久しぶりの日常
次の日から、通常業務に戻った。
デニスさんが今回のことをまとめるのを、横で補助しながら清書する作業だ。特に私が使った魔法に関した部分は魔術団と治癒術団にも送るらしく、目の前で魔法をデニスさんに向けて再現してみせると、しばらく熱心に分析していた。
それにしてもデニスさんは筆が早くて、清書作業が全然追い付かない。デニスさんは自分の書く字を自覚しているのか、「リンがいると便利じゃのう」と私という翻訳機を当てにして、今までのもの以上に本当に流れているような文字(流れるような文字、ではない)を書いている気がする…………私の存在意義が増してありがたいけどね!
それから数日、変わりなく働いている。
変わったことといえば、朝食を、そして時には夕食までレイさんととるようになったこと。
あの話し合いの次の日の朝、部屋を出たらそこにレイさんが立っててビックリしたんだけどね。何故かそれから毎朝迎えに来てくれている。
薄々分かってたけど、レイさんは基本無口な人だ。
でも私の日々の仕事や昨日の夕食の美味しさとかのたわいもない話も、きちんと相づちを打って聞いてくれるし、無理して話さなくても不思議とあんまり気まずくないから、だんだんリラックスして食べられるようになった。
それにレイさん自体ももちろん毎日見ても見飽きない美しさだけど、食べる姿も綺麗だ。
食べる量は私よりずっと多いのに、一つ一つ優雅な所作で私より早く食べていく。
日頃ほぼお箸生活だったせいか、食べるものによってはナイフとフォークを上手く使いこなせず少しぎこちなくなってしまう。
レイさんは私のそんな様子に気づいて、さりげなく扱い方を教えてくれる。
だからレイさんをお手本に一緒に食べられるのは、私にとってすごくありがたいことだった。
それと食堂に行くと、あんな魔法(よく覚えてないけどね)を使ったにもかかわらず、騎士の皆さんは前と変わらず接してくれている。
けれども何故か朝食の時に限り、皆で私とレイさんを遠巻きに観察している気がするんだけど……気のせい?
この世界に来てようやく穏やかな毎日を過ごしていたある日、フィルさんが研究室にやって来た。なんだかフィルさんに会うのは久しぶりだ。
「デニスさん、リンをちょっとお借りします」
「おお、やっと来たか。しかし相変わらず急じゃのう。まあ行ってこい、リン」
私が口を挟む隙もなく部屋から出され、フィルさんと一緒に廊下を歩く。
「どこに行くんですか?」
「詳しくは行ってからだけど、リンの悪いようにはならないから」
そう言って一階の裏の通用口から出ると、そこには馬車が一台停まっていた。艶のある濃い茶色の箱形は金の装飾で縁取られ、すごく立派なものみたいだ。
フィルさんがドアを開けて、「どうぞ」と手を差しのべてくれる。その手をとろうとした時、中から出てきた手に私の両脇が持ち上げられた。
「レイさん!」
ジタバタする私を、レイさんは無言で奥の座席にそっと着地させると、自分もその横に座る。
後から苦笑いしながら乗りこんだフィルさんは「余裕ないなぁ」とレイさんを見てから正面に座った。
街は王都なだけあって、想像以上にとても賑わっていた。
整備されている道は広く、色々なお店が立ち並びたくさんの人や馬車が行き来している。庶民的な店もあれば一目で高級とわかる店もあり、人々の服装も様々だ。
考えてみればこの世界に来てほぼ騎士団内だけで過ごしているよね。衣食住が整っているおかげであんまり外に出たいとも思わなかったけど。
この馬車は魔具が使われているらしく、中はほとんど揺れず乗り心地がとても良い。
快適な馬車の窓から初めて見る外の景色に夢中になっていて、レイさん達が何故か無言なのも気づかなかった。
しばらく進むと、今度は立派な家の立ち並ぶ区画に入っていく。
これはいわゆる高級住宅街ってやつだね。
何人で住むんだろうというぐらい大きなお屋敷が並ぶ。意匠を凝らした庭のあるお屋敷もあり、見ていて飽きない。
そのうちに馬車は、どこかの門の中に入ったようでようやく停まった。
外から馬車の扉が開けられ、最初にフィルさんが、続いてレイさんが降りると私に手を差し出してくれた。その手に支えられながら、設置された踏み台をそうっと降りる。
「お帰りなさいませ、レイ様」
落ち着いた声に足元を見ていた目を上げると、そこには壮年の男性が立っていた。その後ろには、数人のメイドさんらしき人達もいる。
「いらっしゃいませ、お嬢様。ようこそお越しくださいました」
いかにも執事!という感じのオジサマが私に向かって挨拶してくれて、「お……おじゃまします」と私も慌てて頭を下げる。
あれ?今レイさんに向かって「お帰り」って言ったよね。ここさっき見たお屋敷の中でも一番立派に見えるんだけど、レイさんって何者……?
戸惑う私をよそに、「来てるのか」「はい」と短く言葉を交わしたレイさんと執事さん(推定)。その執事さん(推定)に先導され、レイさんとフィルさんと共に、お屋敷の中に入ったのだった。