第15話 「また反省文と報告書の提出ですね」
「さて、今日の部活動はお終いだ。みんな、お疲れ」
一同は集められ、花梨は締めの言葉を言おうとしていた。その背後ではなにか怪しい煙が出ている校舎があるが、誰も気にしている素振りはない。
部活が終わって、ほとんどダメージを受けていないのは三人だ。桃はなにもしていないに等しいし、梅香は林檎で遊べて満足だろう。花梨は言うまでもなく、圧倒的な手段をもってして柚希を潰した。
負傷者はその他全員。美柑は掌に、林檎と杏子は精神に、棗と柚希は全身にダメージを負った。美柑は軽傷で済んだものの、林檎はまだ少しあのときの出来事を引き摺っているようで梅香と口を聞いていないようだし、杏子は柚希に負けたのが余程悔しかったのか、保健室に連れていった棗をサンドバックにし、それも加わって棗はさっきまで意識を失っていた。
「というか、部長さん」
「なんだい、蜜柑」
「文房具の一番を決めるはずやなのに、わたしらが選んだやつ全部つこうてしもうたら決められへんやないの?」
それは誰もが持った疑問だろう。蜜柑が訊かなくとも、他の誰かがほとんど同じようなタイミングで切り出したはずだ。
「私が勝ったんだ。一番は黒板だろう」
なあ柚希、と花梨の目が柚希に向けられる。
なにせ柚希が最後に倒れる決定打になったのが黒板だ。振り落ちてくる黒板に潰され、どうすることもできなくなったのだ。他の文房具を意識しすぎて、花梨の選んだものも、その使い方もすっかり失念していた結果だった。
「……まあ、いいんじゃないですか」
「ん? どうしたんだい。なにか不機嫌なように思えるけど」
わかっていながら訊いていることがわかっているため、柚希は返答しなかった。油断して負けただけのことなのだが、そんな単純なことだけに気持ちに整理がつかないでいたのだ。
「いやあ、やっぱ部長は強いなあ……です」杏子は無理して敬語を使った。どうせ初めだけなのだから、使わなければいいのにと思わなくもない。
「強いから部長なんだよ」
「私が勝ったら、部長になってもいいってことですか!」
「ばーか」と棗。「お前が部長になれるわけねえだろ。頭の中からっぽじゃねえか」
「じゃあ頭空っぽの私に気絶させられた先輩は、頭自体がないんだね。その頭、返してきたら?」
「頭だけじゃなく目も悪くなったのか。お前、いいとこねえな」
「大丈夫。目が悪くても、先輩にだけは地球儀を直撃させられるから」
二人の間で火花が散り、やがて手を組みあった。怒りで負傷したことを忘れた棗がそのまま押し潰されたのは言うまでもない。
言いたいことを直接言い合い、喧嘩こそするが、それができる相手というのはなかなか見つかるものじゃない。棗は杏子が失ったものを知っている。そして求めているものも。だから彼がわざと喧嘩を嗾けているようにも見えなくはないが、残念ながらその可能性は微少で、棗もなにも考えず杏子の相手をしているのだろう。
だが、それだからこそ、いい関係なのだ。
「あの二人は元気ねえ」梅香が林檎に話しかける。しかし林檎は返答せず、目も合わせようとしなかった。あれからずっとこの調子なのだと思うと、これからが心配でもあった。
そんなふうに柚希が彼女たちを見ていると、梅香は柚希を一瞥してからにやりと笑い、目を背けて口を尖らせている林檎の胸を揉んだ。
「きゃあっ!」林檎が飛び上がって、梅香から距離をとった。
「さすが林檎ちゃん。期待を裏切らないわ」揉んだ胸の感触の名残を確かめるように、梅香は手を閉じたり開いたりする。
「なにするんですか!」
「そこに胸があったからつい」
「自分のがあるじゃないですか」
そういう問題じゃない、と柚希は無言で突っ込みをいれた。
「訂正します。そこに林檎ちゃんの無防備な胸があったから揉みました」
「その言い方だと、私が胸を出してるみたいじゃないですか。再訂正を要求します」
「いやです」
「なんでっ?」
悪い空気はなくなったようだ。しばらくは林檎の梅香への対応が雑になるだろうが、それも一時的なものだろう。一生口を聞かない仲になるわけでもない。本当に嫌いになるわけじゃない。
だから二人はこの先もこのままなのだ。林檎にとってそれがいいことなのかは定かではないが、彼女もそれなりに楽しんでいるはずだ。
「わたし、考えたんやけど、こう画鋲を周りにくっつけた野球ボールとか投げとったら、もっと戦えたんやないかな」
「どうやって持つの?」桃は冷静に指摘する。
「え? えーっと、あの網が先っちょについた棒で投げる、みたいな?」
「運動神経ないのに」
「ぐはっ」
本音で言い合えるからこそ、自分を偽る必要がない。誰かに合わせる必要も、自分の意見を捻じ曲げることもない。なにかに染まってしまうこともまた、ない。
彼女たちは自分を曲げない。誰よりも自分という存在を信じている。誰かに合わせることが無意味だとか、独りでいたいだとか思っているわけじゃない。強い立場の人間の発言にただ従うこと、間違った周囲の空気に呑まれることをしなかっただけだ。
正しいものを正しいとし、
間違いを間違いとした。
弱者に優しく、
強者に屈しなかった。
ただそれだけなのだ。それだけで周りから疎外され、独りでいることを選択させられ、空しい時間を過ごすだけになっていた。
「羨ましくなったかい」
「別に……、そんなことないですよ」
振り向くと、花梨がいつもの表情で柚希を見ていた。
あの笑顔で。
「俺は今日、優勝して願いを叶えてもらおうと思ってました」
「知ってる」
「勝って、あいつらと同じように入部届けを出すつもりでした」
柚希はまだ入部届けを出していない。彼らが変わるきっかけとなった。その始まりの地点に、柚希は立とうとしていたのだ。創部当初からいるから入部届けを出していないのも理由の一つだが、花梨に流されるまま今に至ってしまったから、というのもある。
誰かに歩幅を合わせていた。それは花梨に対してもそうだったのかもしれない。花梨に従い、彼女と時間を共有していたことは、たぶんそういうことだったのだ。
だから変われない。
初めからそうだったのだから、変わることなんてできない。
柚希は柚希のままいただけだ。
それは他の部員たちがそうだったのと同じ。
「知っていたからこそ、私は手を抜かなかったんだ。柚希の変わろうという、変わりたいという意志を尊重して、私がリタイアしてもよかった。だけど、それじゃあダメだと思ったんだよ。今はよくても、いつか後悔すると思った」
「花梨さんの言うとおりです。その判断は間違ってないと思いますよ。今日の俺が喜んでも、明日の俺は今日のことをなかったことにしたいと言ったはずですから」
「そしたらまた部活動をしないとね」
「連日は辛いですよ」柚希は苦笑した。
「うん。だから連日はしない。三日後くらいにしようか」
「……えっ?」
ちょっと、と柚希が呼び止めようとしたときには、すでに花梨は柚希の横を通り過ぎ、各々勝手に話し、喧嘩している部員たちに宣言した。
「次の部活動は、三日後くらいにあるかもしれないから準備を怠らないように」
「準備なんて意味ないじゃないですか」
梅香がそう言うと、全員がそれに同意し笑い始めた。
すべては花梨に委ねられている。部員たちは彼女が用意した舞台で、自分たちらしく躍るだけだ。それは優雅であり、ときに激しく、ときに静かで、輝かしい。だからこそ夢中になれる。
柚希は、次こそは、と心の中で誓い、その日が楽しみで密かにほくそ笑んだ。
「とにかく、今は消火活動が先かな」
「また反省文と報告書の提出ですね」と柚希は花梨を茶化した。
「そのときはまたもみ消すよ」
この場所は大切な場所だからね。
その言葉に、柚希は力強く頷いた。




