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「俺からも聞きたいことがある。事情を知って尚俺を追い出さないのは何故だ?」
「え?」
「俺は領主の息子ではないのだから気を使う必要もあるまい。出て行ってほしいというのであれば出ていくが」
「だって……5日か一週間くらいなら司令官も楽しんでいいと思うし」
それにここ気に入ってくれたしね。
「楽しむ?」
「そういうことなんじゃないんですか? 人間をそばで観察したい夢を叶える休暇ってことで。だからお迎えと一緒に行かないんでしょう?」
「そういうのを楽しむというのか」
聞き入る司令官が素直すぎておかしい。つい笑うと司令官は不思議そうな顔をする。最初の威圧的な冷酷印象はどこへやら、子供みたいにすら見えるのは裏事情を知ったからだろうか。
「せっかく人間の体になったんですから他にも楽しんでみたいこと、ないですか?」
「そうだな。……花が見たい」
「花?」
「昔一度だけ雪の下から顔を出す白い花を見たことがあった。不思議だった。生態が狂ったのか勘違いを起こしてしまったのか、とにかくその花は俺が降らせた雪を押しのけて咲いていた。
もっと近くで見て触れてみたいと近寄ったとたんに凍らせてしまった。だから今なら間近で見て、触れることができると思うが」
……冬に咲く花なんてない。彼はそんなこと私より知っているだろう。世界を空から見てきたんだから。見たことがないから追い求めるんだから。
その時、私の頭にひらめいたものがあった。
翌朝早くに家を出て、栽培小屋へ向かった。
あった。まだ花の咲いていない段階の株が幾つかある。温水の湯量を増やして地熱の温度を上げれば早めに花が咲く。
野菜の花だから彼が見ようとしたものより地味かもしれないけど、白いし、沢山咲かせたらとても綺麗だ。
その作業を終え、家に戻ると裏手の壁に寄りかかっている司令官が見える。何をしているんだろうと近づいて。
「わあ……」
キラキラと朝日を浴びて光り輝く透明な塊が司令官の周囲に舞っている。たゆたうような踊るようなそれは手のひらの大きさもある雪の結晶の形をしている氷だ。
司令官はそれらに手を差し伸べ、つついたり指で回してみたりしている。その姿は戯れているようだ。
「なんですかこれ……」
近寄ると、司令官はいつものようにひんやりした口調で答える。
「雪の状態を調べている。そこらにある雪と性質は変わらない、形を大きくしただけだ」
「綺麗ですね……花みたい」
しばらく恍惚と見とれているとふと司令官がこちらを見下ろしているのと目があった。驚いた顔のような気がする。
なんかしたかな、と彼を不思議に思っていると、やがて雪の結晶は数を増して、私の周辺にまで漂う。一つとして同じ形のものはない。
キラキラと光が辺りいっぱいに増え、夢を見ているように美しい光景だった。
手を伸ばせば雪の粒のようにすっと溶け消えてしまう。あ……残念。
だが司令官がそこらの雪を掴んで握り、手を広げるとそこから次々とあふれ出し、花吹雪のように舞い上がった。
「すご……! 司令官、ありがとうございます!」
無邪気にはしゃいでいると ふ、と髪を引っぱられた。司令官が私の髪をもてあそんでいる。なんですか一体。
「髪は冷えているな」
「私の髪が何か?」
「お前は……」
そう言いかけて司令官は言葉を切る。言葉を待って見上げ、結晶の花と共に彼の髪も陽の光を浴びて輝いているのをぼんやり見つめた。
その髪の間から見える瞳が何かいつもと違う色を帯びて、何も読めない。
何故そんな風に見下ろしてくるのだろう。以前の凝視していた瞳とは思えない、そらせなくなる。
しばらくすると司令官は「いや、いい」と髪から指を放して壁に寄りかかった。
「こんなものでいいのならいくらでも出してやろう。これを俺の宿代としろ」
無粋大王司令官は腕を組みながら尊大に言うが、その物言いにもいい加減馴れたので苦笑する。
「宿代は別にいいですけど……。困りました」
「何がだ?」
「私も見せたいものがあったんですけど、これを見たら……地味だからつまらないだろうなあって。お花なんですけど」
司令官の目が一瞬輝いたかに見えた。
「地味だのつまらないだのは俺が決めることだ。早く見せろ」
「いえ、さっき開花の準備をしてきたばかりですからまだ咲いてません。明後日には咲きますよ。ちょうど出て行かれる日になりますけど、間に合わせます」
司令官は少し眉間に皺を寄せて「そうか」と呟く。あ、あれ、もしかして。
「あの、もしかして残念でしたか? すいません、すぐお見せできなくて」
「まったくだ。……明後日というのは確実なんだな? 間違いはないんだな?」
頷いて見せればその眉間からすぐに皺はなくなった。面白い。ほんっとうに僅かだがこの人の表情が増えてきた。 まるでそれは雪解けのようだ。
このままずっといれば次はどんな顔が見れるんだろう? そう思ってハッとした。何を考えてるんだろう、あと2日しかいないっていうのに。
司令官の為にも苗の面倒を綿密にするため、昼にもう一度温度調整に出かけた。その帰り、私の家に向かう人影が見えた。……会いたくない人物だ。
「元気そうだな、ベルカ……戦車でも来たのかこの辺は」
すっかり雪が無くなっている我が家周辺を見て、赤みがかった金髪のその男は言った。
……カイ坊ちゃんの屋敷に仕えてるケルビン。半年前まで婚約者だと私が勘違いしていた相手だ。
結婚しようと言われていたのは確かだけど、屋敷の女中アテミシアの妊娠で、私との事は彼の冗談だと分かった。
あれからずっと会わないでいられたのに。
私は頭を下げた。きっとカイ坊ちゃんを連れ戻す仕事で来たのだからそれなりの礼儀としてした事だったが彼には不快だったらしく顔を歪められた。
「……すっぱり他人行儀になったもんだな」
「笑って抱きつくワケにいかないでしょうが」
「いいさ、別に君に用事があって来たんじゃない。カイ様がここにいるという噂を聞いたんだ。本当なのか?」
「いるわよ。3日目になるけど」
ケルビンは益々顔を歪めた。ああ、男女が一つ屋根の下にいるんじゃ考えられることはそっちだけか。
「カイ様が君の手におえるわけないだろ。遊ばれてるのが分からないのか? 君はもっと分別があると思っていたのに」
「遊ばれてないわよ別に」
「……俺のせいだよな。自暴自棄にさせてるのは。もっと俺を憎んでくれていい。だからあてつけだとしてもカイ様はやめておけ。もっと自分を大事にしてくれよ」
えーっと、ケルビンの中で一つの物語が完成しているっぽい……。
私がケルビンを惹きつける為に彼のあるじを誘惑してもやもやさせる行動をとっている、て事だろうか。なんで? 私、今だ彼に気があるような誤解する行動とったかな?
そんな風に考えている間に気がつけばケルビンに抱きつかれていた。
「え? ちょっと何すんの!?」
「……ごめん。俺が悪かった。本当に君と一緒に生きていこうと思ってたんだ。今だってその気持ちは変わらない」
「いや、ふざけないでよ、子供が出来るんでしょうが! バカ言わないでよ!」
「子供は彼女のウソだった。妊娠なんかしていなかったんだ」
「え……?」
「だからベルカ。俺は……」
一旦体の力を緩めると相手も力を緩める。そこを狙って私はケルビンを新雪へ突き飛ばした。ぼすり、と彼は一気に50㎝近く埋もれ、姿が見えなくなって少しスッキリした。
「あっちもこっちもって、いい加減にして。カイ坊ちゃまなら今機織りの時間よ。勝手にどうぞ」
って聞こえてないか。ほっといて玄関へ向かうと今度は肩を掴まれ、無理矢理ケルビンの方に向かせられた。
「どうして君はいつも素直になってくれないんだ! アテミシアの時だって、君が引き止めてくれたら俺は……!」
勝手なこと言わないでよ。人がどんな気持ちだったかも知らないで。何日も生気なくして暮らしてやっと今一人でやってく事も悪くないって思えてるのに。あなたも、司令官も、何で今……司令官は関係ないって。