠れ里でぬくぬくと安寧を貪り、配下の者共が狩った人間を労なく喰う。そんな田舎大名のような暮らしがいつまでも続くと思ってか?儂は自ら人間の社会に赴き見聞を広めたのよ。無論、其処の百足侍の言いたげな“八百万”とも通じた。裏切りと謗りたければ言うがいい。だが、主らの中にも“八百万”の“百鬼内部クーデター”の企てに加担する者、知って見ぬふりをする者、総て儂は知っておる。だが誰がとは言うまい。事ここに至っては是非もなしよ。」
公卿装束の化け狐が問いた。
「我らに危機感が足りなかったと仰りたいのは尤もでごじゃる。して、妖怪大翁様はやはり八百万を御贔屓か?」
「いや、中立のお立場は変わらぬようだ。されど、戦となるを善くは思っておられぬ」
化け狐は尺を口に当て思案した後。
「ならば、主殿は戦を避ける策を御大より授けられたのでは在るまいか?」
ぬらりは静かに言った。
「ここに御座る」
巻物を恭しく捧げ持つと、慎重に拡げて見せた。それはドレス姿の妖艶な美女が画かれた掛け軸のようだった。
「これぞ、妖魔神界に御座します妖怪大翁様はじめ貴神の方々より授けられたる“封神掛け軸”なるぞ!」
妖怪達は頭を垂れた。後に、口々に問う。
「して、どのような?」
「鬼院様の絵姿で?」
「はて、顔が御座らんが?」
ぬらりは説明した。
「これを用いて、鬼院を封印し神として奉る。使い方はただ見せればよいとの仰せだ。封神成って顔が現れるモノらしい」
ぬらりひょんは絶対の自信があるようだが、問題は誰が用心深い鬼院に近づき封神掛け軸を見せるかだ、ネズミがネコに鈴をつける様なものだ。失敗すれば命はない。誰もが困ったように互いに顔を見合わせた。
「まぁ、なんだ。“腹が減っては戦が出来ぬ”というから、此処等で昼飯にせんか?上臈蜘蛛殿、鼓舞羅女官殿、宜しくお願いいたす」
と、ぬらりひょんは美女妖怪達に合図した。小妖怪達が美女妖怪二人に指示されながら給仕する。豚鼻のようなガスマスクに貧乏くさいツギハキだらけのツナギ服、足は短く腕は長く立ったときの猿のようだ。
「戦を止める企てに“戦が出来ぬ”とは此れ如何に?どうも和楽先生!」
“和楽”と呼ばれ、ぬらりひょんは振り返る。
「やぁ、蒼鉄君。来たね」
料理の膳が運ばれるなか、簡素な軍装の青鬼。蒼鉄は妖怪の長老達に恭しく頭を下げた。
「鬼成党の幹部、鬼の蒼鉄であります。ぬらりひょん閣下のお計らいで、此度の馳走役を仰せつかり光栄であります!」
挨拶に一応の拍手で迎えた
妖怪の長老達ではあるが、盛り上がりには欠けていた。今後を憂い、それどころではない様子。
「皆様のお口にあいますかどうか…」
膳が並べられ、料理に箸をつける妖怪長老達。
「「美味い!」」
口々に絶賛する。人の肉か?と問う者に、猿と豚を融合させた新生物だと答える蒼鉄。本物の人間の代用品として、“人形”と呼ばれるクローンが存在するが、この「ポーキー」は合法だ。製造法は神秘の開示以前から開発が進められていた。最初の理論構築は“稀代の魔術師”による。蒼鉄はそれを祖父から受け継ぎ開発を進めていた。まだ、人間の皆原怜太という名の学者だった頃からだ。彼が何故「百鬼」にて“鬼に成る”事を選んだかは後程語る。
「さて、さて、諸君。喰いながら、呑みながらでよい。蒼鉄君が今から余興で面白い話をするそうだ。是非とも聞いてやってくれたまえ!」
宴たけなわで、ぬらりひょんはそう切り出した。
「上臈蜘蛛殿、鼓舞羅女官殿準備を願います」
蒼鉄は、美女妖怪二人の用意した大型モニターの前で、恐らく歴史上は空前絶後にして破天荒となる作戦を説明した。それは“神秘の開示”に勝るとも劣らない世界をひっくり返す程の大作戦だった。
「それは、真か?」
「我らに考えもつかぬ奇策!」
絶賛する妖怪の長老達だったが、鬼院の一件となんの関係があるのかと問う者もいた。
「まあまあ、仕掛けは仕込んで御座る。これは手始め。人間共の動きに呼応して、からくる罠で御座るよ?」
そう言って、ぬらりひょんはほくそ笑む。
「さて、例の“封神掛け軸”この蒼鉄に託そうと思う。異議ありや?」
ぬらりの提案に異議を唱える者はいなかった。先の奇策を考え付く者なら鬼院を出し抜き、成功が期待できる。もし、しくじってもしょせん“元人間”だ、責任を総て負わせて自分らは知らぬ存ぜぬを決め込む腹だ。
「ご苦労だった蒼鉄君。同僚の御二人。下がってよい」
“封神掛け軸”を恭しく受け取った蒼鉄と美女妖怪二人は小妖怪ポーキー達を伴って退場した。後に意外な人物に掛け軸は手渡される事になると、ぬらりと蒼鉄達以外は誰も知らない。
「首尾は上場といった処でしょうか主殿?」
長い廊下を歩きながら蒼鉄の右の上臈蜘蛛が言った。左の鼓舞羅女官は頷く蒼鉄を見て。
「お姫様もお喜びと思いますぞ?」
やがてポーキー達を廊下に待たせ、奥の豪奢な座敷部屋の前に立つ蒼鉄。時代劇の姫の部屋のように、丁重に美女妖怪二人が左右の戸を開ける。
「蒼鉄、待ちかねたぞ?」
声の主は五百山ラゴウだ。例の掛け軸を捧げ渡す蒼鉄。
「ぬらり閣下から此方を姫にと」
「うむ、流石ぬらりの爺よ」
艶やかな“かいまき”を翻し、手に取り眺めるラゴウ姫。
「へぇ、上手な絵だね?」
と、声がしてラゴウの羽織る“かいまき”から獣人というかケモノ娘の頭がひょっこりと出る。飛妖“のぶすま”と同じ妖怪“かいまき”だ。
「ふむ、此処までよくやった。これは妾が預かる。そなたは次に備えて休め」
掛け軸を無造作に“かいまき”の懐に仕舞い込んだ。
「まぁ、なんだ。瑠璃の顔でも見るか?」
ラゴウは妖しく微笑んだ。
一方、長老達の広間では。まだ一部の者が不安げに問いた。
「しかし、ぬらり殿?本当にあやつ(蒼鉄)信頼できるのか」
「あの場の空気で賛同いたしたが…前列ある通り裏切りなどすまいな?」
「切れ者の配下は時として敵より厄介ですぞ?」
酒を呑みながら、ぬらりひょんは言った。
「心配無用。あれの事はよく分かっておるし、処置を施して御座るよ」
雪景色が風流な外。青い鬼の女丈夫が腰まで届く紅い髪なびかせ、風のように駆ける。鬼院と勘違いした妖怪が悲鳴を上げかけるが、すぐに合点する。傾姫 、不条理御前、うつけ姫、阿呆姫と陰で言われる。その常軌を逸した奇行に鬼院さえ遭うこと避ける“瑠璃姫”だ。
「蒼鉄く~ん、ご褒美に露天風呂に一緒に入ってア・ゲ・ル」
「姫!せめてパンツはきましょうよ!ねえ?ねえ!」
「えー、それ子するとき邪魔じゃない?」
「何て事言うんですか?」
と蒼鉄は悲鳴をあげて八尺はある全裸の鬼女の脇に抱えられて露天風呂に向かった。この愉快な二人の出逢いは後程。