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「うっ!?」
突然雪の塊がケルビンの頭上にだけドサドサと降り注いで来た。腕が離れ、ケルビンは雪まみれできょとんとした。あー、まさかこれは……。
やっぱり戸口に司令官が寄りかかって、冷ややかにこちらを見ていた。
「……カイ……様?」
その表情にやはりケルビンも驚いた。ずっと仕えている彼ですら初めて見るだろう。
「おまえ、ケルビンだったな。自分が不貞を働いていたからと言って相手もそうだと決めているのか。ああ、それともこの体の日頃の報いか。だが俺は指一本しか触れていない」
あの、そこは嘘でも「しか」を除きましょうよ司令官。ケルビンは気を取り直して司令官に呼びかけた。
「カイ様、そろそろお屋敷にお戻り下さい。旦那様もご心配されて……」
「いつ何時何分何十秒、彼が俺の話題を口にした? 屋敷の状況は部下が雪粒に呼びかけ知らせ……」
「ああああっ坊ちゃまそんな格好でお風邪を召されますよっ!」
変なこと口走らないで! と目で訴えたのが伝わったのか司令官は少し肩をすくめてみせた。
「カイ……俺がいなくなるなど毎度のことではないか。俺を屋敷に連れ戻す考えの者はいない筈。なのにわざわざ足を運んだところを見れば、俺にベルカが盗られると危惧してか。御苦労だな」
「……カイ様、どうか彼女を弄ぶようなマネはおやめ下さい。そういう娘ではないんです。俺の事はどうでもいいです。彼女がこれ以上傷つくのが俺は……耐えられない」
そう言って頭を下げるケルビンに私は胸がじんわりするのを感じた。だが司令官は相変わらず冷ややか、いや、冷酷さを増している?
「そんなに言うのであれば俺の言う事に答えろ。まず2年前の夏、屋敷の物置で休憩を共に過ごしていた者を言え。次に収穫祭の前夜朝方まで一緒にいた者の名、あと昨年の夏、北の森に一緒に出かけた者の名」
なにその質問。私が疑問に思っている隣でケルビンの顔は青ざめていく。逆に気のせいか司令官の血色がとても良好に見える。
「どうした? 早く言え。言わないなら俺が言うが?」
「それは……っ!」
「まず去年の夏は屋敷の使用人ソーニャ、収穫祭の前夜は村娘ナターシャ、昨年の夏は街から避暑に来たタチアナ。ああ、今年の夏はナターシャと再びだったな。それで、誰が弄んでいる話だったか?」
茫然としながらケルビンの顔を見た。彼は青ざめながらも何故か笑いを浮かべ、何か言おうとしたが私はさっさと司令官の袖を引っぱって、家の中に入り、かんぬきをしっかりと下ろした。
そりゃ、一度はもうきっぱり忘れることが出来た人だけど。本当に好きでならなかった時から既に裏切られていた事実は、まだ残っていた綺麗な思い出さえ砕いてくれた。
何もする気になれず、テーブルでただぼんやりしていると、いつからいたのか司令官もテーブルに黙って座っている。
それでも私はぼへっとほおづえをついていた。少しすると、コトリと音がして顔を上げればかき氷があった。冷え冷え。
「食え」と司令官のぶっきらぼうな声がして私はおかしかった。これ、司令官が作ったのか。私に。
一口食べると真冬の氷はキンと頭が冷えて、なんともいえない。それに蜂蜜と練乳かけすぎですよ、司令官。
「余計なことをした」
「? 何がです?」
「結果的にお前が泣くことになった」
「泣く? ああ、涙こぼしていることですか。これは、かき氷が冷たすぎて。それに、司令官が教えて、くれなきゃ、私、また騙されて、振り回されて、ましたから、感謝してます、よ」
一旦かき氷に目を落とすとポタポタと私が落とす水分で氷が溶けている。顔、上げられないや。
何で泣くかな私。半年前ちゃんと泣けてなかったからか。忙しい生活で無感情にして誤魔化していたのに司令官がかき氷出したくらいでモロくなって……。
司令官のこと最初はバカだバカだ思ったけどバカは私だ。こっちの世界を全く知らない司令官と違って、私はケルビンと2年以上一緒にいた。なのに彼の本性を知ることもできず、少しの言葉でまた騙されそうになるなんて何も学べない、司令官の何倍もバカ女だ。
ふと、頬に指が走った。司令官の指だった。すぐに離れたそれは冷たいけど……以前より冷たくない。
「熱いんだな、涙は」
「……そうです。溶けますよ」
「そうだな」
そのまま司令官も私も何も言わなくなった。
そのかわり、私の髪から指の感触が伝わる。カイ坊ちゃんより見事でもない茶色がかった金髪を肩の辺りからゆっくり梳かれた。撫でられているようで気持ちいい。
さっきのかき氷といい、もしかして慰めてくれているんだろうか。こんな時ただ傍にいてくれるのがどんなに嬉しいか分かっているだろうか? そう考えかえて慌てて否定する。
泣く感情に興味があるだけなんだろう。いいですよ、こんなみっともないものでよければ学習してください。
どのくらいそうしていたのかわからないけど、司令官はその日機織りの部屋に戻る事なくずっと隣にいた。
その日もカイ・フリューゲルの魂は見つからなかった。
翌朝になって気恥ずかしくなってきた。いくら精霊だと言ったって泣き顔をずーっと見られていたことを一晩たって実感すると……うぅ、雪に洞穴作って隠れていたい。
とりあえず苗の様子を見に出かけようとすると司令官も外套を羽織ってついてくる。
なんで。 昨日の今日で顔あわせにくいんだけど。司令官が昨日のことはなかったようにいつもどおりの顔でいるのは助かるけど。あと小屋までの道の雪が自らよけてくれるのはもっと助かるけど。
「もう咲いているのではないか?」
「まだです。なんならどんな具合か見ていきますか?」
「いや、咲くまでに見ないでおく。楽しみ、という奴だからな」
その無表情が真面目くさって見えて、つい笑った。するとまた髪をいじられる。司令官、髪の手触り好きなのかな。
触られるのはイヤじゃない。むしろもっと……。
そこまで考えて歩く足を速めた。突然先を行く私の後ろを司令官はぴったりついてくる。
「どうした?」
「いえ、どうもしません」
その後の朝食も司令官は何故か隣に座る。さっさと終えて蔓の編み籠作る作業に入っても司令官は隣にいる。
「あの、どうしたんですか今日は。機織りは飽きちゃったんですか?」
本を読んでいた目がこちらに向いた。
「お前の傍にいたいだけだ、気にするな」
と言ってまた本に目を落とす。……だからなんでそうぬけぬけ女落としみたいなこと言うかなあ!?
昨日の事で心配してくれているんだろうけど……けど!
「昼なので小屋の方見てきます!」
そう言ってさっさと家を飛び出し、ずんずん歩いた。……変に思われたかな。ますます心配するだろうかと気になり、ちらりと来た道を振り返って……。
「どうしてついて来るんですか!?」
「傍にいたいからだと言っただろう。何が悪い」
あっさり言いのける司令官。容赦なく見つめてくる水色の瞳が憎々しいくらいになってきた。
悪いわよ、悪党よもう。傍にいたいって言っても、ずっとじゃないくせに。愛して止まない女王様の所へ帰るくせに。
「ついてこないで下さい。一人でいたいんです」
勘違いするような事ばかり言って。これ以上ろくでもないこと、聞きたくない。
私は司令官を置いて走った。朝に雪をどかしてくれてありがとう司令官。走りやすさに全速力で小屋を目指したけど、ちらっと後ろを見れば司令官も追いかけてきている!?
しかもこの冷気、怒りまくってる!
「お前何故逃げる!?」
「何故追いかけてくるんです!?」
別の意味でも逃げ足に力が入った。 こ、怖いよ、大迫力だよー!