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あれ? なんだかおかしい。そろそろ小屋についてもいいはず……
道が突然行き止まりになった。退かされた雪が家の高さくらいの山となって行く手だけじゃなく左右すら塞いでいた。しまった、逃げ場がない! やられた!
悔しがる暇もなく次の瞬間、顔の両側を後ろから腕がかすめ、目の前の壁に大きな素手がついた。おそるおそる振り向けば絶対零度とも言えそうな両眼が見下ろしている。司令官の体と両手に囲まれた形で、逃げるのは不可能となった。
「言え。何故俺から逃げた? 俺が薄気味悪くなってきたか?」
首をぶんぶん横に振り否定する。何も言うもんかと固く口を閉ざしていたけど次の言葉で我慢できなくなった。
「一人でいたいと言ったが俺はお前を一人にさせたくない気分だ」
「……っ! 今自分が残酷なことしてるって分からないなら司令官だってケルビンと同じです!」
司令官は目を見開き、何も読めない表情をして私を見下ろす。その視線に耐えきれず、彼の腕の下をくぐってその場から走り去った。
引き止められることも追いかけてくることもなかった。
夕暮れが押し迫って来ているのに司令官が戻ってこない。夜の冷え込みを気にしなくてもいい存在なんだから心配する必要はないんだけど……。
……このまま会わないでいる方が最善と思っていても、心に引っかかっているものがあって落ち着かない。
『俺が気味悪くなってきたか』
あの言葉が忘れられない。奇形だという司令官。そういう扱いを受けてきたんじゃないのか?
私は彼を傷つけたんじゃないだろうか。
……そういえば足のケガ!! あんなに走って!
慌てて私は外に飛び出した。
意外にも司令官は簡単に見つかった。栽培小屋の戸口に寄りかかって立っている。
息を切らして走ってきた私を見る目が不穏そうだ。
「どうした? 何かあったのか?」
「足! 足を見せて下さい!」
急いでブーツをはぎ取ってあれっと拍子抜けした。傷口は半分以上カサブタとなって、これといった出血もない。
それ以上に驚いた。つい素手で触ってしまったが、殆ど人間と変わらない体温になっていた。
「足の心配か。それならご覧の通りだ。お前たちの大事な坊ちゃんの体だから俺なりに理解して動いている。当初の歩き馴れていなかった頃とは違う」
「いえ、別に大事じゃ……」
最近は少しだけなりをひそめたと思っていた冷徹無比な口調に、少し怯えた。気持ちが離れてしまったようで、都合のいいことに私は寂しさを覚えている。
「お前は俺が残酷な事をしていると言ったな」
「…………」
「そこで自分を省みるに、俺はお前に対してとある勘違いをしていた事に気づいた」
「私に?」
「お前が世話をしているのはカイ・フリューゲルの体であって俺ではない。お前が見ているのはカイ・フリューゲルであって俺ではない。お前が心配したのは」
「違います! 私はあなただから……それなら本当の姿を見せて下さい!」
私の言葉に司令官は少し目を見開き、それから眉根を寄せる。
「無理だ。俺の姿は人間には見えない。感触もない」
そう言ったその表情は、確かに読めた。寂しい、という感情だった。
人は人、精霊は精霊。しかも触れ合うこともできない雪の精。 その線引きをはっきりと感じた。
「そう……ですよね。当たり前ですよね。あ、の、私ケガの心配もだけど、司令官に謝りたくて来たんです」
「? 謝る?」
「私の変な行動で司令官を傷つけたんじゃないかって。あの、気味悪くなんかありませんから、司令官は。司令官の周りがおかしいんであって司令官は誰が何と言おうと一番まともな人です、いえまともな精霊です。正直出会わなければよかったって思うくらい居なくなったら寂しいですけど、やっぱり、出会えて、よかったって、思ってます……」
なんとか言い切ったが司令官は少しの間無言を続けてから言った。
「……お前は自分こそが残酷な人間だと分かっているか?」
「え?」
私の髪が一房、司令官の手につままれる。
「これをカイ・フリューゲルからだと思うなよ」
そう言って髪に一つくちづけを落とした。
……どうしてそんな事を? どういう意味なんですか司令官。
その仕草が切なげに見えて、伏せた睫毛がきれいで、胸がつんとこみ上げ泣きそうになってしまう。
これはカイ・フリューゲルの体なんだから勘違いしたくない。
だけどあの坊ちゃんが同じ事をして、私はこんなにも泣きそうになるだろうか。ならない。決して。
司令官が髪をパラパラと解放し、私を見下ろす。
「ベルカ、俺は」
そう言いかけて彼は目を私の後ろへ向けた。つられて振り向けば、そこには雪だるまたちがいた。
彼らの元へ歩いていく姿を見て、もしかして、と心がざわつく。
少しして司令官は私の所に戻ってくると、固い表情を見せた。
「カイ・フリューゲルと思しき魂が見つかったらしい。確認してくる」
「……あ、はい」
力無く答える私に司令官は囁いた。
「明日の開花を楽しみにしているのだから頼んだぞ」
その言葉に私は気づいた。私が来るまで彼がここにいたのは花が咲くのを待つためだったのだ。そんなに待ち遠しくてならないのか。小さな笑みが自然に浮かんで少し心が軽くなった。
「任せてください」
そうして雪だるまたちと立ち去る司令官。
久々の一人の夜、ぽすぽすと雪玉が窓にぶつかる音がした。
窓の外を見れば、おっさん雪がいる。手招きしているので呼んでいるらしい。
上着を羽織り、外に出ておっさん雪を捜す。その時、ひときわヒヤリとした空気を感じた。
「おまえか」
耳に直に響く低い女性の声。
ゾクリと背筋が凍り、素直に外へ出た自分を呪った。
目の前に広がる雪原全てが彼女のドレスであり、森の樹氷は彼女のベール。
分からないはずがなかった。雪の国に住む者の本能が教えてくれたのか。
雪の女王が目の前にいた。