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おまけ3 「あるわ! 羞恥心がないとかありえないでしょ!」

 一週間。


 あの部活動から一週間が経った。一週間といえば、神が世界を想像するのにかけた時間だ。正確には六日間働いて、最後の一日は休んだのだが、それを当てはめて考えると一週間経ったこの日は休む日ということになる。


 しかしそんなことはなく、今日もまた部室と呼ばれて浮かれているだろう部屋に部員たちは集まっていた。部屋の中にいるのは花梨と柚希、それに棗と杏子である。本日もまた一週間前に行われた部活動を盗撮したDVDを見ていた。


 花梨が編集を重ねた真実が消されたDVDである。偉い人に報告するために撮ったものであるはずが、そこに真実はなく――いや、真実はあるのだが、見せられないものは編集で消されている。そして逆に演出のために増えているエフェクトなどがあるが、それに一から触れていたら、キリがないため割愛させてもらう。


 その花梨は編集作業で疲れたからといって、今は寝てしまっている。いびきもなく、呼吸音もない。まさしく無音である。それほど深い眠りについたのだろう。海のように深く、眠っているに違いない。できることならそのまま沈んでいて欲しい、と柚希は思った。


 棗と杏子に目を向けてみるも、二人はDVDを見るのに必死で無言であった。それほど集中して見る価値があるのか疑問に思ったが、感性は人それぞれだ、疑問にしたところでどうにもならない。


 二人が食い入るように見ているのは柚希が杏子にリタイアさせたときのシーンだった。あのときとは違う点といえば、爆発に編集がされていたことだけだ。しかしそれだけでも迫力が変わっていた。「現代の技術万歳」と柚希は内心で手を挙げたが、すぐに下ろした。


 もう少しで棗と杏子のパートが終わる。


 終わったら帰っていいのだろうか?


 花梨も疲れているようだから、もしかしたら帰してもらえるかもしれない。そうなればいいと柚希はお茶を飲んだ。ひどくぬるくなっていた。


 この部屋には様々なものが置いてある。テレビやDVDレコーダーなど、いい成績を残した部活にだけ配備されるようなものから、どこから持ってきたのかはわからないような、しかし確実にここにあってはいけない人形があったりする。さらに冷蔵庫やカセットコンロ、寝袋などがあり、この部屋に住むことが可能なくらいだ。部室としてはかなり充実している。


 そこまで考えて柚希はそうじゃないな、と首を横に振った。


 この部屋だけではない。校舎丸々一つがこの部活のために残されていると言っても過言ではないのだ。本来なら取り壊しの作業をしていてもおかしくはない。学校側もそうしたいのだろうけれど、花梨がそうはさせない。どんな弱みを握られているのか、どんな手段を使ったのかわからない。それだけはわかりたくなかった。下手に干渉してしまえば、きっと嫌な気分になるに違いない。


 パンドラの箱のようなものだ。開けてしまえば、見てしまえば、後悔する。たとえ中に希望という光があったところで、それを覆い隠すほどの絶望という闇があるのならなんの意味もない。ただの思わせぶりにしかならない。


「おっと……、ここまでだった」


 棗の声を聞いて、ふと思考の世界から現実に引き戻された。テレビの画面を見てみれば、右上に一時停止の文字が表示されている。律儀に見ることを止めたのだろう。


 花梨の様子を確認してみると、まだ眠っているようだ。花梨の後ろには窓があるのだが、今はカーテンで光の侵入を防いでいた。といっても窓が開いているため風が吹く度にカーテンがなびいて、その隙に光が容赦なく侵入してくる。


 それでも花梨は眠り続けている。


 柚希は椅子から立ち上がり、花梨を起こしに行く。近づいてみても寝息などは一切聞こえてこなかった。


「花梨さん。今日の分終わりましたよ」


 柚希は花梨の肩を揺すった。だが花梨は目を覚まさない。今度は少し強めに揺すると、花梨の頭がかくかくとどこかの舌を出している女の子の人形のように揺れた。


 数秒の間揺すっていると、花梨の体がピクッと震えた。どうやら目を覚ましたようだ。


 花梨はゆっくりと顔を上げ、眠たそうに瞼を擦った。


「うへー……。終わったのかい? どうだった? ん? なんか……視界がぼやけてる? 私がおかしいの? それとも世界がおかしいの? 作画がおかしいのか?」


「おかしいのは花梨さんの頭です」柚希は持っていたペットボトルを花梨に渡した。「とりあえずお茶でも飲んで、目を覚ましてください。あと現実を見てください。作画とかおかしいこと口走らないように」


 ありがとう、と花梨は眠たそうに言ってペットボトルを受け取った。受け取ったのはいいが、力が入らないといった様子で柚希に無言で蓋を開けるようにかざす。


「自分で開けてくださいよ……」


 渋々そう言いながら柚希はペットボトルを受け取り、蓋を開けた。新品ではないため、軽く捻るだけで簡単に開けることができた。花梨に渡すと、一気に中身であるお茶を飲み干した。豪快というべきなのだろうが、花梨の場合不思議と華やかさがあった。男っぽくないのである。どこか気品のあるような――絵になるような光景だった。


「ぷはー。なんかすっきりした」花梨はペットボトルを置き訊く。「それでなんだっけ?」


「今日の分は終わったって話ですよ」


「今日の分? ……ああそうか。DVD見終わったんだね。それで棗と杏子はなにか言いたいことはある?」


 棗と杏子は黙っていた。ただ黙っているわけではない。何を言うべきか迷っているのだろう。それほど彼らには言いたいことがあるのだ。


「じゃあ私から」杏子が言った。「どうして私が負けてるんですか? たしかあのとき私が勝ちましたよね。どこから撮ったのか知りませんけど、そこんとこどうにかしてください」


「いやいや杏子。きみが負けたのは私の編集のせいじゃないからね。そこに映っているのはまごうことなき真実だから」


「いえいえ。たしか私はあのとき柊先輩に勝ちましたよ。ええ、それはもう観客がいたら最高に盛り上がる勝ち方したはずです。なのにこんな編集で……」


「きみが負けた醜態を晒すのが嫌なことはわかってるよ。編集してもいいくらいだ」


 柚希は言いたいことがあったが、我慢した。草原のような広い心で受け入れようとしてみたのだ。


「なら編集してください」


「お前バカ?」横から棗が口を挟んだ。「そこでそれを言ったらお前が負けたことを認めたようなもんじゃん。あ、悪い。バカ? なんて語尾にハテナ付けちまったけど、お前はバカだったな」


 どうしてわざわざ喧嘩を売るようなことをするのだろう。柚希はそう思ったが、思うだけで留まった。いつものことだから仕方ないことだ。けれど少しは学習したほうがいい。これはどちらにも言えることだけれど。


「残念だけど、バカ先輩に構っている時間はないよ。私の問題は一刻一秒を争うんだ。バカのバカみたいな発言をバカみたいに聞き入れるわけにはいかないね」


「そう。ならこれは俺の独り言だと思ってくれよ」


 棗は少し間を開けた。


「涙は女の武器……だっけ? ははは。つい笑いが込み上げてくる。――あれ、ガチ泣きだろ?」


 ピクッ、と杏子の眉が少しだけ動いた。棗の発言が気に入らなかったのか、もしくは勘に触ったのだろう。いつも通りの喧嘩の前触れだ。


「ガチ泣き? いやだなぁ、そんなわけないじゃない。私が泣く? ありえないよ。たまねぎを切っても涙を流さない私が、そう簡単に泣くわけないよ。だからあれはガチ泣きじゃなくて、勝つために流した涙だね。女優さんが見せるうさんくさい涙と同じ」


「うんうん。お前の言いたいことはわかった。だけどな、言い訳が長すぎて、ただの照れ隠しにしか聞こえないね。図星なんだろ? そうなんだろ? 認めちまえよ。柚希だってそう思ってる」


「そうなの!?」杏子は柚希を見た。その速さと言ったら、なんと表現していいかわからないものだった。


 なんと答えたものか、と柚希は考える。正直に言えばどっちでもなく、ただ漠然と『泣かせてしまったな』と思っただけだった。悔し涙とか武器だったとかまるで考えていなかったのだ。なにを言っても杏子の機嫌を損ねるような気がした。たとえ、違うと首を横に振ったとしても、棗が的確なことを言うに違いない。変なところでよく頭の回る奴だ。


 柚希が考えを巡らせ、さらにもう一周くらい巡らせようとしていると、


「柚希が気付かないわけがないじゃない。だてに副部長をやってないよ? そのくらい気付いて当然だね」


 と花梨がとてもいい笑顔で言っていた。その笑顔は傍から見れば、絵に描いたような素晴らしい笑顔なのだが、柚希からしてみれば悪意が満ち満ちた笑顔にしか見えなかった。きっとここでこう言えば面白くなるのだろう、と思ってのことだ。


「ちょっと、花梨さん。なんてこと言うんですか。人が波風を発たせないように考えているというのに、なんの意味もなくなるじゃないですか」


「いやいや、ここはバッサリ、スッパリ、キッカリ、クッキリ言ったほうがいい場面だよ」


「花梨さんのにはそこにチャッカリが加わってます」


「上手いこと言うじゃん」


「褒められても嬉しくありません。花梨さんと違って俺は後輩に慕われるような人間じゃないんです。簡単なことで関係が破綻するんですから、変なこと言わないでください」


「それは後輩の首を絞めた人間の言う言葉じゃないよ」


 花梨の言葉に柚希は少したじろいだ。あのときは無我夢中というべきか勝つために手段を選ばなかった。だからこそ杏子に勝てたのだが、今思い返すととんでもないことをしていた。


「あのときは悪かった!」柚希は花梨の言葉を受けて即座に杏子に謝った。両手を合わせ、頭を下げている。柚希なりの精一杯の謝罪だった。土下座も考えたが、後輩に土下座をするのには、やはり抵抗があったため却下された。


「あのとき? なんのこと?」杏子は首を傾げた。


「だからこの間の部活のときに首絞めただろ? それを悪かったって言ってるんだ」


「あー」杏子はようやく思い至ったようだった。「そういえば、あれは苦しかった。花も恥じらう女子高生にやることじゃないよ、まったく」


「本当に悪かった!」


「しかも、体をまさぐるとか言ってたし。もうセクハラの域を超えてるよ」


「弁明の余地もない」


「でもまあ……部活でのことだったし、多めに見てあげてもいいかな」


「おお……、ありがたき御言葉。もしかして女神さまですか?」


「許す!」


 なんとも扱いやすい女子高生だった。扱い易過ぎて説明書などいらないのではないのだろうか、と柚希は思ったが、そもそも説明書なんか存在しなかった。そんなものがあれば、首を絞めることがなかったのだが。


「これで一件落着だ」


 花梨はそう言って締めくくったが、本筋はこれではない。杏子の涙の件だったのだけれど、杏子も当たり前のように忘れているようだったため、まあいいか、と柚希は本筋を、ポイ捨てをするようにその辺に捨てた。


「それで、棗はなにか言いたいことはある?」


「そうっすね……。じゃあ、地球儀がはたして文房具だったのかどうかを教えてください」


「棗はどう思う?」


「文房具なんじゃないっすか? だってあれ文房具屋で売ってますもん」


「じゃあ、文房具だ」


「やっぱり! 俺も実はそうだと思ってたんっすよ。でもあれを使って負けたのはやばかった……」


 棗はたしかに地球儀を選び使用したのだが、使った印象のない残らない可哀想な結末だった。どちらかといえば、杏子のほうが地球儀をぶん投げていたイメージが強い。それにそのせいで棗は気絶して、柚希に騙されリタイアしたのだ。


 いろんな意味で可哀想な子である。


 そんなレッテルを貼られてしまいそうだ。


 その考えでいくと駄菓子屋にいる金魚は駄菓子だな……、と柚希は内心で呟いた。そんなことを声に出してしまえば、わけのわからない話が余計にわけのわからない話になってしまう気がした。マイナスとマイナスを掛ければプラスになるが、足してしまうとマイナスの値が大きくなってしまう。わざわざそんなことをする必要はない。


 仮に言ったとしたら、きっとどこまでも会話が終わらずに、そして脱線し続け、最終的には神話の話になっても不思議ではない。棗がなにも考えずに発言して、花梨が面白い方向へと導こうとすれば必然とも言えることだった。


「まあ負けるのも仕方ないさ。相手は副部長だよ? 私の次に偉いんだから負けて当然と言えば当然さ」


「……意味がわかりません。それに副部長って名ばかりでしょう。基本的に雑用じゃないですか」


「主人公補正ならぬ、副部長補正っすか」棗がわけのわからないことを言った。「それじゃあ仕方ないっすね。まあでもいつか勝つけど」


「うん。それはいい。是非勝ってくれ」


 柚希の発言は完全に無視されているようだ。花梨が意図的に無視していることは容易にわかった。


 二人が会話を続けているので、柚希はすることもなくなり、且つ突っ込みを入れる気もなくなったので、先ほどまで座っていた椅子に戻った。こういうのは傍観していたほうがいいということは知っていた。下手に混ざるとむなしくなる一方だ。それに花梨と棗という構図はなかなかどうして見ることのできなかったものだ。花梨が棗に話しかけることが少ないというのもそうだが、棗が杏子としか話さないから、というのもある。といっても『話す』というよりは『喧嘩している』といったほうが正しい。


 そして、その杏子は脱力感満載の態度で椅子に腰かけていた。あれを腰かけていると表現すべきなのか、どちらかというのなら垂れ掛かっているだろう。背もたれに頭を置き、両腕が無気力なまでに垂れ下がっていた。そのせいで胸がやけに強調されている。


 あれはたぶん動きを極力まで減らし、体温の上昇を防いでいるのだろう。爬虫類あたりがやりそうな行動だ。


 柚希は杏子の『普段』を知らない。普段というのは学校生活のこと――杏子のクラスでの振る舞いなどのことだ。もっとより正確にいうのなら、ここ最近の振る舞いだ。


 部活に勧誘したときと同じままなのか、それともなにかしらの変化があったのか。林檎や梅香が変わったように、杏子にも変化があったのだろうか?


 学年が違うためか、杏子と部活以外で会うことは少ない。会ったとしても杏子は一人でいる。どうしてなのか訊いたことはない。


 過保護すぎるだろうか?


 心配しすぎなのだろうか?


 柚希は、そのうち花梨に釘を打たされるような気がした。


 ふと杏子が柚希の視線に気付いたのか壊れた人形のようにぎこちなく首を動かして死線を向けた。


 ただのホラーである。


 杏子はゆっくりと立ち上がった。しかし顔は伏せて地面を見ている。腕も変わらず垂れ下がっていた。その姿はまるでゾンビのようだった。


 ホラーである。


 その調子のまま杏子は歩き出した。柚希は一瞬歩き出したのかどうかわからなかった。杏子の体が揺れることなく、前に進んだからだ。しかしそれは初めだけで、その後はひたひたと柚希の方へと歩き出した。柚希とはテーブルを挟んでいたため、回ってこなければならない。最短ルートは花梨と棗の間を通ることになるが、杏子はそれを嫌がったのか遠回りを選んでいた。そのせいで、杏子の歩く姿を長々と見る羽目になった。


 ひたひたと、歩いて来るその姿はただの亡霊だった。


 完全にホラーだ。


 柚希はその姿から目を逸らすことができなかった。恐ろしすぎて目を離したくはなかったのだ。目を逸らしていつの間にかそばにいた、なんてことがあれば、どこかのギャグ漫画よろしく口から心臓が飛び出してしまうかもしれない。


 目の前まで来た杏子は、近くにあった椅子にゆっくりと座った。そして体を滑らせ、頭を背もたれに置き、体を固定した。腕は垂れ下がっている。向こう側にいたときとまったく同じ姿である。


「柊先輩、なにか用?」


「……いや、用は別にないんだけど」


 体がまったく動かずに、小さく口だけが動く杏子の姿からは恐怖以外のものを感じ取れない。後輩がおかしいことになっているんだけど、と柚希は花梨たちに目を向けてみたが、棗は杏子に背を向けていたため気付いていない。花梨はもちろん気付いているのだろう。杏子の歩いている姿を見ていたはずだ。しかし相変わらずの無視である。ここまでいくとむしろ清々しかった。


「用がないのに見てたの?」


「考えごとをしてたんだ。お前は普段からそうなのかって」


「普段から……そう?」


 杏子は壊れたドアノブのようにぎちぎちと首を動かして柚希に視線を向けた。もうホラー以外の何物でもなかった。ホラーの権化と名乗ってもらっても構わない。


「こう言っちゃ悪いんだけど、お前って女の子っぽくないじゃん? いや、違うな。羞恥心がないのか」


「あるわ! 羞恥心がないとかありえないでしょ!」


「そう感じるんだって。今だってなんていうか……」


 柚希は口にするべきか迷った。最近のことを思い返してみると、胸のことで嫌なことが――というか痛い思いをしたばかりだ。


「なんていうか?」


「その……、そんな格好してるしさ。教室でもしてるのかなって思って」


 我ながらいい言葉選びをしたもんだ、と柚希は思った。


「うん? ああ、してないしてない。こんなだらしない格好ができるのここだけだよ。安心感があるからね、ここは」


「普段はきっちりしてるのか?」


「してると思うよ。格好だけはそれなりにしてるつもり。内面の方はどうにもできないでしょ、私は。……もう隠せない」


「杏子……」


「もう少し早く柊先輩に会ってたらよかったんだけどね。そしたらあんなことをしなかった」


 あんなこと、とは柚希が杏子のことを知ることになったきっかけの事件である。表沙汰にはなっていないが、学校で知らない者はいないといっても過言ではないほどのことだ。


「だけどあれがあったから先輩に会えて、この場所に来ることができた。だから後悔はしてないよ。反省はかなりしたけどね」


「そうか。いや、ちゃんとやれてるならいいんだ。安心した」


「先輩はいいお母さんになるよ」


 そう言って杏子は笑った。


 褒められたのか、バカにされたのか柚希には判断できなかったが、こういうときは素直に突っ込みを入れたほうがいいのだろう。


「母親にはなれねえよ」


 それから二人が会話をすることはなかった。杏子は眠ってしまったのかもしれないし、ただ暑くて口を動かすのも億劫になったのかは柚希が知る由もない。


 柚希は今もバカみたいに話し続けている花梨たちをただひたすら眺めていた。わいわいと楽しそうに話しているが、なにを話しているのかは耳に入ってこなかった。ただ映像だけが流れている。平等に流れているはずの時間が、そうでないように感じられるようになっていく。


 今日の部活は終わらないのだろうか?

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