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平和の祈り  作者: 飛鳥
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4.浮雲

 「ミルイ様、顔色が優れませんね。今日はもう終わりにしましょう?」

 「……大丈夫ですよ。ごめんなさい、集中が足りませんね」

 「何引き続き手を組んでるんです。駄目ですったら。ほら、降りて」


 少し強引に腕を引かれて渋々と立ち上がる。あの時切られた足の腱は、まだ強い痛みを連れて来る。揺れる私を叱るように。

 珍しく口を曲げたヨジが見下ろすのに、視線を迷わせた挙句、逃げるように顔を俯けた。

 目を合わせられないのは後ろめたいからだ。彼が祈りを真摯に見守ってくれているのを、私は知っている。見守るのは、祈りの成就を支えるためだ。平和の祈りを信じているからだ。

 私は平和を捏ね回して正当化しているが、つまり、彼を裏切っている。私の信じる平和が、誰もが考える平和とは一線も二線も隔てているのは自覚している。目の前で嘘を吐き続けるには、彼に抱いてしまった恋心が痛かった。それは妹を失った事実からすれば、破って捨ててしまえるほどの小さな痛みだったけれど。


 「でも……みんな待っているの」

 「放っておきなさい。あなたが優先されるべきです。誰に催促する権利があるんですか」


 こんな感情を持つつもりじゃなかった。私は1人で笑顔の仮面を纏っているべきだったのだ。

 死んだ自分を維持し続けるには、終わりがあまりに遠過ぎて、(マリィ)のいない暗闇は冷た過ぎて、ヨジという灯火に惹かれずにはいられなかった。

 彼は決して美男子と言える容姿をしていない。貴族特有の金髪碧眼ではあるが、ごく平凡な見た目をしている。印象に残らない、良く言えば毒にならない、ありきたりな顔だ。

 ただ、彼は一度も、私に平和を望んだことがない。それがどれほど特異なことか、ヨジは自覚しているだろうか。

 誰もが巫女を前に言う。一刻も早い平和をと、代償を知った上で。

 彼らは私にこう言うのだ。早く死ね。死んで自分たちに平和を寄越せ。大人から子供まで、悪意の欠片なく強請ってみせる。

 だから私は喜びを得た。罪悪など感じなかった。死ねと告げる人間に、何を遠慮することがあるだろう。あげようではないか、私の考える、永劫の平和(のろい)を。にこにことした聖女を冠する笑顔の下で、私はどす黒い呪いに浸かっていた。晴れやかな気持ちだった。

 ヨジはただ1人、一度も、私に死を催促しなかった。どころか、いつしか遅らせようと優しく言を紡ぐ、ただ1人の人だった。

 侍従に付いて間もなくは、むしろ険のある態度であったように思う。催促はしないが、見ているだけ。見守るとは程遠い、冷たい視線を感じていた。

 一体いつからだったろう。こうして、愛情とすら錯覚するほどに暖かな空気をくれるようになったのは。そして、それは恐らく私にとって、全く忌避すべき事柄だった。

 ずっとあのまま、冷たい人であれば、私は何にも揺れることなく、平和を願っていられたのに。

 思わず漏れた深い溜息。眉間に寄った皺に気が付いたのは、節くれ立った指が唐突にそこを突いたせいだった。

 顔を上げると、不機嫌を一層した困り顔が見返している。ぱちりと瞬いた青い瞳は、宵の空に似た色で私を映し込んだ。


 「女性がそんな顔をしちゃダメですよ。せっかく可愛いのに」

 「……私はどうせ平凡です」

 「どうしてそうなるんですか。僕、ミルイ様は可愛いですねと言ってるつもりですけど」

 「中の中の中にそんなこと言っても、嫌みにしか聞こえません」


 鼻を鳴らして顔を逸らす。他の人には見せられないような仕草だ。巫女に相応しくない、聖女にほど遠い、普通の人間のような対応。

 こうして見せれば、多分彼らは程度の差はあれ失望を瞳に浮かべるのだろう。別にどう思われたって構わないのだが、表出しないのはただのタイミングの問題だ。

 私は平和を呼び寄せたい。それ以外はどうでもいい。凡庸な見た目、取り立てて得意なこともなく、平民である我が身。陰口を叩かれ、祈りの成就を否定され、替えの巫女を捜されていたのは、そう遠くない過去の話だった。

 私は巫女の平和に取り縋る彼らを見下している。道端の塵屑の誹謗中傷が耳に届く人間が存在するだろうか。少なくとも私には、そんな声は聞こえない。心に傷を作ることなく、この世界に訪れる平和を思えば、微笑みが常駐するのが当然である。

 ごくごく自然体で立っていたら、いつの間にか聖女と呼ばれるまでに相応になっていた。そこに私の意向はない。こうして拗ねた素振りを見せるのは、相手が「人」であるからで。


 「えー、じゃあミルイ様、僕のことどう思います」

 「は?」


 思わぬ方向を指さされ、素っ頓狂な声が出た。


 「どうって」

 「かっこいいとか思ってくれたことってないんですか?」


 ひどい混乱を齎す侍従があったものだ。ぐるぐると目を回す私に構わず、耳に心地良い音程を保持したまま、器用に捲くし立てる声を聞く。


 「そりゃ、誰がどう見ても僕はへーへーぼんぼんですけどもね。ちょっと僕の容姿を褒めてみて下さいよって弟に頼んだら、ええとうーんとと散々迷った挙句に何て言ったと思います。金髪と青い目が綺麗だよね、ときましたよ。お前も一緒だよと声を荒げなかった僕ってばほんと天使。何よ兄に似ずちょっと顔が良いからって。これは醜い嫉妬に在らず。正当なる怒りの御言葉ですのであしからず」

 「……ええと、弟さんがいらっしゃるんですね、初耳です」

 「いたんですよね、実は。まあそれは置いといて」


 へら、と笑ったと思えば、途端にきりりと引き締まる。真っ直ぐに見下ろされて、鼓動が急激に跳ね上がった。


 「僕はね、頑張ってるつもりですよ、ミルイ様の負担を少しでも減らせたらと祈りながら。出会ってから今まで、かっこいいとか思ってくれたこと、ありません?」


 ギャップ萌えというのだ、こういうのを。卑怯の極致である。

 首から順に顔が赤く染まっていくのを、第三者的立場から観測する自分がいた。耳まで真っ赤になって狼狽する自分は、覚えている限りの(・・・・・・・・)何よりも乙女のような反応をしている。心臓が訴える刃で貫かれたような痛みは、すぐに「過去」として処理された。

 目を逸らすことも許されず、いつの間にか固定された頬に硬直する。石に似た様相で目を見開く私を、ヨジは子供のように小首を傾げて促した。


 「……ありませんか?」

 「そういう、悲しそうな顔は、卑怯だと思います」

 「あれあれぇ、知らなかったんですかミルイ様。僕、卑怯者なんですよぉ」

 「そういういらない自虐で追い詰めるの止めて下さい。……私は、ヨジさんは、かっこいいと」


 わざとらしく首を振って、大げさなジェスチャーで耳に手を当てる。

 何だか無性に悔しくなって大声を上げた。思う壺であることはわかっている。わかっているのに乗らずにはいられないこの鬱陶しさ!


 「ヨジさんはいつだってかっこいいですよ!」

 「うわ照れる」

 「ちょっと止めて下さいよそうやって突然素で照れ出すの!恥ずかしいのこっちですからねッ!?」

 「だって、僕みたいなへーぼんでもかっこいいって思われることがあるんだから一生懸命頑張ってるミルイ様が可愛くないはずないじゃないですかーって言おうとして誘導しただけなのに、そんな初心な乙女の反応されたら照れる他ないじゃないですかー」


 両手で頬を包み首を振る仕草は、どう見ても私より可憐である。前から思っていたけど、ヨジは結構女子力が高い。裁縫はお手の物だし、料理だって、本職だった私には劣るものの悪くない。

 しばし染まった頬を眺めることで暇を潰し。


 「……え、もしかして本気で言ってるんですか」

 「今そこ!?」


 ようやく思い当たって、トマトも驚きの赤さに一息に染まった。

 傍から見れば、いい年こいた大人が二人で何をやっているんだという光景だろう。しかし本人たちは真剣である。真剣に、目を逸らして、乙女のように照れ果てているのである。

 落ち着け!と自分に言い聞かせる。にやけそうになる口元を頬を引き攣らせて堪え、下がる眦を眉間に皺を寄せて断固阻止する。しかし脳は反芻する。ヨジの述べた一言は、私の逐一を桃色に染めてなお余りある破壊力だった──その中に抗体が混じっていたことにも、すぐに気付いてしまったが。

 だらしなく開きかけた口元が、戦慄いて、閉じる。半月を描きそうになった目元が速やかに冷めて線になった。熱く火照った頬は血を失い、指先が痺れるほど体温が失せた。


 「……ミルイ様?」


 のどに血の凝りでも詰まったようだった。息も吸えないほどの塊が鎮座している。

 ひゅう、と無様な吐息を漏らした私に、ヨジは顔を険しくして詰め寄った。肩を強く掴まれて震える。


 「ミルイ様、どうしたんです」

 「……なにも」

 「何もないはずありますか!ほら、座って、ちゃんと息をして!」


 のどを手で覆われて、温かさに呼吸を思い出す。覗き込む視線に応えることはできなかった。

 ──一生懸命、頑張っていると。

 ヨジはそう言った。そう見えるのだろう、他人には、私の祈りの姿は。先程私が連ねた通りに。

 がん、と雷を落とされた気分だった。自分のしていることなど分かりきっていた。本当にそれを成すのかと、自分に問い掛けたことがないはずがない。そんな思いは切って捨てて、今を決行している者こそが自分だった。


 「体調が悪いならちゃんと休みなさいといつも言ってるでしょう。ほら、ミルイ様、お部屋に戻りますよ」

 「いいえ」


 詰まったままののどをほったらかして啓示のような声がした。感情なく、何者にも左右されない硬い声。それが自分の声だとは思えないほど、望んでいた完璧な声だった。


 「いいえ、ヨジさん、大丈夫」


 ゆっくりと上げた視界に、強張ったヨジの顔が映る。宵闇の瞳に映る自分の顔は、まるで巫女らしい表情を浮かべた私の顔だった。

 やわく笑んだ口元と凪いだ目。大樹の幹に似た安定感。

 良いか、もう一度思い知れ。目を合わせられないのは後ろめたいからだ。彼が祈りを真摯に見守ってくれているのを、私は知っている。見守るのは、祈りの成就を支えるためだ。平和の祈りを信じているからだ──何故、お前(わたし)がそれに怯える。切り捨てたはずの、その事実に。


 「平和の祈りはみんなの願いだけど、それは同時に私の願いなの。大丈夫、まだ祈れます。退屈だと思いますけど、もう少し付き合って下さいね」


 何か言いたげに彼は口を開いて、結局は何も言わずに台座の後方に大人しく控え直した。よろめきながら祭壇の定位置に座り直した私に刺さる視線を黙殺して、再び固く両手を組む。

 最初から、裏切っていた。得た信頼は、誠実さの欠片もない私が手にした幻だ。裏切りを前提にした日々の積み重ねを今更否定することなどできない。登ってきた階段は、もう崩落しているのだ。振り返って飛び降りてもそこにあるのは無為だけで、踏み出したこの道を消すことはできない。祈りは必ず完成する。巫女の死を許すこともなく。

 祈れ。早く、一刻も早く、世界に平和が訪れるように。この脆弱な意思が揺れて、万が一にも日和る前に。早く、終われ、早く。


 いや──いや、問題ない。そうだ。

 最後に残るのがマリィの死に様なら、どうせ、ヨジへの愛情もその内忘れるのだから。

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