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エンド・ワールド

【錆びの町3】

作者: 冴野一期

 

 久しぶりに、晴れた日の朝。

 順調にお手伝いをして回っていたところ、通信が入りました。

『サヤ、長井さまから、お手伝いの要請が入りました』

「う、長井さんですかー」

 その〝人〟は変わっています。正直に言うと、苦手です。ゆるやかに車道を進行しながら、隣にあるダッシュボードの方を見つめました。

「どんなお手伝いを希望なのですか?」

『余の肩がこった。叩かせてやろう』

「うわぁ……」

 なんという傍若無人っぷり。いくら私が、働き者のクールビューティな人工知性とはいえど、

『サヤ、今なにか、不審な電波を発信しましたか?』

「気のせいでしょう」

 呼べば何時でもやってくる。二十四時間、無条件で働いてくれるはずもないのです。しかし長井さんは、そんな見積もり具合で呼ぶから困ったもの。言うなれば、アレです。

「私は、長井さんのお母さんじゃないのですっ」

『ではお断りしますか?』

「いいえ、行きますよ。それが悪の道に染まる様なことでないのなら、なんだってお手伝いさせていただきます。それが、私の基本原理ですから」

『サヤ。そんなに自分を〝バカ〟扱いしないでください』

「はい? 今なんと?」

『無理に自分を追い詰める必要はないと言いました。その他、接頭詞に〝まだマシな方の単純おひとよしで、私をほとほと呆れさせるツンデレ〟を〝バカ〟の前に付け加える事もお勧めします』

「ナビとの関係を、今ここで改める必要があるみたいなのです」

『良好ですよ。来た道を引き返しましょう』

「もう。なんで毎回、そんなに皮肉ばかり回るんですか?」

 私はため息と共に、アクセルをぎゅっと踏み込みます。

「バカでも何でもいいのです。行きますよ。ナビ」

『了解です。おバカさん。それでは、目的地までの最短ルートを表示します』

 相変わらず、その一線だけは生真面目な彼女の指示に従って、私は目的地へ向けてハンドルを回しました。


 ※


 長井さんの住まわれるお屋敷は、かつての住宅街から外れた、どこへも繋がらない山のなかに、ひっそり佇んでいました。

 立派なお屋敷です。元は裕福な方の別宅であったと思われます。

 錆びの雨が降って以来、今は地上のどこにいても、物音ひとつ聞こえないのが常ですが、きっとこの辺りもまた、同じような状態であったのではないでしょうか。

「よっこいしょ」

 正面の路肩に車を寄せて止めます。エンジンを切る前に、いつもの一言を告げました。

「それでは行ってきますね、ナビ」

「行ってらっしゃい、サヤ」

 雨合羽を羽織り、長靴も履きます。自動車を降りて、今は開けたままの立派な玄関を抜けました。

 門の内側には、手入れの施された和風の庭園が広がっています。風に揺れる梢の音と、清涼な水が流れる音がやってきました。

「いつ来ても、気持ちの良い場所なのですよ」

 庭師さんはいません。この空間は『ナノアプリケーション』の循環機能によって、一年を通じて変わらない環境となるよう、遺伝子情報の複製と循環が繰り返されています。

「長井さん、来ましたよ~、いらっしゃいますか~」

 そして内玄関の側、庭の片隅に、これだけやや貧相な三角屋根の犬小屋が置かれていました。

「む」

 犬小屋の中から、のっそりと。長井さんが現れます。

「遅いぞ貴様。余を待たせるなかれ」

 妙に目つきが悪く、口調は尊大きわまりない、灰色の毛並のお犬様。うっすら青味を帯びた、逆三角形の瞳。威圧感のある目元を縦に動かしつつ、こちらを見上げます。

「これ、そこの小娘よ」

「なんですか?」

「人間という下等生物。さらにそれを模した独立機構オートマタが、この美しいお犬様のご尊顔を見下ろすとは何事か。頭が高い。平伏すがよい」

「ごめんなさい。帰っていいですか?」

「このお犬様を前に、よくぞそのような大口をたたけるものよな。というか貴様、だいたいなんだ、その格好は」

「私の格好が、なにか?」

「何故そのような服を着ているのだ」

「何故って……。これが、いつもの外出用の普段着ですけれど……」


「 お ろ か 者 め ! 」


 カッと目を開き、わふんっ! と吼えられました。

「貴様の乳臭い、女子の色気など片鱗も滲ませない格好が、普段着とはっ!」 

 いきなり説教がはじまりました。

「地味シャツに長ジーンズ、おまけにノーメイクとかいう、典型的な実用系女子の〝彼氏いませんアピール〟を視覚的に聞かされる身になってみよ、たわけ!」

「さ、さすがに失礼なのですっ、無礼なのですっ!」 

 これには私も、さすがに反論します。

「お仕事ですからっ。できる限り、汚れてもいい格好をということで、このチョイスなのですっ! あと車を運転する時に、スカートでサンダルだったりすると、足下がスースーして、なんか落ち着かないじゃないという理由もあってっ!」

「痴れものが! そこはメイド服のロングスカートだろう!」

「な、何故にメイド服!?」

「余の趣味ッ!」

 カッ! と目を見開いて言われます。

「良いか小娘。余が言っておるのはな。このような晴れた日の昼間から、雨合羽を被って、長靴履いておるのが、もうまったく悪い意味で美しくない、いっそ目に毒だと言うておるのだ」

「ひどいのです! さすがにそれは言い過ぎなのですよっ!」

「はん。貴様の格好、もはやビニール布のコスプレ嬢さえも鼻で笑う有様よ。嗚呼、いっそ頭に安全ヘルメットでも乗せて『ガテン系美少女』でも銘打って、社員募集してみたらどうなのだ?」

 長井さんは一方的に言って、それから勝手に吹きだします。

「ぶっは! ウケるー、お犬様チョ~、うけるぅー! ……ないわ。そんなマニア層狙うなら、体操服にブルマでも履いて開脚前屈でもしてた方がナンボかマシよのう」

「最低です! エロ親父なのですっ!」

「エロくない男などおらん。貴様は何か? 君だけを見ているよ、なんて言う白馬の王子さまを夢想しとる残念な喪女か?」

「あの、そろそろ、本日のお手伝いのご用件を聞かせて欲しいのですよ」

「フン。現代人には余裕が足りぬ。このお犬様の、優雅なまったり感を見習うが良い」

 えらそーに鼻をひくつかせた後、お犬様である長井さんは、のっしのっし、庭を歩いてゆきます。

「まぁよい。子細は東屋の方で話す。ついて参れ」

「最初からそうしてください……」

 私はこの時点で疲れはてました。

 素直に、長井さんの揺れるしっぽに続いていきます。


 東屋の屋根のした。

 私は、机の上に寝そべったお犬様の肩を、モミモミしてました。

「昨日のことだ。都の方から、何かひとつ〝余計な要素〟が紛れ込んだそうだ」

「余計かどうかは分かりませんが、『アップデータ』の方が一人、来られましたよ」

「なんだ? 知っておるのか」

「えぇ。昨晩は私のところに泊まっていきましたよ」

「貴様というやつは……。不用心な、仔細話せ」

 長居さんのお顔が、さらにちょっと怖くなります。反対に私は、緩んでしまいました。

「あら。もしかして、心配してくれてるんですか?」

「か、勘違いするなよっ、田舎娘」

「同じところに住んでるじゃないですか」

「ふん」

 もふっと不貞腐れる長居さん。

「特に心配することはないのですよ。ちょうど、坂崎さんのご依頼を受けて、私もその場に居合わせてたのが、きっかけというぐらいでしたから」

「なんだと。あの糞ジジイめ。まだ生きおるのか」

「坂崎さんは良い人じゃないですか。こんなところで、余生を過ごしているお犬様よりも、よっぽど立派だと思いますよ」

「言うてくれるな、小娘が。だいたいあやつは……」

 何事かを言いかけましたが、口癖のように「まぁよいわ」と呼吸を漏らしたあと、改めて言葉を続けていきます。

「ともかくだ。あまり、あの都から来る者とは、関わらん方がよい」

「どうしてですか?」

「どうしてもだ」

「……秋野さん、こちらに来たアップデータさんですが。彼女も良い人そうでしたよ。ナビも『悪人ではない』と認めてましたし」

「善悪の二分岐のみで、世のすべてを語れるはずもあるまい」

「そうですかねー、綺麗な、私と同じぐらいの女性でして」

「つまり貧乳というわけか。だめだな」

 私の方を横目で見て「はっはっ」と吐き捨てるように言います。今すぐ、鍋の中にでも放り込んでやりたい気持ちです。

「そこじゃないのですっ、同じお年頃のという意味ですよっ!」

「ならば大きいのか」

 今度はキリッとした顔を向けてくるお犬様。もう割と「ヤダなぁ」と思いつつ、素直に所感を述べます。

「大きかったのです」

「そうか。今回ばかりは、余も少々、意見を急ぎすぎておったようだ」

 ヤダなぁ。

「して、その『アップデータ』は、何故に訪れたのだ」

「絵を描くためだと言っていました」

「……絵?」

 解せぬ。というお顔をされます。

「つまり、絵描きか?」

「特に本職ではなく、趣味のようなもの、とおっしゃっていたのです。私も拝見させて頂きましたが、とても上手なんですよ。黒一色のこの町の空に、幻想的な七色の橋がかけられている絵を見させていただきました」

「相当な風変わりものだな。ところで、その巨乳美人は今どこにおるのだ?」

「学校です」

「はぁ?」

「市立の、元学園だった場所が、お気に入られたそうなのです」

「絵を描きにきて、何故そんな場所へ行く? 風景画を描くなら、他にも適当な場所があるだろう」

「それは……私にもわかりかねますが。単純に興味があったからではないですか? 銀の都では、学校施設というのが存在しないそうですし」

「まぁ、それはそうなのだろうが……。アップデータがそういう行動をするというのが、そもそも解せぬというか……」

 長井さんはぶつくさと独り言を呟いてました。それからふと、元の怖い顔に戻って言いました。

「いや、まてよ……。あそこは、まだ稼働しているのか?」

「何のことですか?」

「仮想学園領域だ」

「仮装……? みんなで集まって肝試しでもやるんですか?」

「そちらの仮装ではない。超高度AIによって演算された、疑似世界のことだ」

 擬似世界。

 私の中で関連して、ひとつのキーワードが浮かびあがります。

「それ、知ってます。確か〝VR――ヴァーチャル・リアリティ――領域〟でしたっけ」

「その呼び方もまた、ずいぶんと久しいものよな……」

 怖い顔のお犬様が牙を剥いて笑いました。物騒です。

「ナノアプリが、一家に一台ならぬ、一人に一機、と言われるぐらいに普及しはじめた当初はの。それはもう、台風さえ恐れ慄くような〝VRブーム〟が起きたものよ。しかし、世間の評価が良い方向に転ぶはずもなかった」

「そうなのです?」

「そうともよ。自らを良識者と名乗る勘者らは、こぞって、今こそ現実に目を向けるべきである。などと躍起になっておったのう」

 大きな欠伸をひとつまじえて。長居さんの昔話がはじまりました。


「VR領域が流行ることによって、若者が現実を顧みなくなる。当時の北米諸国ではそんな世論を予め見越して、先手を取っていた。そこで教育用のVR空間『仮想学園領域』を先駆け、実装した」

 遠い昔を思い返すように、お犬様が続けます。

「〝ひきこもり、不登校児童〟というのは、全世界共通の悩みであったからな。学生を更生させる、社会復帰できる仕組みというのは、良い意味でも悪い意味でも、とかく注目を集めた。そして結果、それは単純な数値だけ見れば吉とでた」

「つまり、ひきこもりの若者が減ったのですか?」

「そういうことだ。この国もまた、直接教育システムに国が関与するようになって、段々と仮想領域が認められるようになっていた。仮想学園では、公平な人工知能らが教師役として担われ、現実と上手く折り合いをつけられない若人のために、格差のない教育環境を作りあげていったわけだ」

「もしかして、それがまだ残っているわけですか?」

「さぁな。なにせ、VR空間が流行したのは、一世紀以上も昔の話よ」

「廃れちゃったのですか?」

「自然の流れだな。結局のところ、仮想領域というものは、夢の中で、肉体の代替え操作をしているに過ぎぬ。現実で自らの足を一歩踏み出すか。夢幻にて一歩踏み出すかの違いがあるのみよ」

 長井さんは、段々と喋るのが退屈になってきた感じで続けます。

「〝仮想領域の次世代〟にあたるものは、現実への還元と、意識の共有だった。もはや意識は個々の肉体にあることを必然とせず、精神を数多の一部として共有し、蓄積された情報は別の大きな〝容れ物〟へと、予備保存バックアップしておくのが常となった。人はそうすることに抵抗がなくなったのだ。慣れたともいえる。単純よな。最初こそ『マシン』と呼ばれると、人間の尊厳にさえ影響するのではないかと議論になったのが、『アプリ』という言葉に変わった途端、受け入れるのだからな」

 お犬様は、フンフン言いながら、割とエロい真顔で続けました。

「よって仮想領域は廃れた。代わりに、精神構造のデータ群である『大規模共有意識領域』の採用を取り決めた。その恩恵を受けている子孫が、今、銀の都にいる『アップデータ』の連中よ」

「長井さん、なにかちょっと、刺がありますよね」

「余はソロ派なのだ」

「……えーと? ソロって、一人ってことですか?」

「うむ。孤高の一匹狼こそ至高なのだ」

「つまり、協調性がないんですね?」

 言ってさしあげると、今度は素直に頷かれました。

「そうだな。生きていくのに、必要不可欠なものではなくなったからな。しかしアップデータの連中も、ある意味ではそうだぞ。〝協調性〟と〝共有性〟は、似て非なるものだ」

「〝みんないっしょ〟。という意味に聞こえますが、違うのですが?」

「違うな。あやつらは、個性、アイデンティティと呼ばれるものを、そも持たぬ。それが、神を信じるか否かを問いかける妄言にも等しいことを、本能的に知っておるからだ。おまけに、連中には『超高度AI』という絶対者がいる。神のように崇拝をすることはなけれども、その恩恵があるからこそ、人は等しくあれる、分かり合えるという〝情報を共有させている〟。確かに、それが最も効率が良いのは確かだがな」

「なるほど、興味深いお話でした」

「フフン。もっと我を褒めてもよいのだぞ? 賢狼様と呼ばせてやろう」

「エロ犬とならばいくらでも。ところで長井さんてば、一体おいくつなのですか」

「忘れた。百五十を超えてから、まともに数えておらぬ」

「私の三十倍以上ですね」

「変わらぬよ。生きた年月ほど、今の世で意味をなさぬものもない」

 退屈そうに言って、大きな欠伸をされました。その時のお顔だけは、確かにちょっと、らしい感じでした。

「さて。今日は晴れておるな」

「晴れですねぇ」

「暇だな。久々に散歩でも行ってやろうか」

「わかりました。行ってらっしゃい」

「……な、なんだ。その反応は」

「はい。ですから、お散歩に行ってらっしゃいと」

「お、おまえはお手伝いさんだろうっ!」

「本日はすでに、ご用件をお伺いしましたので」

「さ、散歩のお相手をしてほしいなんて、お犬様はひとことも言っておらぬからのっ! し、仕方あるまい。特別にこのお犬様の肉球を、ぷにぷにさせてやろう。故に散歩に付き合うがよい」

「いえ、べつに」

「腹毛も撫でさせてくれよう」

「いえ、べつに」

「黙ってお犬様についてこい!」

「では、ひとつご提案があります」

「なにが望みだ」

 わふわふ吠えるお犬様に向かって。私はにっこり告げました。

「ここはひとつ。仮想領域への案内を、お願いするのですよ」


 

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