何だかんだ汝漫市 渡は部活動に所属している
新たな登場人物。
富士本 祐輔……クラスメイト。
千葉 俊隆……顧問の先生。
放課後になると学生の多くが活気立つ。
それは脱獄したての犯罪者が、シャバで再び罪を犯すという心理状態に極めて近いらしい。
拘束されればされる程、拘束が外された時のフィードバックが大きく、教師に怒られたりムシャクシャした日にはポストコーンを蹴って発散する奴も、帰宅時にはやや見受けられる。
悪くも無いのに蹴られるポストコーンの方は堪ったもんのでは無いのだろう。因果応報とでも言うべきか、希に鉄のタイプを蹴って骨折する奴等の様に反撃に遭う事もある。
その他にも、ベニアの壁を殴る等の発散方法もあるらしいが、今日はこの辺にしておこう。
今紹介したその様な状態は、我が望ヶ丘高校でも例外では無いらしく、放課後になった今、多くの生徒達が活発的に動き出している。
廊下や昇降口付近では帰宅時のパーティーを編成すべく人だかりが出来、部活動がある奴等は走って部室まで向かう。
「廊下を走るのは止めなさい!!」
「本当、廊下を走る奴ってマジあり得なくない?」
この様に、廊下を走る奴等はしばしば悪の汚名を着せられる事がある。
だが、俺にとってはスピード違反をしている奴等は事故を起こさなければマシな方だ。むしろ人待ちをして渋滞の原因を作っている奴等の方が質が悪い。ポリープじゃあるまいし。
その点、俺は優秀である。
誰の邪魔をする事無く、安全かつスピーディーなフットワーク。これを完璧と言わず何と言う。
だが、そんな俺にも欠点がある。
帰宅時にほとんどの確率で俺と遭遇するそいつに、俺は今日も遭遇してしまった。
「渡! 部活、行こうぜ!!」
そして今日もポリープは、中島的なノリで俺の元へとやって来た。廊下をすいすいと歩いている俺の邪魔するやせ形のまあまあ長身な男。
富士本 祐輔。それがそいつの名前だ。
富士本の特徴は、良く言えば彫りの深いアジア系の顔立ち、悪く言うとそう、馬の様な顔だ。
「渡! 今日は部活だろう?」
「……分かってるよ」
「じゃあ、早く行こう」
「ああ」
そんな調子で富士本は俺に話しかけて来る訳だが、何故こいつが俺と関わり出したか? 俺に近付いて来る位だ。理由は簡単、高校デビューとやらに失敗したのだ。
あれは一年前の事。
当時の富士本は中学時代の弄られ体質を高校入学を機に、克服しようと考えていた。
そこで当時の富士本が思い付いた事が、逆に弄る側に回ろうという答えだ。
「お前、どこ中?」
富士本と俺のファーストコンタクトはこれだった。
「あ?」
入学初日。俺の事をチョロいなと思ったのか、やけに馴れ馴れしい口調で俺に話し掛けて来たこいつは、まず俺の事を利用してデビューの礎を作ろうとしたらしい。
しかし、元から人を弄る事に慣れていない事と、内面から滲み出る弄ばれ体質が相まって富士本のデビューは一月で終わりを遂げた。
憐れ富士本は今となっては弄られキャラが定着してしまっている。
「おい富士本、ギャグやってよ」
授業中だろうが休み時間だろうが、クラスではほとんど毎日、富士本のからかわれている所を良く見られる様になった。
「おい、渡! 頼む、今日だけ俺と代わってくれ!!」
「嫌だ」
「頼む! 本当に頼む!!」
「ふざけるな」
「別にお前は今日一回やるだけなんだから良いじゃないか?! 俺なんて毎日だぞ! 泣きたくなるぞ!!」
そしてこいつは当初利用しようとしていた俺に懇願する程落ちぶれた。
恐らく俺に関わって来るのも俺と居れば他の奴等が話し掛けて来ないからなのだろう。
さて、富士本が言ったから分かるとは思うが、俺は一応部活動に所属している。
だからと言って運動が好きだとか、一度しか訪れない青春を謳歌したいという思惑があるわけではない。
ただ単に、適度な運動をしたかっただけだ。断じて出会いを求めて女子と話したくて部活動に入った訳じゃ無い。
しかし、今でも俺はあの時富士本の話なんて聞くべきでは無かったと後悔している。部活が楽だなんて嘘っぱちだ。色々な面で辛い。
そんな経験もあり、今では少しずつ慣れ、適度に手を抜きつつ過ごしている訳だが、未だどうしても我慢ならない物があった。
それは、夜の自主練だ。
実はこの部活動は週に二回しか無いが故に表向きの練習が終わった後にさらに練習があるのだ。
しかし自主練習だからと言って帰りたい奴は帰って良い訳では無く、帰ろうとすると当然の様に怒られる。
じゃあ、何で自主練にしたし! と突っ込みを入れたくなるが、顧問の先生としては仕方無い事らしい。
この学校が夜の七時以降の練習を禁じているからやむを得なく自主練という名目を掲げ、あくまでも生徒達の意思によって練習していると学校側に思わせる必要がある。
という理由からこんな詐偽みたいな事をしているらしい。なんと無駄に意識が高いんだろうか?
自主練の内容は至ってシンプルで、広大な学校の敷地を先生が良いというまで走り続けなくてはならないという物だ。
危うく生徒が遭難しかけた事があるという逸話まであるのに、こんな場所走ってられるかというのが俺達の本音である。
だから自主練習に入る前のほんの僅かな休憩時間を利用して、俺達は脱走を試みるのである。
しかし、顧問の先生も馬鹿では無い。
俺達が脱走するであろう時間帯や逃げるルートの大体を把握し、監視しているのでそこから生還するのは至難の業だ。
だからこの時ばかりは普段それほど仲が良くない部員達だが、先生の鉄壁の守りを突破すべく、自主練前の時間帯を使ってお互いに知恵を出し合うのである。
余談ではあるがここで我が部の顧問を紹介しよう。
顧問の名前は千葉俊隆。身長は百八十センチ程あり教師としてはかなり高めに位置し、高校時代陸上部に所属していたので短距離、長距離共に驚く程速い。
そして、毎朝のランニングを日課とし、爽やかな笑顔が特徴的だ。
ここまでなら千葉先生のプロフィールを聞くと、爽やかで格好良かったり、昔ながらのゴツくてマッチョな人物像を想像するだろう。
しかし、千葉先生のルックスはその想像を真正面から叩き割る位の威力を誇る。
爽やかで格好いい? とんでもない。
ゴツくてマッチョ? これもとんでもない。
痩せこけた頬、そして骨しか無いんじゃないかと思う程の身体の細さ、青白い肌色。
端的に言うと千葉先生はバイ○ハザードにノーメイクで出られるんじゃないかと思わせる様な顔の持ち主である。
こんなんでよく爽やかな笑顔を作れるものである。最早ビックリを通り越して天晴れだ。
恐らく見境の無いタイプの奴でも「あら、可愛い顔してるじゃない」なんて冗談を言えないだろう。
だが、千葉先生はそんなゾンビみたいな外見とは反して温厚で親しみ易い性格をしているので、生徒からの信頼は意外にも厚い。
まあ、その信頼や先生への親しみが先生の顔に対しての憐れんだ優しさかも知れないが、意外と人気があるのだあのゾンビは。
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「はい、それでは今日の練習を終わります。引き続き夜の練習があるので準備が出来次第正門に集合して下さいねぇ」
練習が一通り終わり、千葉先生が俺達に次の指示を出した頃には、既に策が出来ていた。
名付けて、「四方八方散開作戦である」
この作戦はその名の通り、部員達全員が正門、裏門、最近発見した抜け道から一斉に逃げるというもので、一つしか無い先生の身体を逆手に取った正に外道な戦法である。
しかし当然千葉先生は、俺達が逃げる事を警戒しつつも夜の練習をすべく正門で待っているハズなので正門組はいわゆる囮だ。
だから組分けジャンケンが今夜走るか否かを決していると言ってよく、俺達部員はその時、己の中に眠る熱い魂を込めた拳に運命を託す。
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「よっ、よし、じゃあ、やるぞ」
決着を着ける為俺達はこっそりと体育館裏に移動し、各々がなんの形を出そうかと思案し終えると、
部員の誰かが音頭を取った。
ゴクリ
皆が生唾を飲む音がハッキリと聞こえた。勝負の時だ。
「いっ、行くぞ!」
合図と共に、各々が拳に力を込め、己の運命を託した。
「じゃ、ジャンケン!!」
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「しゃゃゃゃゃゃーー!!」
「うわぁああああーー!!」
周りがガッツポーズをしながら咆哮をあげる奴、顔に手を当てながらこの世の終わりのように膝から崩れ落ちる奴、そして煮え切らないような表情をする奴の三分された時には、夜の練習が始まる五分前となっていた。
今が作戦を決行する時だ。
幸い俺と富士本は三つの中で最も生存率の高い抜け道から逃げられる事になったので余裕をこいてられるが、正門組の奴等は酷いもので、刻々とリミットが近付く中、ブツブツと念仏の様な言葉を唱える奴、顔を真っ青にしながらガタガタと震える奴が現れてくる。
それもその筈である。何せ千葉先生に捕まった奴等は練習内容である十キロのランニングを先生と共に走らなくてはならなくなり、走るペースが落ちよう者なら背中に張り手が飛んでくるというおまけが付いてきてしまうのだから。
まあ、だからと言って俺があいつらと代わるかというとそんな事も無く、ざまあみろと笑いながら俺達は抜け道へと急ぐ。
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俺達が抜け道から出た頃には空はもうすっかり暗くなっていて、星が綺麗に輝いていた。
他の奴等は今頃捕まってるんだろうなと思うと一層輝きが増した様にも感じた。ざまあな気分だ。
「星が綺麗だな」
部員の一人がそう言うと皆「全くだ」と頷く。
いつもの俺ならこんな言葉、無視してやる所だがこの時ばかりは素直に「……ああ」と相槌を打つ。
しかし富士本だけは、どうやら熱い勝負を期待していたみたいで、「少しばかりなら走っても良かったかもしれないな」と少し残念そうに言葉を漏らした。
「そうですか、それは嬉しいですねぇ。なら、今夜は星を見ながら私と走りましょうか?」
だが、富士本の言葉に反応するように、突然背後から聞き覚えのある声が聞こえて来た。
……まさか。
俺達は凍り付きながらゆっくりと振り替える。
ゲッソリと痩せた頬……千葉だ。
「うぁぁぁぁーー!!」
パニックになった俺達は何秒か後、狂ったように走り出した。
「待ちなさい!!」
一瞬の出来事に、俺達とは少し遅れて千葉先生もスタートを切り叫ぶが、勿論そんな事を言われて待つ訳が無く、さらに四方八方に散会する。
しかし、全員捕まえるのは不可能だと判断した千葉は、数ある方向の中で、よりによって俺と富士本が逃げた方だけに狙いを定め追いかけて来た。
「止まりなさい! 今ならまだ間に合いますよ! 」
間に合うなら追いかけて来るな。
夜の街で俺達を追跡してくる先生は、どこかの映画の刑事になったつもりだろうが、それ間違ってるから、あんた百歩譲ってもデ○ノートのあいつだから。
そんな事を思いながらも、目を光らせながら全速力で追いかけて来る先生は待ってくれるハズも無く、どんどん距離を詰めてくる。
もう、息が切れかけている! クソ、話が違う。
俺はゼエゼエ言いながら自分の運命を呪った。
今回は楽に逃げられると思ったのに、まさかこんなにも速く抜け道を発見され、張られるとは……今頃正門と西門から逃げた奴等は鼻歌を歌いながらスキップして帰っているに違い無い。ファッキン!
だが、追い込まれた俺は、絶対絶命の状況下である事を思い付いた。
隣でヒイヒイ言いながら走っている富士本を囮にしよう。と
……悪いな、恨むならこの世界を恨んでくれ。
富士本を囮にすると決めてからの行動は実に滑らかだった。
二人に気付かれる事無くこの場から離脱する為、綿密に先生との距離を把握して富士本を俺の少し前を走らせる。
後は手頃な十字路を曲がり千葉先生の視界から一瞬俺達の姿が消えた後、俺だけ物陰に隠れれば良い。
俺はじっとその瞬間を待った。
そして、しばらくすると目の前に良い感じの十字路が見えて来た。
勝機!!
「富士本! この十字路を右に曲がるぞ!!」
「分かった。一緒に逃げ切ろうぜ!!」
「……ああ、」
お前だけ逃げてろ。
俺は富士本と共に右に曲がり、この機会を逃すまいと近くの物陰にダイブした。
多少手足を擦りむいたがこれ位安いもの。
物陰で息を潜めていると程なくして千葉先生が、目の前を猛スピードで通過する。
俺に気付いている様子も無いのでとりあえず作戦は成功したのだろう。耳を澄ますと遠くの方で富士本の悲鳴が聞こえて来た。
逝ったか。
本当はそのままスタッと走り去って行きたかったが、富士本が予想よりも速く捕まってしまったので俺はしばらくその場で隠れている事にした。富士本が学校に連れて行かれてからの方が安全だろうし。
少し経つと近くで先生と富士本の声が聞こえて来た。
「渡め!この俺を裏切りやがったー!!」
「大人しくしていなさい。汝慢市君も見つけ次代捕捉しますから」
「ううっ、まさかこの俺を囮にするとは……何が一緒に逃げようだ。裏切り者め!!」
酷い言われようだが、俺は断じて一緒に逃げようなんて言っていない。勝手にお前が勘違いしただけだ。
「大体夜に練習があると言うのに何で逃げ出したりするんですか?」
「……すいません」
俺が気になって陰から様子を見ると、富士本は、先生に縄で両手を固定されながら万引き犯のような応答をしていた。
男二人がハアハア言いながら一方は縄で固定され、もう一方は縄をしっかりと掴んでいるという非常にシュールな光景だ。
「くそー! こうなればあいつも道連れだ! 何としても見つけ出してやる!!」
最早逃げる事の叶わない富士本は少しでも多くの道連れを作る為に血眼になりながら辺りを見回している。
こいつらが居なくなってからゆっくりと逃げようと思ったが、見つかったら面倒な事になる……速めに此処を……
そう思い俺がゆっくりと身体を動かした時、富士本と目が合った。
「先生!! 居ました! 汝慢市が居ましたーー!!」
富士本の声に反応し、先生が目を光らせながら此方をギロリと見る。
「……見つけましたよ、汝漫市君」
当然、俺が逃げ切れる筈が無かった。
「何て事しやがるこのクソ馬がぁ!!」
「あ、ざまあみろ! ざまあみろ! ざまあみろ!! 一人だけ逃げようとするからだ!!」
「うるさいですよ二人共。それより今日は覚悟しておいて下さいねぇ」
俺達は千葉先生の監視の元、いつ終わるかも分からない敷地内を永遠に走る羽目になった。