蓮の池の中
僕が生まれた世界は美しい。
「お母さん、天守様だよーー!」
隊列を持ちながら、翼を持った男達が華麗に空を舞っていた。
「うふふ。彼等は帰ってきたんだわ」
「かえってきた?」
「私達の世界を鬼から守る為に戦いに行ってたのよ」
「お、おにと、たたかうの?」
「そうよ。天守様達が居るから私達の所に鬼が来なくてすむの」
「こわい、おにから、まもってくれるの?」
「そうよ」
科学技術の発展によって機械により翼を得た彼等は、天守隊と呼ばれた。
空に舞う男達に、下から見上げる民達は歓声をあげ、彼等の帰りを歓迎している。
島が空に浮かぶ空中都市に住まう彼等は天人と呼ばれ、科学技術の発展を極め、機械や特殊合成された物質によって築かれた街で暮らしていた。
緑一つないが青い空と太陽が建物に乱反射しながら光輝くその様は、非常に美しい島だった。
青く澄みわたる空の中を華麗に泳ぐ天守隊は、民の憧れであり平和の象徴である。
「お城に帰っていくのね」
「わーい! 天守様ーー! おかえりー!」
「おかえりなさーーい!」
空の上から見える民の顔は皆、笑顔が溢れていた。
民は皆、己の住む世界が守られ穏やかな生活が続く事に、安堵と幸福感に溢れていた。
男達は天守隊の隊列の中で飛びながら民の笑顔に包まれる度に、天守という仕事を目指し選択したことに、誇りと満足感に包まれた。
「只今、戻りました。天守隊、隊長の緋助です」
「うむ。面をあげよ」
「はっ!」
緋助が傅く先に居るのは、この国を統一する君主である上様であった。
「此度の遠征は良き戦だったと聞く。よくぞ帰ってきた」
「有り難き御言葉」
「戻ったばかりで悪いが、御主の実力を見越した上で、任務を任せたい」
「任務ですか?」
「私が説明しましょう」
名乗りをあげたのは君主を補佐する宰相だった。
「緋助よ、鬼の国に潜入し、ある白い箱を誰にも気付かれぬよう置いていってほしい」
「箱、でございますか?」
「我等は鬼というものを知らなすぎる。彼等を知るために、ある拠点に箱を置き、彼等の生活を垣間見たいのだ」
その場に居る者達は、ざわめいた。
「鬼達は殺戮や略奪を好む以外に何がございましょう」
「彼等を知れば、預かり知らぬ所で民が襲われる危険性を事前に減らせる。故に、彼等を知る事が出来れば互いに歩み寄れるかもしれん。平和の架け橋だ」
周りの者達は、その一言で納得しているようだった。
「では、この緋助に密偵になれと?」
「うむ」
緋助は天守隊である事に誇りを持っている。
だが密偵になるという事は翼を捨てる事。
それでも緋助の心は決まっていた。
その心は、民の命を守り笑顔溢れる暮らしを守ることと何ら変わりはない。
この世界を誰よりも愛しているのだから。
「この緋助に、お任せください」
任務の前に緋助は一週間ほどの休暇を言い渡された。
この一週間を使い、万が一の為に身辺整理をする時間を与えられたと言ってもいい。
だが、緋助は身寄りのない身なので万が一が起きても困る人間は居ないが、そんな緋助が任務終わりに必ず訪れる所があった。
「おじさん、おぱさん、こんにちは。緋助です」
「まあまあ! いらっしゃい」
「お邪魔します」
城から離れた場所に位置する集合住宅に住む老夫婦の元を、任務終わりに必ず訪れるのが緋助の恒例だった。
「蒼汰の仏壇に花を、いいですか?」
「ええ、どうぞ。あの子も喜ぶわ」
部屋の壁のパネルに手を触れて操作すると、壁に埋め込まれた仏壇が現れた。
機械や科学が発達した天の国では、最先端技術が各家庭の日常生活に浸透しているのは、ごく当たり前の事。
現れた仏壇には、若い男の写真が飾られていた。
手を合わせ花を飾り終えると、お酒とお猪口二つがテーブルに並べられ、おじさんが先に座り待っていた。
「緋助くん、こちらに来てくれ」
「はい」
向かい合うように座ると、おじさんが酌をついだ。
「いただきます」
くいっと一口で飲むと甘辛さが広がる酒は、上等な酒だと緋助にも分かった。
「もう十年だ。あの子が、いなくなってから」
「そうですね」
「緋助くん、いつも、ありがとう。緋助くんが、あの子の事を忘れずにいてくれるだけで、心の支えになった」
この上等な酒は、おじさんからの感謝の意を込めた物だと緋助は理解した。
「いいえ、元はと言えば僕のせいですから」
「……そんな事はない」
「あいつは僕を助けようと地に落ちていったんです。僕は、まだ若くて目先の事しか見えていなかった。僕の任務の失敗でした。申し訳ありませんでした」
「君が謝ることじゃないのは何度も言ってるだろう。こうやって律儀に顔を出してくれる君を、むしろ私達は本当の息子のように思っているんだよ」
緋助も親を知らずに育った身の上から、一人息子を亡くした心優しい老夫婦との長い付き合いに親の面影を重ねていた。
だからこそ危険な任務を言い渡された際、直ぐに、この老夫婦の元に向かった。
「……実は、次は危険な任務に就くことになりました」
二人からは、悲しげな表情が浮かんだ。
「……そうかい。気を付けるんだよ」
「はい……」
それ以上、何も言うことなく、おじさんは、もう一杯、緋助に酌をついだ。
「緋助、只今より潜入します」
夜の闇の中で、月の光がよく見渡せる場所に緋助は立っていた。
天空に浮かぶ島が天の国とするならば、地にある海に囲まれた島が鬼の住まう地の国。
その地の国に緋助は、これから潜入しようとしていた。
最先端の科学技術を詰め込んだ翼によって、地の国へ降り立ち、そこで翼を捨てる。
翼を捨てるという事は、天の国に戻れないに等しい行為。
地の国に着くまでは、与えられた無線が命綱だが、鬼の住まう区画に入ると、特殊な妨害電波により直ぐに使い物にならなくなる。
「了解。落下地点に着いたら、この無線も破棄しろ。箱は大事にしろよ」
「了解」
何の箱かは知らされていないが、掌ほどの小さい白い箱だった。
何が入っているか分からないが、鬼の世界を観察する為の物だと言っていた。
それだけの為に厳重な処置を施される箱に、緋助は違和感を感じたが、与えられた任務を忠実にこなす事に集中した。
それが、天の国を守る事に繋がるのだから。
緋助は天空の島の最末端にある塔へ向かった。
遠い昔、天と地を繋ぐ橋が掛けられていたと言われる場所。
下を覗き見れば、雲しか見えず底のない闇のようだった。
この任務にとって重要な箱を懐にしまい、機械仕掛けの翼を広げると、塔の上から飛び降り緋助は闇の中へ消えていった。
天の国は最先端科学技術を駆使し、機械に囲まれながら太陽の光エネルギーを利用し、煌びやかな光りに包まれた美しい世界である。
それとは対照的に地の国は青い海と山に囲まれ、天の国には何一つない植物や動物や生き物が溢れる世界だった。
物音を立てぬよう緋助は静かに地に降り立った。
じゃりとした足の感触に緋助は嫌悪感を抱いた。
地の国は土と呼ばれる大地が広がっている。
天の国は磨き抜かれた汚れひとつない床が隅々まで広がっているので、靴が汚れる事など気にした事が生まれてこの方なかったが、初めて地の国に降り立った時は、靴が汚れた事に驚きを隠せなかった。
それから緋助は、地の国の大地を歩くのが大嫌いだった。
箱を設置する目的地は鬼の住み処の中心地。天の国で言う所の城のような場所。
仕事は早い方がいい。
翼を捨てて無線を捨て、向かうべき場所へ赴こうとしたその時、
「お前! ここで何をしている!」
見つかった時点で任務が失敗なのは明らかだった。
緋助を見つけたのは、顔に営利な角と邪な牙を生やした鬼だった。
「鬼だ! 殺せ!」
鬼は、お前らだろ!
一人で複数の鬼を相手にするのは非常に不味い。
この窮地を脱する方が先決と、緋助は深い森の中へ逃げ込んだ。
「くっそ!」
慣れない地に足が縺れ、思ったより早く走れない。
自分を追いかける鬼の数が逃げれば逃げる程、段々と増え、すぐそこまで鬼が近づいているのが分かった。
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
あちこちから殺せと声が上がる。
相変わらず、鬼は野蛮な奴等だと緋助は思った。
もう、ここで終わりかもしれないと諦めかけた、その時
「う、うわあああ!」
知らずに足を踏み入れた場所は崖になっており、緋助は海の底へ落ちていった。
「緋助! おい、緋助」
遠い昔に聞き覚えのある声が緋助を呼んでいた。
声に導かれるように目を開けると、目の前には死んだはずの蒼汰の姿があった。
蒼汰と会えたという事は自分は死んだのかと緋助は思った。
だが緋助は不思議に思った。
何故か死んだはずの蒼汰が、自分と同じくらいに年を取っている事に。
「お父ちゃん! その人、起きたの!?」
「ああ。そうみたいだ。水を持ってきて」
「はぁーい!」
あの世のはずなのに妙に現実的だ。
「そ、う、た……?」
声を出せない緋助に気付いた蒼汰は、緋助の聞きたい事を理解したようで、にかっと笑った。
その人好きのする笑顔は、十年前に自分の代わりに死んでしまった、あの頃の蒼汰そのものだった。
「まさか生きているうちに、また緋助と会えるとは思わなかったなあ」
「お父ちゃーん! 水、持ってきたよ!」
蒼汰に良く似た笑顔を見せる少女だった。
「おう。ありがとよ」
蒼汰に頭を、わしゃわしゃと撫でられながら少女は嬉しそうに鼻高々そうにしていた。
緋助は蒼汰の手を借りて身体を起こし、水を受け取ると蒼汰と少女を交互に見つめながら水を流し込んだ。
水を少しでも口に入れると喉が潤い、なんとか声が出せそうだった。
ここが、あの世ではないのは緋助にも分かった。
「蒼汰、お前、本当に蒼汰なのか?」
蒼汰が、にかっと笑うと少女も同じような顔で、にかっと笑った。
「こいつは俺の娘、巴、八歳だ」
「は!?」
「もう少し寝とけ! 追々、説明してやる」
開いた口が塞がらない緋助を気にする事もなく、そのまま蒼汰と娘の巴は部屋を出ていった。
辺りを見渡せば木と呼ばれる材質で建てられた狭苦しい屋敷のひと部屋に、心地いいとは言えない寝床が、これから緋助の過ごす場所として宛がわれた。
緋助の怪我や体力の回復に当分の間は寝ているようにと言われ素直に従い、看病に関しては手厚く世話をしてもらい、部屋で過ごすのに不便は特に無かった。
その中で蒼汰や娘の巴以外に、もう一人、食事や衣類の世話をしてくれる女がいたので、あの女は誰かと蒼汰に聞くと、妻の楓だと、さらりと説明された。
「だいぶ良くなったか? 体が鈍らないよう散歩がてら釣りに付き合え」
「釣り?」
「おう」
長いこと寝床で一日を過ごしていたので、そろそろ外の空気を吸いたいと思っていた緋助にとって、蒼汰の誘いは渡りに船だった。
屋敷を出ると辺りは木しか立っておらず、土地勘のない緋助から見たら、二度と戻って来れそうにない場所だった。
そんな緋助を横目に、蒼汰はさっさと先に進み、いとも簡単に森を抜けていった。
森を抜けた先には砂浜が現れ、広大な海が広がり、緋助は息を飲んだ。
「海……」
「地の国で、真っ昼間から見るのは始めてだろ」
「あ、ああ……」
地の国に降り立つ時は戦いばかりで、こんな穏やかな風景を目にする事に緋助は一度もなかった。
「地の国にも美しい場所は、あるんだな」
「美しいだけじゃないさ。海の幸にも恵まれている」
「海の幸?」
「釣りを知らないだろ。やるか?」
蒼汰に釣竿を渡され、どうすれば良いか分からないが、他にする事がないので蒼汰の見よう見まねで、緋助はやってみる事になった。
「待つのか?」
「待つんだよ」
「いつも、こんな事を?」
「たまに潜って捕ったりするよ。泳ぎは、この十年で覚えた。天の国には海がなくて泳ぎを知らなかったから苦労したよ」
「泳ぎ……」
緋助は蒼汰に一番、聞きたかった事があった。
「戻ろうと、しなかったのか?」
「したさ、けれど翼がなかった」
「地の国にも僕らと同じような人が住んでるのを始めて知った」
「楓や巴の事か?」
「ああ。地の国には鬼しかいないと思っていたから……」
なかなか話題が続かない。
当時は親友として何でも話せた仲なのに、妙に話題に詰まるのが緋助には居心地の悪いものを感じた。
互いに違う土地で暮らし十年も経っていれば、仕方のない事かもしれない。
「父さん母さん、元気?」
「お前が行方不明になったときは見てられなかった。今は、お前の死を受け入れてる。お前が死んだと思ってるから、結婚して娘が居ると知ったら、喜ぶのが目に浮かぶよ」
「……そうか」
蒼汰は海の向こうへ視線を向けた。
蒼汰の目には、どこか故郷を懐かしむような感情を伺わせた。
だが、それ以上、天の国の事は一切、話題に出さなくなった。
目の前には太陽に照らされながら、宝石のように煌めく穏やかな波が、ただただ広がっていた。
「ただいまー!」
「おかえりー!」
巴が、ぴょんぴょんと跳ねながら嬉しそうに二人の帰りを出迎えた。
奥からは静かに会釈をする楓の姿があったので、緋助もぺこりと頭を下げる。
「お父ちゃん、魚は釣れたー?」
蒼汰の籠の中を巴が覗くと、魚一匹いない空っぽの籠だった。
「えー! 緋助は?」
蒼汰とは違って緋助の持って帰った籠の中は、大小混ざった五匹の魚が入っていた。
「緋助ー! すごい魚がいっぱいいる! これ、緋助が釣ったのか?」
「ああ、まあ」
「はじめてなのに緋助すごいな! それなのに、お父ちゃん釣りが趣味なのに、なにこれ!」
「うるさい! 緋助のは、たまたまなんだから、とっとと飯にするぞー」
「お父ちゃんの釣った魚じゃないけどねー」
「こら」
ベーと冗談混じりに舌を出す巴に蒼汰は、わしゃわしゃと頭をなで回した。
妻の楓は黙々と魚を下ろし、夕飯時には緋助の釣った魚が豪勢な食事に様変わりし美味しそうに並べられていた。
「いっただきまーす!」
ちゃぶ台一つを皆で囲んで食事を始めた。
先程から一言も喋らない楓が気になって、蒼汰に聞こうと目配せを送ると、緋助が聞きたそうにしているのを蒼汰は気付いた。
「楓は、しゃべれないんだよ」
楓は緋助に向かって申し訳なさそうに、ぺこりと頭を下げた。
「あ、いや、すみません……」
人の事情に対して悪いことを聞いてしまったと、緋助は楓に罪悪感を抱いた。
「楓は過去に鬼に襲われて声が出なくなったんだ。まあ、あまり気にしないでくれ」
「鬼……」
「とりあえず食べろよ。楓の手料理は絶品だぞ」
「お母ちゃんの、おいしいぞー! 緋助!」
にかっと笑う二人の似たような笑顔に押されて、緋助は食事に箸をつけた。
「うん。美味しい」
「だろー!」
「だーろー!」
にこっと笑う楓も、美味しいと言われ嬉しそうだった。
緋助の知らない蒼汰の十年には、幸せな家庭の姿があった。
目の前の蒼汰の家族のように、そんな人々の暮らしを守る為、戦いに身を投じる人生を送ってきた緋助だが、彼等の笑顔に触れる度に戦いに身を投じた人生は無駄ではなく間違っていなかったという喜びが緋助を満たした。
「ね、緋助! 明日、私が大好きな所に連れてってあげるよ!」
「こら。緋助はまだ病み上がりだ。あまり連れ回すな」
「お父ちゃんだけ、ずるーい! ねえ、緋助、いいでしょ?」
「ああ。僕は大丈夫だけど……」
蒼汰に目をやると困ったように、へらっと笑った。
「緋助がいいんなら一緒に行ってやってくれ」
「わーい! やったー! じゃ、明日ね、緋助!」
巴は嬉しそうに、ぴょんぴょん跳ねながら、食事中は座るようにと楓に無言で嗜められていた。
「俺達は村の外れに住んでいて、巴は同い年の友達がいないんだ。だから、嫌じゃなければ巴の遊び相手になってくれ。な?」
「いや、そんな事なら、お安い御用さ」
そうして、笑顔溢れる蒼汰の家族との団欒の時間が過ぎていった。
次の日、巴に連れられた緋助は、ある池のほとりに案内された。
「緋助! こっちこっち」
巴に連れられた池は蓮の花が咲き浮かぶ、とても美しい場所だった。
「ここは、すごいな」
「綺麗でしょ! ここね、私の好きな場所なの。緋助の国には、ないの?」
「無いことはないが、僕の国に水は貴重だから池というものを作ったりしない」
「へーえ」
地の国には鬼しか住まない世界だと思っていたが、見渡して見れば鬼の姿がない地の国は、海や川に囲まれ、虫や鳥、木々や草花、人間以外の生命に溢れかえっていた。
そんな中、作り物ではない蓮の花を緋助は生まれて初めて見たのだが、この世のものではない美しさを感じ、側ではニコニコ笑顔を振り撒く巴に緋助の気持ちが和んでいた。
こんな穏やかな気持ちは久しぶりだった。
「緋助にもあげる。おやつの林檎」
「林檎?」
持ってきた林檎を一つ、巴は緋助に手渡した。
その手渡された林檎を、穴が開く程まじまじと見る緋助を、巴は不思議に思い食べないのかと聞いた。
「いや、地の国にも林檎があるんだな」
「緋助の国にも、あるの?」
「うん。だけど林檎も貴重だから」
「えー? 林檎の木なんて、そこら辺に一杯あるから、すぐ取れるよ」
「木?」
「知らないの? 林檎は木から出来るんだよ」
緋助は林檎が木という物から出来るのを知らなかった。
天の国には草花や木々一つないから。
ならば何故、天の国に林檎があるんだ?
「ねえ、緋助。蓮の咲いてる池は覗き込むと違う世界を覗けるんだって、お父ちゃんが言ってた」
「ああ。僕達が子供の頃に読んだ本に、そんな物語があったような、無かったような」
「すごい偉い人が私達の世界を、蓮の池から見下ろして見てるんだって」
「なら僕達は、すごい偉い人じゃないから、違う世界は見れないな」
「でも、ここね、私が生まれる前に、お父ちゃんが母ちゃんに夫婦になってくれって言った場所なんだよ」
「おー、それはそれは、いい思い出だ」
「だから、私は、ここが好きなんだー」
「そうか。いい所だな、ここは。連れてきてくれてありがとう」
二人は顔を見合わせて笑った。
「おーい! 緋助ー! 巴ー!」
「あっ! お父ちゃん!」
蒼汰は二人の居る池の所まで呼びに来ていた。
「これから街に買い出しに行こうと思う。緋助、一緒に来てくれ」
「えー! 私も行く!」
「お前は、母ちゃんの手伝いをしなさい」
「えー!」
「お前の好きな桃も買ってくるから許せ」
「やったー! それなら待ってる」
「現金なやつだなー。いい子に待ってろよ。行こう、緋助」
行ってらっしゃいと大きく手を振る巴に見送られながら、緋助と蒼汰は街に繰り出した。
鬼の住む国の中に商業が賑わう街が存在する事に緋助は驚いた。
街は栄えており様々な店が並ぶが、天の国では高級過ぎて手に入らないような果物や野菜が、当たり前のように並べられていた。
人々が賑わう街を見下ろすように木材で作られた重工な城が築き上げられている。
下から見上げる城は、とてつもなく壮観だった
「凄いな」
「俺も初めて見た時は驚いた」
「こんな賑やかにして、鬼は攻めてこないのか?」
「城に鬼が入れない結界が張られているんだ」
「結界?」
「俺達の国のように言い方を変えれば防衛システム。強い妨害電波により鬼からは場所を知られないようにしているが、万が一知られても、ここにいる殆どの人が戦士だ。緊急事態には庶民でも戦う戦力がある。鬼も、ここに手を出すのは得策じゃない」
「戦士?」
「俺の奥さんも戦士だった。戦士の訓練場へ行ってみるか?」
「え? いいのか?」
緋助も戦う者の一人として、戦士を育成する訓練場に興味を持たずにいれなかった。
「ここだよ」
小さな寺では建物の中から外の庭まで、せい!や!と掛け声に会わせて規律正しく木の棒を振る、鍛練に励む男女の姿が多くあった。
「若者が多いな」
「ここでは皆、自分の身は自分で守るのさ」
中の様子まで、じっくり見たくなった緋助は、顔の利く蒼汰に連れられ建物の中に入っていった。
やはり地の国の建物は、ほとんどが木材で作られており、天の国とは違う木の香りが緋助の鼻についた。
それは不快ではなく、むしろ胸一杯に吸いたくなるような心地のいい香りだった。
だが建物の中の壁に飾られている面に、緋助は驚愕した。
「な、なんだよ! これは、鬼の顔じゃないか!」
人々が恐れおののき、畏怖する対象である鬼の顔が、面として壁に飾られていたのだ。
「落ち着け緋助。俺が説明してやる。ここでは、あまり狼狽えるな」
愕然とする緋助を落ち着かせる為に、蒼汰は最初の目的である商店街へ、わざわざ人混みの多い場所に連れ出した。
二人は売店には目もくれず、人混みを掻き分けながら歩いていく。
「蒼汰、あれはなんだ? 鬼の顔を飾るなんて悪趣味だ」
「あれは、戦士の面だ」
「戦士!?」
「戦士は鬼と戦う時あの面を被る。あの面は戦士の証だよ」
「何を、言ってるんだ? 蒼汰。お前の言ってる意味がわからない」
「今、説明しても、お前には受け入れられないかもしれない。ゆっくり、この世界の事を知ってくれ」
「いや、今、説明しろよ!」
蒼汰は、答えることなく人混みの中へ先へ先へと進む。
「蒼汰!」
その後、緋助が、いくら聞いても蒼汰は頑なに、その話はしなかった。
「ただいまー」
家に帰れば、いつも巴の明るい声が出迎えてくれるはずなのに、巴も楓も姿を見せない。
「帰ったぞー! 巴! 楓!」
入り口から直ぐの部屋の扉が、少しばかり開いていた。
その部屋は緋助が世話になってから寝泊まりさせて貰ってる部屋だった。
「蒼汰……」
蒼汰に、その事を伝えると、蒼汰は戸惑いながらも扉を開けた。
扉を開けると呆然と佇む楓の姿があった。
「楓? どうした? ここは緋助に貸してる部屋だろ……」
楓の側に寄った蒼汰が、楓が手のひらに持っている白い箱の存在に気付いた。
「楓、その箱は?」
「蒼汰、楓さん、急に、どうした?」
緋助が痺れを切らして二人の様子に声をかけると、緋助も楓の手にある白い箱に気付いた。
「なにしてんだよ! 楓さん!」
緋助が楓から奪い返そうと手を伸ばした瞬間、白い箱を取られまいと楓は緋助から退いた。
「は? それは僕のだよ? 楓さん」
楓は返すつもりがなく、まるで緋助を恐ろしいものでも見るように睨み付けていた。
硬直状態の二人を見かねて、厳しい表情で蒼汰が口を開いた。
「緋助、お前は何故この白い箱を持ってる?」
「は?」
「お前は俺達を殺す気なのか?」
「殺すとか、なんなんだよ、さっきから! 街に行った時も意味が分からない。もう、いいから返せよ」
「お前は、この白い箱が、なんだか知ってるか?」
「知ってるさ」
「じゃあ、お前はーー」
「その白い箱は鬼の麓に設置し、あいつらの動向を探るための監視システムだ。俺は、その設置を任せれた。鬼の世界を理解し、和解できる道がないか、上様が、お考えになった平和の架け橋なんだよ」
「緋助! この箱はーー」
「みんな、どうしたの?」
外に出てた巴が、たまたま戻ってきたが間が悪かった。
子供の目の前で、大人三人が揉めてる所を見せたくない蒼汰と楓の親心から、蒼汰は楓の手から白い箱を預かった。
「なんでもない。夕飯の支度を、しよう」
白い箱を返す気のない蒼汰と楓に納得いかない緋助だったが、巴の手前、素直に従うことにしたのだった。
「巴! 巴! 巴!」
朝から必死な声で巴の名を叫ぶ蒼汰の声に、緋助は目を覚ました。
「どうした? 蒼汰」
起き抜けに蒼汰と楓の姿を見つけ、顔を合わせた二人の顔色は、やけに真っ青だった。
「巴が、巴がいないんだ」
「巴が?」
「あの白い箱と一緒に」
「巴が、なぜ?」
「昨日のお前の話を聞いたからかもしれない」
何故、自分の話を聞いたからと言って、白い箱を持って消えた巴と繋がるのか、緋助には話が良く見えなかった。
「楓、俺は巴を探す」
今すぐにでも家を出て行きそうな蒼汰の服の裾を摘まんで楓は引き留めた。
そして、緋助にも共に来るようにと、ある場所へと楓に促される。
「池?」
そこは前に、巴と緋助が一緒に来た、蓮の池だった。
着くや否や、楓は池の中に入っていき、丁度腰が浸かりそうな所で足下を手探りで探すと、目的の物を見つけ、戻ってきた。
その手には、汚れがついて汚ならしくなっているが、緋助と蒼汰には良く見知ったものだった。
「楓! これは、天の国の天守の翼じゃないか!」
楓は申し訳なさそうに目に涙を浮かべていた。
楓の、その様子に蒼汰は何かを理解し、それ以上楓に何も言わなかった。
緋助にも、なんとなく分かった。
きっと楓は蒼汰を天の国に帰れないようにしたのだろうと。
蒼汰を引き留める為に。
「そこまで血相を変えて、白い箱は、なんなんだ?」
「お前には、この国の事を、ゆっくり理解してもらおうと思っていたんだがーー」
蒼汰から聞く話は緋助には衝撃的な内容だった。
幼い頃から緋助が聞かされてきた鬼というのは、角があり口から牙を覗かせ、無差別に人を襲い、あらゆる物を奪っていく酷く恐ろしい存在として聞かされてきた。
かつて地にいた天の国の人間を、天空の島へ追いやったという話が語り継がれてもいる。
そして緋助が天守隊に入ってからは、排除すべき対象であり戦うべき敵であった。
だが、蒼汰から出た言葉は、鬼の正体は天の国の天守であるのだ
と。
緋助は、とてもじゃないが信じられなかった。
天の国の天人達は、天空に浮かぶ島の資源を食い潰し、資源も何もなくなった天の国は、緑や山、海や生命に溢れた地の国の資源を狙うようになった。
だか資源だけじゃあき足らず略奪するようになり、財産や命まで奪うようになった。
地の国の民は身を守る為に戦士として戦うようになるのだが、その戦士の証が角と牙を生やした、天人が鬼と呼んだ面である。
「俺もお前も略奪するような、そんな任務に着いた事ないだろ!」
「俺達は鬼を倒しに行ってただろう? 俺達が殺してきた鬼は、地の国の人達が、ただ己の身を守るために戦っていただけだったんだ」
「鬼が襲って来るって警報が鳴って、それで俺達は出動して……」
「実際に鬼が、天の国まで襲ってきた事あったか?」
緋助は言葉が出なかった。
何度、思い返してみても、口頭では伝えられたりしたが鬼が襲ってきた場に出くわした事は無いのだから。
「じゃあ……じゃあ、その白い箱は?」
緋助は嫌な予感がした。
「爆弾だ」
「爆弾!?」
蒼汰は楓から翼を受けとると、過去の手順を思いだしながら背に身に付け、折り畳まれたままの翼の上に上着を羽織った。
「蒼汰……」
「万が一の為の翼だ。子供の足だから、追い付く。行こう」
蒼汰に続くように緋助と楓も巴を探しに、街に向かっていった。
それぞれ探す場所を別れ、巴に似た姿の子供を片っ端から声をかけたが、なかなか巴は見つからず、緋助は途方に暮れ項垂れていた。
「緋助?」
そんな緋助に、後ろから聞き覚えのある声に振り返ると、探していた本人だった。
「と、巴!」
キョトンと見上げる巴の手には、あの白い箱が握られている。
巴の目線までしゃがみ、がしっと肩をつかんで、緋助は揺さぶりそうな勢いだった。
「探したんだぞ! 人の物を勝手に持ち出すな! なんで、こんな事をしたんだよ!? 蒼汰も楓さんも心配で心配で!」
「勝手に取ったのは、ごめん。でも、昨日、緋助は言ってたでしょ? 天の国と地の国の架け橋だって」
「え?」
「ここの人達、お父ちゃんが天の国の人だって知ってるの。それで私達の事、追い出したの。だから、あそこに住んでるの。でも、天の国の人と地の国の人が仲良しになったら、お父ちゃんとお母ちゃん悲しい顔しなくて済むでしょ?」
「それで、こんな事を……」
「巴ー!」
緋助と巴に気付いた蒼汰と楓が息を切らしながら、駆け付けてきた。
「お父ちゃん、お母ちゃん!」
ぱあっと笑顔を見せた巴に、蒼汰の顔は怒りを含んでいた。
「勝手に街に行くなと言ってるだろう! 父ちゃんも母ちゃんも心配したんだ!」
いきなり怒鳴られてしまった巴は、しゅんと落ち込んでしまった。
「蒼汰、箱は無事にあった。だからーー」
緋助に言われ、巴の手にある白い箱に目を向けた蒼汰は、ある事に気付き、表情が固くなった。
「緋助、楓と巴を連れて先に家に帰ってくれ」
「え?」
「いいから!」
蒼汰の表情に緋助は、ただならぬ事態である事に気付いた。
「蒼汰?」
「起動してる」
「は?」
「目的地に着くと時間差で動くようにプログラムされてる」
「目的地って、ここは、ただの繁華街だろ?」
「無差別に、人が多く集まる場所を狙ったんだ」
「そんな……」
「もう時間がない」
蒼汰は白い箱を握りしめると、街の中心にむかって走った。
「蒼汰!」
背中に装着した天守の翼を広げると、蒼汰は空に向かって飛び立った。
「お、鬼だ!!」
「鬼がきたぞー!」
翼を広げ飛び上がる蒼汰の姿に気付いた人々は、見るや否や鬼だと叫び、逃げる為に街の出口へと走り出した人々は、混乱状態になってしまった。
人に押し流されそうになる緋助は、巴と楓が離ればなれにならぬよう身を呈して庇いながら、蒼汰から、どんどん離されていった。
蒼汰は止まることなく空へ空へ、ぐんぐんと昇っていくのが見えた。
蒼汰のやろうとしている事に緋助は想像がついてしまった。
だが、そんな事は絶対に現実に起きてほしくなかった。
どうか、どうか、やめてくれ!
「蒼汰ーー!」
どおーん!
蒼汰のいる上空から、眩いばかりの閃光が煌めき、巨大な爆発音が響いた。
突風が一気に吹かれ砂ぼこりが舞い、前が見えなくなったが、しばらくして風が止むと、空は雲が吹き飛び塵ひとつ無く真っ青に輝いていた。
「お父……ちゃん?」
巴は何が起きたのか理解出来ず唖然と空を見上げていたが、楓は口元を押さえながら、堪えきれずに涙を流していた。
「楓ちゃん……」
そんな中、一人の老婆が話しかけてきた。
「さっきの鬼は蒼汰くんよね? やっぱり蒼汰くんは鬼だったの? あなたが鬼を招いたの?」
老婆の目は血走っていた。
楓は、そんな老婆の様子に恐ろしくなり後ずさりながらも否定するように首を横に振った。
「嘘おっしゃい。私、見てたんだから! あなた、ここを壊すために鬼を招いたのね。そうでしょ? そうなんでしょ? あなた鬼ね!」
見てられなくなり、緋助は楓と老婆の間に入り、楓を庇うように立った。
「やめてください。言いがかりも過ぎます」
老婆は、緋助の顔をじっと睨んだ。
「楓ちゃん、蒼汰くんみたいに、また怪しい男を連れ込んでるの? まさか、また鬼じゃないでしょうね?」
これ以上、相手にしてられなくなり、緋助は楓と巴の手を引いて老婆の元から離れた。
老婆が気になり、ちらりと後ろを振り返れば、いつまでも緋助達の姿を老婆はじいっと睨むように見送っていた。
街を出て森に入ると土地勘のある楓に案内されながら、緋助達は家までの道を急いだ。
あの老婆は蒼汰が地の国の人間ではない事を知っていた一人になる。
巴の言うように蒼汰が天の国の人間だと知っている人間がほとんどだとしたら、あのまま、あの街に残れば、街の人間を裏切った蒼汰への怨みと、蒼汰を迎え入れた楓と巴の存在が、人々の悪意の標的になる。
そんな危険を孕むような気がして、緋助は急いで街を出ていった。
街の皆が落ち着くまで、蒼汰が何故あのような行動に出て、命を散らしたか、ちゃんと伝えねば。
どん!
楓に押された事によって、巴と一緒に緋助は穴のような窪みのある茂みの中へ突き飛ばされた。
「楓さん!」
茂みの影から見える楓は誰かを見据えていた。
「楓……」
渋い男の声が聞こえたかと思うと、鬼の面を被った男達が現れ、楓の周りを取り囲んでいた。
不味いと思い、緋助は出るに出られなくなった。
「鬼に情けをかけ鬼と夫婦になった女は心まで鬼になったか。お前達を許した我等に先程の仕打ちとは……許すまい!」
不穏な空気が漂っていた。
ここから出ていって、この人数を相手にするのは命を捨てるも同然なのだが、緋助は迷っていた。
「緋助、母ちゃん、どうしたの?」
「しっ! ダメだ。声を出すな、巴」
きっと楓に何か算段があるつもりで自分達を、この茂みに隠したのだろうと思い、緋助は巴の口を手で塞ぎ、じっと茂みの影に潜んだ。
「殺せ」
そう聞こえ瞬間、緋助は不味いと思い楓の元へ駆けつこうとしたが、遅かった。
「母ちゃーー」
何本もの刀が人を突き刺す音が響いた。
「見るな。見るな、巴」
巴の目を塞ぎ、衝動的に、その場から動き出さぬよう、緋助は巴を強く抱きしめた。
巴だけでも、どうにか気づかれぬようにと。
男達の気配が無くなり、緋助は巴と共に茂みから抜け出たが、楓の居た場所には大量の血が残されていた。
そこから点々と続く血の後を辿っていくと、あの蓮の池に辿り着いた。
「楓さん!」
見つけたは良いが、あまりにも無惨だった。
蓮の池は赤く染まり、池の真ん中に突っ伏した状態で楓は浮いていた。
緋助は急いで楓を陸に引き上げたが、何本もの刀傷に串刺しにされ、見るも無惨な姿で息絶えていた。
側に駆け寄った巴は、涙を流しながらガタガタと震え始めた。
「巴?」
「母ちゃん……母ちゃん! 母ちゃん! 母ちゃん! あああああああああああああああああああ!」
緋助は見ていられなくなった。
目の前で両親の死を目の当たりにしてしまったのだから、正気でいれる筈もない。
だが、まだ八つの娘が壊れていく様は、この世の地獄を見るようだった。
なんて声をかけていいか緋助には分からない。
しばらくして落ち着きを取り戻し始めた巴は、ぽつりと喋りだした。
「ねえ、緋助。あの白い箱は、平和の架け橋だって騙して、私達を殺すために持ってきたの?」
「……巴?」
「緋助が父ちゃんを殺したの?」
緋助は何も言えなかった。
知らなかったとはいえ、白い箱を街の中心に仕掛けようとしていたのは事実だから。
結果的に大事な親友を二度も失い、親友の大切な人まで死なせてしまったのだから。
巴は、顔を上げると緋助を射殺さんばかりに睨み付けた。
「このっ! 鬼!」
鬼
緋助は今の今まで天の国が鬼の国であり、自分が鬼である事に信じられずにいたが、巴の言葉で、もう充分だった。
僕は、鬼だ。
「ひとごろし! 父ちゃんと母ちゃんを返してよ! おに! おに! おに!」
巴の阿鼻叫喚に項垂れる緋助は、自分を恨んだ。
あの時、死ぬべきは人間は蒼汰じゃなかった。
あの時、蒼汰がとった行動を、するべきは自分だったのだ。
いつのまにか、この悲劇を哀しむように、雨が降り始めている事に気付いた。
楓から流れる血が、雨と共に蓮の池に流れ落ちていく。
そう言えば、蓮の池を覗くと別の世界が見えると言っていた。
自分達の世界を覗く誰かが、哀れんでいるのだろうか?
あいにく、僕は鬼だ。
地獄へ、ようこそ。