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平和の祈り  作者: 飛鳥
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2.欠損

 日の光を集めたような微笑が、私に向けられて輝いている。

 風に遊ぶ色素が薄く細い髪。新緑を閉じ込めたような命に満ちた輝かしい宝石の眼差し。華奢な体躯が木漏れ日に照らされる。ありとあらゆる世界の闇に、一片たりとて触れさせたくない、そんな少女が絶対の信頼を、今日も私に注いでくれる。

 私はこの子のために生きているんだと今日も実感しながら、手籠を揺らして歩み寄る。


 「お姉ちゃん、これ、おいしそうでしょう?私が見付けたのよ!」

 「綺麗に実った野イチゴね。これならおいしいジャムが作れるわ。ありがとう、マリィ」


 えへへ、と照れる妹にジャムの摘み食いを許すと、心を溶かすように甘い笑みが弾けた。お姉ちゃん大好き、と抱き着くマリィを内心泣く泣く仕事に向けて、せっせと木の実を収穫する姿を微笑ましく見守りながら、自分も手早く日々の糧を摘み始めた。

 マリィとは、たった二人の家族である。数年前に事故で両親を失って以来、村の大人たちに支えられながら、小さな食堂を経営することで生きてきた。もうすぐ大人の仲間入りをする妹は、年齢の割りに随分甘えたに育ってしまったが、それを補ってなお余りある心優しい子なので問題はないだろう。

 心優しく、姉の欲目でなく美しく、誰でも自慢できるほどあらゆる意味で可愛らしい私の妹。村の若い男は、ほとんどが妹に恋心を募らせており、女性陣はそのことに不満を持ってはいるものの、マリィの清廉さに嫉妬をぶつけることはしない。

 いくらか告白を向けた者がいるらしいが、顛末はいつも同じだという。とても申し訳なさそうな顔で、ごめんなさい、と告げるのだ。

 可愛い妹を奪われずに済んで安堵しながら、もしかして他に好きな男がいるのかと思えば、何のことはない、彼氏ができれば私といる時間が減るから、という可愛い理由だった。思い切りハグして、夕飯を好物で固めたのは言うまでもない。

 ただ、いつかは手放さなければいけないだろう。この妹のためにできることがあるなら、何でもしよう。妹を奪う憎き男でも、妹が望むなら血の涙を流しつつ喜んでキューピット役を引き受けよう。

 妹の幸せを見届けて、永劫の幸せを確信して、それが自分の幸せである。誰か自分にも良い人が見付かれば言うことはないが、そうじゃなくても構わない。


 「お姉ちゃん、今日ね、トーイに告白されたの」

 「……へえ」


 同じベッドで寝たいというのは珍しいことでもない。

 寒くなってきたしねと掛け布を捲って招いて早々、胸に顔を埋めるようにして蚊の鳴く声で訴えられた内容に、見えない角度で顔を引き攣らせた。

 多分に漏れず、村長の息子であるトーイも妹に心を寄せているのは当然知っていた。やや勇み足なところはあるが勇気があって機知に富む見所のある少年で、将来はどれほど良い男になるだろうと噂されている。

 妹へのアピールも悪くない。村長からの連絡のついでとばかりにマリィに花を贈り、難儀に対面した妹を四苦八苦しながら助けては颯爽と去って行く。そんな際少しばかりぶっきらぼうなのは、年齢が年齢なので照れくささが先行するのだろう。目を瞑ろう。

 相手としては申し分ない。申し分ないが、やはり申し分ない相手だからこそ恋心が完遂する見込みがあるとささくれる。いや、この分では。


 「トーイってば、私を呼び出しておいてあーだのうーだの、中々用件を言い出さなくってね──」


 暗闇の中でもわかるほど、伏せた顔の横、髪から覗く耳の赤さははっきりとしていた。未だかつて妹が異性にこんな反応をしたことがあっただろうか。

 知る限り、困った顔をしたことはあった。頬を赤らめたことはあったようだが、やはりその日の内に断りの返事を返し、夜にはしゅんとした様子で「傷付けちゃったかな」などといらぬ後悔に精を出す程度だった。


 「お姉ちゃんてば、聞いてる?」

 「うん。明日のトーイのお弁当を激辛にしようねって話だったよね」

 「そんな怖い話じゃなかったよ!」


 ぎょっとして身を起こした妹の赤いかんばせに、ささ れた気持ちが癒されるような、でも更にささくれるような、複雑な心地 苛まれる。


 「もー、返事する に相談に  てって言ってる 」

 「笑顔で『火鼠の衣を持っ   ら付き合  あ る』って  なさい」

 「ひど 悪女  !ちゃん  談乗っ よ   ちゃん 」

 「 めん て  」


 新  瞳を潤    の顔は              。





 悲鳴を押し殺せたのは奇跡だった。丸く見開いた目が、挙動不審に辺りを泳ぐ。息苦しさを覚えて喘ぐと、いつの間にか呼吸が止まっていたようだった。

 眩暈を覚えながらゆっくりと身を起こす。ひんやりと寒気を自覚するほどに、豪勢な寝具が汗に濡れていた。当然間に入る薄い服も水気に湿っていて、着替えの必要性をぼんやりと思う。

 けれど身体は動かなかった。腕を持ち上げようという気力も湧かない。のどを震わせるような込み上げる笑いだけが、突き上げるような生を感じさせた。


 「……やっと……」


 やっとだ、と呟いた私の顔は、恐らくひどく安らいでいたことだろう。

 夢を見る。夢が壊れる。もう、今の私には、今見た夢の内容が思い出せない。ただ、頭が割れそうな衝撃が混乱を齎し、錯覚を完全に否定する喪失感に覆い包まれているだけだ。

 それこそが、これまでとの違いを明確に示している。今、自分に何が起きているのかを間違いようもなく自覚する。

 祈りが届き、平和の成就がもうすぐ訪れる。

 ものを買うのに金がいるように、何事にも代償がある。平和の祈願とて例外ではない。齎されるものに対し、対価が比較的小さいようには思えるが。

 巫女の祈りは大樹を通して世界に溢れ、世界は祈りの達成からおよそ10年の凪を約束する──祈りの代償は、巫女の記憶である。

 巫女としての印が現れた瞬間から、記憶の浸食は開始される。ゆるやかに削除される記憶は、平和への祈りの強さにより速度を増す。ささやかな記憶ほど先に消える。記憶を喰われるほど世界が安定する。

 記憶を失う恐怖に祈りを止めても、平和への道筋が消えることはない。記憶を失って壊れた巫女を残して平和の祈りは完成する。

 また、自死を選んだ巫女の末路は酷いものだ。明らかに死を迎えるべき惨状であるにも関わらず、四肢の自由をなくしてなお感覚を残され、意識を失うことなく壊されていくらしい。

 言ってしまえば生贄である。世界に巫女という1人の人間を捧げ、平和という人類の夢が一時叶えられる。

 もっとも、正確に言えば、記憶全てが失われるわけではない。それでは祈りの完遂に際して不便極まりないだろう。常識やどうでもいい記憶、今現在更新し続けられる記憶は最後まで残る。記録の中ではそう記される。

 過去の例のように、私の中からはこれまでも随分と多くの記憶が失われてきていたのだろう。それを自覚しなかったのは、今となっては「どうでもいい」記憶だったからである。なくしたからには当時はそこそこ大切だったのだろうに、この度の衝撃を考えると、悲しくなるくらいに喪失感の欠片もなかった。

 たった今、なくした記憶が何に関連するものであったのかは考えるまでもない。心臓が軋むほどの喪失感は、同時に安寧をもたらした。

 狂ったように口中で唱える。やっと、やっとだ。やっと叶えられる。やっと、私の祈りを世界が聞き届ける。

 ここから膨大な記憶が削除される。私の、大切で、何者にも変えがたい、あらゆる記憶が消え失せる。

 大事な大事な、尊い記憶。私の愛した妹の記憶。これをなくしたら私は私でいられない、私を構成する全て。

 失うことは怖いことだ。しかし、それが何だというのだろう。耐え難いのは記憶を無くすことではない。


 「待ってて、マリィ」


 最早そんな時間は過ぎたのだ。

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