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平和の祈り  作者: 飛鳥
3/6

3.破砕

 つまらない、とてもつまらない話をしよう。

 私の妹は、それはそれは美しい少女だった。物語に登場するヒロインとはああいうものだという、まさに手本のような少女だった。見た目が愛らしいだけでなく、可愛らしさしか感じない程度の我侭さを持った、人間味溢れる清楚な花だった。

 誰もに愛されて、世の常、女性からはどうしようもない範囲で少しだけ疎まれて、しかしそれでも最後には和解して笑いあってしまうような、とにかく人を惹き付けずにはいられない、最愛の妹だった。

 よもや、あんなことになろうとは、思考の一端に上りすらしなかったのだ。あの優しい妹があんな悪意に晒されるなど、思う方がどうかしていた。

 街を繋ぐ道から少し外れた我が村は、旅人が来ることすら稀だった。そんな村に貴族が襲来したら、目を丸くして硬直する他どんなリアクションを返せたというのだろう。

 豪華絢爛、金張りのゴテゴテとした馬車が、いかにも偉そうな兵士を連れて、獣避けのゲートを蹴り倒しながら押し入った。趣味が悪いと思ったのは、決して田舎者だからではないだろう。多分貴族でも同様の感想を抱くほどに目に染みる色彩センスの馬車だった。

 当然そんな馬車から降りてくる主が控えめな性質をしているはずがなく、でっぷりと肥えた若者は、降りて早々文句を吐き散らした。

 やれ何を見ている。やれ足元が汚れた。

 何のために来たのかと思えば、村長が要約したところによると、父親に「たまには仕事しろ」と追い出されたらしい。つまりは領地の視察に来たのだろう。余計なことをしてくれる、と誰もが心で舌を打った。

 さて、我ら姉妹の経営していた食堂は、小さな村に唯一の外食の場である。そこに男が足を運んだのは、村長の家が男にとってはウサギ小屋のごとき佇まいに映り、滞在する気がなくなって、腹を満たしがてら噂の美少女でも見て帰ろうという魂胆だった。

 そういうのは無駄な行動力を起こさなくてよろしいと私は思う。でっぷり肥えた身体に合わせて、一歩も動かず、提供される食事だけ口に運んでいれば良かったのだ。そうすれば、あんな悲劇は起こらなかった。

 案の定、男は妹を見初めた。見初めたどころではない。目にした途端に奇声を上げて距離を詰め、腕を引いて無理矢理に馬車に押し込めようとした。

 必死に暴れる妹を救出すべく包丁を手に踊りかかった私が、兵士に殴打されたことは言うまでもない。

 僅かな浮遊感の後、後頭部をテーブルに打ち付けて、霞む意識の中で泣き叫ぶ妹に手を伸ばした。そこで一度気を失って、気が付いたときには数日が経っていた。村に妹の姿はなく、また、村の男たちの姿も消えていた。

 私の手当てに当たってくれていた村の娘に錯乱をぶつけた後は、吐き気がするほどの眩暈を無視して、金切り声を上げながら厩へ走った。

 妹が醜悪な豚に連れ去られた。村の男たちはそれを取り返しに後を追った。勇敢で、正義感に溢れる人々だ。普通なら見捨ててもおかしくない相手なのに、そう迷いもせずに追ってくれたらしい。領主は人格者というほどではないが、直訴すればきっとどうにかなるだろう。そう言って。時間が掛かっているのは、きっと馬鹿息子がこねる駄々に付き合わされているのだろう。

 ──儚い幻想だった。単騎乗り込んだ街で見た光景を、私は死ぬまで忘れない。

 積み上げられた村人の死体の山。中心に掲げられた十字架に、小柄な身体が吊られていた。十字架は赤々とした炎を吹き上げて天に昇ろうとしていた。黒焦げになった身体からは香ばしい匂いが漂って、周囲を囲む熱狂に油を注いでいるようだった。

 飛び交う石の輪の外から、人とは思えぬ声がした。それは領主の声だった。


 「この女は男たちを誑かす魔女だ。見ろ、この使い魔の数を。こちらを見るなり目を赤くして襲い掛かってきた男たちは、哀れにも魅了の魔法を掛けられたのだろう。そうでなければ私の息子に手を掛けようなどという暴挙に出るはずもない。さあ、皆、魔女は火に浄化されたが、まだこんなものでは彼らの無念は晴らせない。痛め付けろ。焼けた手足が落ちるまで、石持て、投げろ、痛め付けろ!」


 のどが潰れるほどの絶叫を遠くで聞いた。赤く染まった視界の中、自分が何をしたのかを覚えていない。

 色々なところが痛んで、足の腱を切られて身じろぎすらできなくなって、こいつも魔女だという声を聞いた。死に直面し、妹を失った事実に絶望し、倒れ伏したままで涙をこぼした。このまま死ぬのが良いと思った。あの男を殺せないことが心残りだと世界を呪った。

 皮肉にも、私に巫女の印が現れたのはそのときだった。






 私の良心はそのとき尽きた。呪いは我が身に燻ることなく燃え続けている。

 世界に平和を。

 それだけが私の願いであり、望みであり、生きる上での使命であり、それ以外には何もいらない。10年ごときの平和では到底足りない。もっと永く、できることなら悠久の平和を求めている。永遠に争いのない世界。誰もが求めるその楽園だけを、私は渇望し続けている。

 世界に平和を。揺らぐことのない絶対の平和を。10年ごときで終わる不安定なものなど、私は平和と認めない。争いのない世界、以降の死のない世界、何一つとして変わらない世界──すなわち、終焉をもって、平和と為す。

 私に平和を望ませるというのはそういうことだ。私に巫女の印を植え付けたのなら、神はその平和を否定していないということだ。きっと嫌気を差されたのだろう。こんな醜い人間たちに。

 領主とその息子は既にこの世に存在していない。巫女を痛め付けて許されるほど、その地位は高くはないのだ。神殿に保護されて治療を受けている間に彼らは処刑された。

 首を刎ねられたのだというが、正直なところ私は物足りない。もっと痛め付けるべきだった。磔にして、火で炙って、炭化した手足に石を叩き付けるのが良い。一息に殺すことなく、じわじわと痛め付けて、生まれて来たことを後悔するほどに長引かせるべきだった。

 妹の記憶はすでにいくらか失われているだろう。そしてこれから更に、心に爪を立ててしがみ付いている玉石が次々と失われていく。

 妹の拗ねた声も、赤く染まった頬も、輝く笑顔も忘れ、最後に妹の亡骸を忘却する瞬間、私は消えるのだろう。そして世界は平和に包まれる。人は死に絶え、何も残らない。もしかしたら地上すらなくなるのかもしれない。どうだって良い。終わるのなら。なくなればいい。根絶できるなら。

 妹を救わなかった世界など滅べば良い。どうせこのまま世界があれば、ああしてまた、罪のない人間が死を負う羽目になるのだろう。妹のように、弱い人間から虐げられる。

 災害なんて関係ない。魔物の発生が抑えられたからといって妹は救われなかった。人間とて魔物に変わるのだ。あれは人間などという生き物ではなかった。生き物が全て魔物に変わる可能性があるなら滅べば良い。世界が終われば、それこそが平和だ。

 私という存在はあの瞬間に死んでいるのだと、私はそう思っている。死ねば悲しむ誰かがいるから、誰も殺すべきではないと思っていた。あの頃の私はもういない。誰が死んでも良い。どうせ皆死ぬのだ、もうすぐ。

 私の中に、世界を滅ぼす罪悪感など欠片もなかったのだ──これまでは。

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