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ひねくれものが巻き込まれた初めての依頼

新たな人物。


郷田(こうだ) (りょう)……サバゲ部所属。同級生。






 ……気が付くと外は既に真っ暗になっていた。


 壁に掛ったレトロな時計を見ると、時刻は既に夜の過ぎ、窓からは星々の明かりが差し込んでいる。


 この時間帯は生徒はもちろん部活動をしている生徒も既に帰宅してしまっているのだろう。


「……首痛っ」


 寝方が悪かったせいか、肩は重く足は痺れている。


 俺は痺れた足が元に戻るまでその場でボーツとしていたが、成程夜の学校はうるさい奴等の声が聞こえなくて実に心地がよい。


 余りに心地よかったので、もう少しここに居ようかどうか迷ったが、見回りの警備員に見つかっても面倒。今日は仕方無くこのまま退散する事にした。


 準備を終えてゆっくり階段を降りる途中、俺はまだ一階の電気が消えていない事に気付いた。


 階段の途中から下の部屋を除き込むと、一ノ江が本を読んでいた。


「……起きたのね」


 俺の気配に気付いた一ノ江は、本にしおりを挟み、早々に床に置いてあったカバンに手を掛ける。


「……何でまだ学校にいるんだ?」

「私は牧野先生に、この部屋の管理を任されているのよ」


 そう言い、ポケットから鍵を取り出し、胸の前でちらつかせる。待っててくれたのか?


「鍵ならそこら辺にでも置いておけば俺が閉める」


 少しごもりながら言うと、一ノ江はふうっと深い溜め息を付いた。


「貴方がもっとしっかりした人なら、任せられたかも知れないけど」

「そうか……悪い」

「……別に良いわ」


 一ノ江はそう言うと、そくさくと紅茶のカップを片付け、帰宅の準備を済ませる。


「……鍵、閉めるわよ」

「おっ、おー」


 そしていつの間に扉へと移動していた一ノ江の催促によって、小走りで扉の外へと移動した。


 だが移動したは良いが、一ノ江は中々扉を開こうとしない。


「どうした?」

「……」


 返事が無い。代わりに一ノ江は扉の横で半身になる。


「……先に行きなさい」

「ああ、どうも」


 俺が後ろから付いて行くのがそんなに嫌だったのだろうか。なんとも言えない表情をしながら立つ一ノ江を横目に、俺はお先に外に出た。


 俺が帰路に向かって歩き出すと、間隔を空けるとばかり思っていた一ノ江が、意外にも俺の後ろから付いて来た。


 サクッ、サクッ。


 スタスタスタ。


 ここら辺は年中栄養豊富な為か、まだ完全にバクテリア達が前年度の枝や葉を吸収出来ていないらしく、歩くと少し湿った地面が心地よい音を出す。


 そして、その直ぐ後ろを無言で静かに音を立てながら一ノ江が付いて来る。


 サクッ、サクッ。


 スタスタスタ……スタッ。


 しかしこの歩く音だけという、微妙に緊張感がある空気、何とかならんのかね。


 俺は気を紛らわせる為、話し掛ける事にした。


「……そう言えば何で俺を先に行かせたんだ?」

「何の事を言っているのかよく分からないわ」


 そう一ノ江はとぼけたようにそっぽを向く。


「もしかして……怖いのか?」


 ベタな理由だが、旧資料館周辺は男の俺でも歌を歌いながら帰りたいと思う程暗い。一ノ江が怖がるのも無理無いかも知れない。


 しかし、一ノ江はそんな事を全く感じさせないような冷やかな眼差しを俺に向けて来る。


「……知っているかしら? 大昔の貴族は自分が歩く道が安全かどうか、先に奴隷を歩かせて確かめていたらしいわ」

「それどこの話だよ。そしてもし危なかったら、その時は俺がお前の後ろに張り付くから心配するな」

「……ストーキング?」

「違うわ! お前が先に言ったんだろ!!」

「あら、そう」


 昨日といい今日といい、こいつに構うと俺の体力が根こそぎ持ってかれる。ここはもう放っておくしか無い。


 俺は再び黙々と歩き出した。


 それからの間は、一ノ江は俺に話し掛ける事もなく、どちらとも先に行ったり、別の道から帰ったりする事無く、お互い何も話さずただ黙々と学校の外へ向かって歩いた。


「……日曜日は、行くのかしら?」


 校門まで来た所で、それまで俺に習い沈黙を通していた一ノ江が、ぽそりと口を開いた。


「……さあな、お前は行くのか?」


 こういう場合は、自分から言うよりも、まずは他人の答えを聞いてからその後の俺の答えを出すのが正しい。


 俺が一ノ江に聞き返すと、一ノ江は顎を引いて少しの間、考える。


「……そうね。私は特に断る理由も無いし、後々面倒な事になりそうだから、とりあえず行くわ」

「そりゃ大変だな」

「貴方も行った方が身の為だと思うけど……」


 必然、頭に牧野先生の顔が思い浮かぶ。


「……まあ、考えとく」

「……そう」


 一ノ江は俺の答えになっていない曖昧な返事を聞くと、歩くペースを速め、俺を置いてスタスタと歩き出した。


「……どちらにせよ、ある程度覚悟をした方が良いかも知れないわね」

「同感だ」


 俺がそう返すと、一ノ江は一瞬小さな微笑を浮かべ、そのまま俺を置いて一人で帰って行った。





 ……一ノ江は分からない奴だ。 もしかしたら一ノ江は本当は嫌な奴では無く、良い奴なのかも知れない。

 

 俺はそう思いながら一ノ江の帰って方を見た。もし、それを一ノ江が見ていたらどんな事を言われるだろう。ストーカーと言われるだろうか? アジの様な目だと言われるだろうか? 


 ……それは、一ノ江しか分からない。




******************************************************




 

 数日後。



 今日は日曜日。


 視界の端に映っている雲さえ取り除けば、雲一つ無い晴れである。

 

 時計の針は、昼の一時を指し、誰も居ない家の中で俺は、テレビを見ながら過ごしていた。


 あの後、行くべきか行かないべきか何度か迷ったが、次の日になると決意は固まっていた。


 絶対に行くものかと。


 恐らくあの時の変なやる気は、一時的な物だったのだ。


 例の、野球とか受験を題材にした映画を見た後、異様に夜中練習したくなったり、徹夜で勉強したくなったりする効果みたいな物だったのだろう。


 危ない危ない。流石俺、気付いて良かった。


 冷静になって考えると、何故か俺が他人の為に働かないと行かないのかが全く分からない。


 時給が貰える訳でも無い。内申の事など考えなければ殆ど俺の損である。


 そんな訳も分からん活動の為に、貴重な休日を割くなんてバカげている。


 一ノ江は、先生が後々面倒だと言っていたが、問題無いだろう。考えとくって言っといたし、もし俺が行かなかったとしても、それを考えた結果だと一ノ江が受け取ってる筈だ。


 それでも問い詰められるなら、親父が危篤だとか言えば良い。親父、ピンピンしてるけど。


 ……完璧だ。


 ゲスな笑いをする今の俺の顔は、鏡で見たら、多分凄い事になっているに違いない。


 俺は、今日一日を有意義に過ごせる喜びを噛みしめながら、テレビを見ながらスナック菓子を食べた。


 それからしばらくすると、喉の渇きを覚えた。


「……喉が渇いたな」


 チラリと遠くにある冷蔵庫へと目線を移す。


 ソファーから一歩足りとも動きたく無いのが本音だが、俺以外の家族は皆お出掛け中。


「……仕方ない」


 俺が重い身体を動かし、ゆっくりと冷蔵庫へ向かって歩き出したが、ふいにインターホンが鳴った。


「……」


 無視するとまたインターホンが鳴った。


 三回目のインターホンが鳴り、俺は仕方無く冷蔵庫に行くのを諦め、頭をボリボリと掻きながら家の扉を開けた。


「はい……汝漫市です……」

「汝漫市、集合時刻はとっくに過ぎているぞ!」


 しまったと思った時には、もう既に遅く、俺は強烈な顎への痛みと共に意識を失った。




*****************************************************




「うっ……うぅ……」


 顎が割れる様に痛い。


 気が付いた時。俺は大きなワゴン車に乗せられていた。


「……やっと起きたか。目的地まで余り時間が無いから、早く準備をしろ」


 まだ痛む顎をさすりながら身体を起こすと、痛みの根源である牧野先生が運転しているのが見える。


「……だから大人しく従った方が身の為だと言ったらでしょう」


 俺の斜め前方で、一ノ江が呆れた様に溜め息を付いている。


「起きたか渡よ。俺達は今どこへ向かっていると思う? 戦場だ!! やっと、俺の本気を出す時が来たようだな」

「やはりサボろうとしましたか。全く、しょうがない人ですねぇ」


 おまけに千葉と富士本が居た。


「……あの、なんですかそれ?」


 俺は千葉先生と富士本の事を無視して質問した。


 だが、それは仕方無い事だ。


 俺は何故目の前に二人が居る事より、全員が着用している防弾チョッキのような物に興味が行ってしまったのだ。


 ……何故に防弾チョッキ?





「それで、これはどういう事なんですか?」


 牧野先生から手渡された皆と同じ防弾チョッキのような物を俺はしぶしぶ着用し、疑問を投げ掛けた。


「一ノ江に聞け」


 俺が一ノ江を見ると、一ノ江は不機嫌そうな顔をしながら千葉先生の隣を指差す。


「私よりもそこの人の話を聞いた方がてっとり速いわ」


 一ノ江の視線を辿って千葉先生の隣に視線を移すと、俺の太股はあるんじゃ無いかって位の腕をした男がドッシリと座っていた。


「えっと、誰?」

「俺は、依頼者の郷田 遼だ」

「……どうも」


 その巨大なザクの自己紹介に、頬を引きつらせながら俺はなんとか返事をした。すげえ怖い。


「俺は、サバイバルゲーム部に所属していてな。主将をやらせて貰っている」


 サバイバルゲーム。通称サバゲーと呼ばれるそのゲームは、簡単に言うと、山とかでBB弾を撃ち合う、大人のゲームみたいな物だ。


 全く接点が見つからない。


「それで、そのサバゲー部の主将が、俺達にどんな依頼を?」

「それはだな。今日のサバゲーの大会に出て、優勝したいんだが、生憎人数が足りていなくてな。助けて貰う事にした」

「部員達は?」

「……全員腹痛だ」


 郷田は他所他所しく自分の頬をポリポリと掻きながら目をそらす。嘘つけ。


 そしてとりあえず先生に確認。


「……あの、先生。俺達の仕事って先生の補佐をする事ですよね」

「何を今更」

「で、何でサバイバルゲームに出て優勝しなくちゃならないんですか?」


 俺は可笑しな点を突いた筈なのだが、牧野先生は小馬鹿にしたように笑う。


「汝漫市は馬鹿だなぁ。私の補佐をするという事は、私のやる事成す事全てにおいて補佐をするという事だぞ?」

「これもですか?」

「当然。言ったんだろう? お前は私の奴隷だ。下僕だ。召し使いだ。拒否権は無い」


 それだけ言って先生は再び運転に集中する。


「……もう、諦めた方が良いわよ」


 まだ何も納得せず、何を言ってやろうかウズウズしていた俺を見て、一ノ江は額に手を当てながら溜め息を付く。 


「お前は良いのか?」

「ええ、もう疲れたわ」


 自分の考えを最後まで突き通しそうな一ノ江が諦めるとは、恐らく牧野先生が相当なやり手なのだろう。関わった方が悪いとばかりの先生の振舞い。

 

 仕方無い。ここは俺が男らしくガツンと言ってやって……



「……だな」



 俺は一ノ江に賛同して席に座った。


 駄目でしたハイ。俺にはそんな度胸はありませんでした。


「……はぁー」


 俺が腰を落とした隣で、一ノ江が一連の葛藤を全て理解したとばかりに、まるで薄汚いゴミでも見るかのような冷やかな視線を送って来る。


 仕方無いじゃん。怖いんだもの。


「それじゃあ、改めて依頼を確認する。私達はこれから大会に出て優勝する。良いな?」


 そして先生は落ち込む俺達を無視して他の三人を見ながら何やら語り掛ける。


「……我々は何をしに来たんだ?」

「「そうだ!! 戦いに来たんだ!!」」


 先生の問いと共に他の馬鹿三人が目をつぶり、円陣を組ながら叫び出す。


「……目標は?」

「「優勝のみ!!」」

「行くぞ!」

「「シャアアアア!!」」


 三人は胸に拳を当て空高く突き上げる。


「この掛け声、何?」

「さあ……」

「……もう何も言う気が起きねえな」

「……私もよ」

 

 俺達を載せた車は走る速度を更に速め、大会の会場へと向かった。





******************************************************





 今回行われる大会は、関東最大級の大きさを誇るショッピングモール。通称セントラルモールで行われる。


「……ショッピングモールで撃ち合うのか?」

「ああ、最近では山よりも、こういう建物を借りて行う事がベターだな」


 郷田の話を聞いた俺は本心から感嘆の声を漏らした。 


 サバゲ―というからには、会場は富士の樹海とか、どこかの山の中を想像していたのだが、まさかモールの中とは思いもしなかった。


 セントラルモールは、A棟、B棟、C棟の三つの大きな建物を渡り廊下で繋いだ現在流行りの建築様式を採用し、週末には広い駐車場を利用して何かしらのフェスティバルか開催される。


 そして今回、入り口の横断幕には『第一回、最強は俺達だ!! サバイバルゲーム大会』と安直なタイトルが書かれていた。


 会場の駐車場には既に参加者またはその傍観者が集まっており、展開されている屋台やちょっとしたミニゲームで開始前の余興を楽しんでいるのが遠目で見て取れる。


「……この中で撃ち合って良いのか?」

「確かに、俺最初はそう思ったが、どうやら宣伝になるとかでそういうのは気にしなくていいらしい」


 取り合えず撃ち合って何かを壊してしまっても一応大丈夫みたいだ。


「よく出来てるな……というより、人、多いな」

 

 まるでウホウホバナナに群がるゴリラのよう。


「まあ、ショッピングモールのサバゲは珍しいからな。後は優勝賞品がそれだけ魅力的だという事だな」

「勝てると思うか?」


 とりあえず試しに聞いてみる。


「サバゲにおいて最も大切なのは技術やチーム力じゃない。どれだけ柔軟な発想が出来るかだ。だから初心だからといって必ずしも不利とは限らない」

「そんなものか?」

「ああ。だから勝てる確率も十分ある」


 ほう。


「お前、意外と頭が柔らかいんだな」

「固そうに見えるのは外見だけだ」

「策は?」

「ある。今先生達が最終確認中だ」


 無策では無いらしい。


「それじゃあ俺がやる事は無いよな?」

「ああ、一応今のところはな」

「じゃあ、どっか歩いて来て良いか?」

「分かった。もし良かったら後で準備体操でも一緒にしよう」

「考えとく」


 策があるなら任せよう。下手にここで変な事を言って場を拗らせるのは得策では無い。


 ならば俺は俺で別に行動する。


 そんな自分らしからぬ結論に、俺は少し驚いた。

  

 しかし何故だろう。自分の本意では無い筈なのに嫌な気がしない。むしろこの変な感情は少し懐かしくもある。


 そんな事を感じながら、俺は郷田に別れを告げ、自分なりの事をする為に会場の広場へと向かう事にした。




******************************************************




「だから、ここはこうで最初は……」

「ふむふむ、成程。そうなると……」


 盛り上がる会場内で俺は近くのベンチで携帯をいじりながら、そんな感じの話を小耳に挟む。


 ある程度話を聞いたら移動。そして、新たな場所で聞いてまた移動。

 それらを何回か繰り返し、そろそろ引き所かなと思った時には既に日が落ち、会場の屋台に灯りが付いていた。


「しかし……長いな」


 思わずそんな事を漏らしてしまったが、それは無理の無い事。なにせ受付を昼間の内に終わらせなくてはならないくせに、ゲームの開始は夜の閉店後なのだから。


 ろくに昼飯を食べていなかった事もあり、腹も減った。だけど金が無い。よって、買い食いする事も出来ない。詰みという奴だ。


 今の俺に出来る事と言えばエネルギー消費を少なくする為に、ベンチで動かずじっと時間が来るのを待つこと位なので、俺は近くにあった手頃なベンチに向かう。


「……ふぅ」


 深くベンチに腰掛けると溜め息が出た。そしてそれを遠くで見ていた誰かがゆっくりと此方に向かって歩いて来る。


「……あら、幸が薄そうな顔をしているわね」


 言わずもがな一ノ江だ。


「元からだ」


 止めてくれい。今は腹が減っとるんじゃ。


「……今にも餓死しそう顔をしているけど?」

「合ってるよ。腹が減ってるんだよ」

「何か食べないのかしら?」

「食いたいけど食えない」

「お弁当は? お金は?」

「無い」

「……クスッ」


 イラッとした。こいつ、怒ると余計腹が減るって知ってておちょくってるのか?


 一ノ江は短く笑うと、今度は真剣な瞳で俺の事を見る。


「呆れたわ」

「悪かったな」

「貴方がお金を持っていないと……」

「なっ、何だよ? 迷惑ってか?」

「それは迷惑よ。これからに支障をきたすわ」


 当然とばかりに不機嫌そうな顔をして俯く一ノ江。


 確かに食べないと、頭が回らなくなるし力も出ないと聞く。チームメイトの一人が足を引っ張る事になると皆が迷惑するのだろう。


 本当に悪いのは有無を言わず俺を殴って、手ぶらでここに来る事になってしまった張本人である牧野先生なのだが、とりあえず形式上謝る。


「そりゃ、悪かったな」

「……さて、私の食べ物をどうやって用意するのかしら? 見物ね」

「お前、俺に謝れ」

「貴方、私の召し使いでしょ?」

「俺はお前のATM じゃない」


 支障をきたすって、こいつ自身の事だったとはやられた。あの少し申し訳なかった的な感情を返して貰いたい。


 俺は行き場の無い怒りと、余計に腹が減ってしまった空腹感をまぎらわす為、ポケットから携帯を出していじり始める。


「……何かしら? その態度」


 しかし目の前で携帯をいじり出された事が不快だったらしく、一ノ江が先程よりも更にピリッとした顔をする。


「腹が減ってるから気をまぎらわしてるんだよ」


 大半の原因は一ノ江と牧野先生にあるので、俺は携帯の画面を見たまま投げやりに返事をする。


「……存外ね。だけど貴方、本当にそのままの態度でいいのかしら?」


 そう一ノ江はムッとした顔を引っ込め、やけに自信満々に挑発的な笑みを浮かべて来る。


「どうした?」

「私への態度を改めた方がいいわよ」

「何でだ?」

 

 気になる。凄く。


 俺の注意を十分に惹き付けた事を感じ取った一ノ江は、一拍置いて勿体振りながら迷彩柄のズボンのポケットから一枚の紙を取り出した。


『飲食類無料券』


 確かにそう書いてあった。


「これを持って向こうの屋台に行くと、食べ飲み物が全て無料になるらしいわ」

「……マジか」

「そして私は今お腹が一杯」


 どうやら俺に奢らせようとしたのは本気ではなかったらしい。


 なら俺のやる事は決まっている。


「何か言う事は?」


 ベンチから立ち上がり、極限まで背筋を伸ばしてから一心に一ノ江の事を見た。


「……俺にその紙を……下さい」


 羞恥を捨てきれず、かなりどもりながらしかも断片的に言ってしまった。恥ずかしい。


「……」


 しかし一ノ江は、俺が恥ずかしがっている現状に全く触れる事無く俯いていた。


 そして何も言わずに、俺に紙を差し出して来た。


「はやく、取りなさい」

「……良いのか?」


 自分で頼んでおきながら俺は何故か躊躇してしまった。


「……貸し一つよ」

「ああ、」


 一ノ江はそれだけ言うとさっさとどこかへ行ってしまった。

 

 対する俺はというと、やけにざわつく心を落ち着かせる為直ぐには屋台へ行かず、ベンチに深く座り直した後、携帯電話の電子書籍を開いて時間を潰す事にした。




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