人間誰しもアジトというものにロマンを抱かずにはいられない
「着いたぞ」
俺達が牧野先生に連れられ事十数分。
この学校の生徒(主にリア充)が昼休みに外で食べる時などによく利用する通称Rガーデン付近。
そこから少し奥に歩いた所で先生は止まった。位置にすると丁度校舎とビオトープの中間位にだろうか。
広く、日当たりの良い開放的なテラスでリア充達が放課後にも関わらずアハハ、ウフフ、オホホ会話しているのに比べ、俺達が辿り着いた所は林の中。
普段生活している分には微妙に気付きにくい所であろうこの場所は、なんというか、どこぞの金持ちが所有してそうな山の中のセカンドハウスの様だった。
木製で出来た大きなテーブルと椅子。釣りが出来そうな川。そして、木々の間からこぼれる夕陽。
唯一異なる事といえば、建物自体が物凄く古い事だろう。一体いつのだ?
「ここは学校の資料館の筈ですが……」
俺と違い、その建物の存在を知っていたらしく、一ノ江は確認するように先生に尋ねる。
しかし、当の本人は全く気にする素振りを見せず、「その通り。よく知っていたな?」と答える。
「確かにここは、去年までは学校の資料置き場として使われていたが、誰も利用しなくてな。物置のようになっていた所を私が引き取ったんだ」
「……この場所を利用する許可は取ったのですか?」
少し怪しいと感じたのだろう。一ノ江は先生に訝しげな視線を送るが、先生は努めて冷静に一ノ江の事をなだめる。
「安心しろ、ちゃんと許可は取ってある。仮にも私は教師。そこの所はしっかりとしている」
「……それもそうですね」
失礼しましたと一ノ江が頭を下げると、先生は気にするなと手を振って見せる。
「まあ、外見はいささか古いが、心配しなくていい。中はしっかりと改装しておいたからな」
そう言いながら、俺達に早く中を見せたいのだろう。グイグイ背中を押して促して来る。
「どうした? 速く入れ」
「嫌ですよ」
「何故だ?」
「……先生から入って下さい」
躊躇する俺達に、先生は首をかしげる。
常識で考えて欲しい。
よく調べたら銃弾の痕跡とかが見つかりそうな建物など、誰が入りたがるだろうか?
地震を待つ前に野球部のホームランで倒壊しそうな建物など、誰が己の身を任せられるというのだろうか?
改装したと言っていたが、この外見からでは底が知れるというもの。改装業者だって万能では無い。危険だ。
「時間が無いんだぞ!」
「いえ、俺、ちょっとトイレに行きたくなってしまって、どうぞ先に入ってて下さい」
「見苦しい! さっさと入れ」
先生は俺の襟をグイグイ掴んで引っ張るので、俺はとっさに近くの木へとしがみ付いた。
「それでも男か? 意気地が無いな」
「危機感知能力が優れていると言って下さい」
冗談じゃない。本当に死んでしまう。
「一ノ江、お前はどうだ?」
溜め息を付きながら今度は一ノ江に首を向けるが、一ノ江はそのまま腕を組んで黙り混んでしまう。
「お前までもか……」
一ノ江にも裏切られ、先生は落胆を表にする。
「全く、埒があかないな……」
先生は腕を組みながら眉間に皺を寄せ、溜め息を付きながらもう一度俺の方へ来た。
そして一ノ江に見られない様、背中で俺の事を隠し、一ノ江に聞こえない様に囁きかける。
「お前、まだ生きたいか?」
「なっ、何を言って、ふぐっ……」
直後、俺は一昔前の鶏のように首をキュッと絞められた。
「先生っ、いっ、……けほっ、息がぁ、」
「安全だって言ってるだろ? 信用できないのか?」
「いや、そっ、そう言う訳じゃっ……」
「じゃあ入れ」
薄れ行く意識の中、必死に頷くと先生は絞めていた手を緩める。
俺は地面に倒れ、もがきながら咳をした。畜生死ぬところだった。
敗者の俺は、その後直ぐに先生になされるがまま、扉の前へとスムーズに移動させられる。
「汝漫市。これいるか?」
そう言って先生は『安全』と書かれたヘルメットを被せて来る。
「安全じゃ無かったんですか?」
「嫌だなー。もしもの為にだよ。もしも、の為」
そのもしもがあってはならないと思うんだがな。
「まあ、なんにせよ、まずは中に入らなくては始まらないからな。様子を見てこい」
ビシッと勢いよく指を立てた先生に、俺はいつか復讐を誓った。
俺はゆっくりとボロい建物に近付き、今にも外れそうな扉を開いた。
……率直に言おう。予想外だった。
「……うお」
中に入った俺は、外見からは想像のつかない景色を目の当たりにして、思わず簡単の声を漏らした。
陽当たりの良く、教室と同じ位広い間取りに、六人は座れるだろう大きなテーブルと椅子。
テーブルの近くには、コーヒーメーカーやポット、食器等が備わっているダイニングボード。
また部屋の奥には、座り心地の良さそうな三人掛けのソファーとサイドテーブルがあり、ソファーから向かって正面には、なんと音響付きの六十インチ位はあるテレビが設置されていた。
そして、入り口付近には、二階へ向かう為の階段があり、登ると一階よりやや狭めな部屋の壁という壁に、本が所狭しと並んでいた。大学の教授が読みそうな本は勿論、新聞や雑誌、おっ、漫画やラノベまである。
二階の家具についても、窓際にどこかの大学の教授が、使いそうな机と電気スタンドが設置されているので、言うことがない。
終いには部屋の壁や床、家具達はほとんど全てアットホームな木材を使用しており、明る過ぎず暗すぎない照明も完備されていた。
「……よくこれだけの設備を揃えましたね」
感心半分あきれ半分といった感じに部屋の感想を言う一ノ江。
「そこは私の力量だ。ソファーやテレビなんて、本来置いて良い訳無いからな」
そう言って、先生は、胸を反らしながら得意気な顔をして見せる。自らの手柄を主張する行為は、個人的に余り好きではないのだが、ここまで堂々としていると清々しさすら感じる。
しかし、ふと疑問に思った。
「でも、なんで活動とは関係無い物ばかり置いたんですか?」
内容的にテレビとか、キッチン代わりにもなるダイニングボートなんて要らないだろうし。どうもこの部屋、まるで家みたいな感じがする。
「何故、だと……」
俺の話を聞くなり、どこか遠い方を見る先生。
「書斎やテレビは情報収集の為、コーヒーやソファー、そしてこの内装は、相談に来る生徒達が少しでもリラックス出来るようにしたいからだよ……」
「……そうですか」
知らなかった。牧野先生がそんなにも生徒の事を想っていたなんて……これからは人を疑う回数をを少なくしよう。
そうだよな、まさか自分が使いたいが為に揃えた訳……
「べっ、別に私が学校でくつろげる場所が欲しかったからとか、そういう事は微塵も思ってないからな!」
前回撤回。やはり人は常に疑うべきである。
「牧野先生……」
煮干しの様な目を向ける俺同様に、一之江も眉間を押さえながら呆れたように溜め息を付き、牧野先生はうっかり本音を漏らしてしまった事を誤魔化すようにわざとらしく咳をする。
「まあ、ともあれ今日からここが私達の拠点となる。遠慮せずに存分に使え!」
そう言って、先生はそくさと居心地の悪くなったこの空間を後にしようとする。
「……あの、先生」
「はっ! ……なななっ、何だ?」
一ノ江に呼び止められ、一瞬息が止まった牧野先生。
「私達は先生の補佐として、何をすれば良いのか何も教えて貰っていませんが?」
「ああ、そうだったな。だが、それはまた今度だ」
「しかし……」
「まあ、今日の所は存分にここで楽しんで帰ってくれ。そこに、デカイゴキブリが居るが気にするな」
そう言いながら二人はチラリと俺の方を見る。
……ゴキブリって俺?
「そうですね。そこのは気にしなければ別に良い訳ですし……分かりました」
どこか満足げな顔をする二人。
「さて、後の事は歳上の私より、若いお前達に任せた方が良いだろう。若い!! お前達に任せて私は消えるとしよう……」
先生はその後、思い出した様に時計を見て「不味い。遅刻しそうだな」といつこの場を去って行ってしまった。
……合コン。頑張って!!
しかし、一分も経たない内に、先生は再び凄い速さで戻って来た。
「はぁ、はぁっ。一つ言い忘れてたが、私の補佐をする以上、お前は私達教師ほどでは無いが、それなりに権限がある。まあ、さしずめミニ先生といった所だろう」
息を乱しながら苦しそうに言う牧野先生。
「それと、私達の記念すべき活動第一回は、明後日。つまり日曜日だ。十二時に校門前に集合だ」
先生はそれだけ言い残し、質問反論を一切受け付けず、風のように去っていった。
まあ、でも仕方ない事なのだろう。自分の将来が懸かっているのだから。
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「……」
「……」
しかしな、後は若い二人に任せるなんて言っていたが、正直一ノ江と二人きりで居るなんて気まずい事この上無い。
もし、一ノ江が昨日の事を含めて、俺の事も忘れてくれているのであれば、都合が良いが、そんな事もあるまい。
「まさか、貴方も呼ばれていたとはね」
俺がとりあえず二階に上がろうとすると、以外にも一ノ江が先に口を開いた。
「ああ、俺も同じ意見だ」
俺の弱味に入って来て貰っては困るので、体制を立て直し、努めて冷静に返事をする。
しかし、一ノ江はそれが信じられないといった表情を見せる。
「貴方と意見が同じ? 病院に行った方が良いかしら……」
「それならとっくに俺は死んでるぞ」
「あら、貴方生きてたの? 目付きが焼いたアジと似てたからてっきりもう……」
「おちょくってるのか!」
一ノ江の誹謗中傷に俺はジト目を向けるが、それを見た一ノ江は、何を思ったのか、手を素早く交錯させながら己の身体を庇うようによじり出した。
「……何が目的なの?」
……おい。
「何も目的なんてねえよ。俺がお前に何かするとでも思ってるのか?」
俺だって、捕まるのを覚悟で触るなら、一ノ江のゴツゴツした奴より、もっと低反発の方を選ぶ。
しかし、一ノ江は尚も警戒の目を弱めずに、威嚇するかのように俺に突っ掛かって来る。
「……その顔で言われても、説得力が無いわ」
「人を見た目で判断するなって親に言われなかったのか?」
「貴方の場合、見た目も中身もそう大差無いと思うわ」
……このアマ。
「お前こそ……」
思わず本音の先端が漏れてしまった。
「お前こそ……何かしら?」
器が小さいから、胸が小さいんだなんて、言える訳が無い。何より目が怖い。
俺は直ぐに「いや、何でも無いです」と言葉を詰まらせた。
すると、一ノ江は不機嫌そうな顔になり、髪を弄びながら頬を軽く膨らませた。
「そう言えば、約束。忘れて無いわよね?」
「なんの事だ?」
「なんのって……昨日の、よ」
「昨日?」
約束なんてした覚えは無いので、とりあえず聞いてみる。
「私はまだ昨日の事、許していないわ」
目を見開き、真っ直ぐ射るように俺の事を見る一ノ江。
「あれ、がどうしたんだ?」
「さっき思い付いたのだけど、貴方、私の下僕になりなさい。それで昨日の事はチャラにしてあげる」
「なんでだよ」
「下僕と言っても、私の靴を舐める必要は無いわ。靴が汚れるもの」
一ノ江はそう言うと、スタスタとダイニングボードへ移動し、紅茶を作る準備をし始める。
「別に昨日のでチャラで良いんじゃないか?」
「貴方は信用に値しないわ。それなら、私と貴方の間に絶対的な上下関係を作るしか無い」
話ながら作業する一ノ江。紅茶も段々良い香りを放ち始め、俺の鼻孔をくすぐる。
「で、どうすれば良いんだ?」
諦めた俺は、カチャカチャとスプーンを動かし、紅茶を冷ましながら飲んでいる一ノ江に聞いた。
「随分速いわね。もっとごねると思ったわ」
「どうせ無駄な事だ」
「そう……」
すると一ノ江は小さくほくそ笑み、座り心地良さそうなソファーに深く腰掛ける。
「別にどうって事でも無いわ。多少私の身の回りの世話をしてくれれば良いだけよ」
「世話?」
「そう。私に紅茶を入れたりしてくれれば良いわ」
「成程な」
要は俺に小姓をやれと言うことか。それで上下関係を俺の身体に染み込ませるという発想か。
俺が顎に手を当てながら思慮にふけっていると、一ノ江はバックからカバーに包まれた本を取りだし、いよいよリラックスした体制に入る。
「安心しなさい。別に言うことを聞かないからと言って鞭で打ったり、溶けた蝋燭を背中に垂らしたりしないわ。逆に貴方が喜んでしまうもの」
「だから、俺はそんな特殊な性癖は無いっつーの!!」
「とにかく、折角この部屋を自由に使う許可が降りたのだから、お互い友好に利用し合いましょう」
「へいへい」
俺が答えると、一ノ江は今度こそ本格的に自分の世界に入ったらしく、それ以上は何も言って来なかった。
俺も少しの間その場で立ち尽くしていたが、ふと階段がある事を思い出し、誰にも気を使う必要の無い、夕陽が刺して止まない二階へと登る事にした。