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 バタン、と扉が開き、冷風が部屋の中を暴れ、暖まり掛けた空気は瓦解した。


「おい」


 道楽息子が戸口に仁王立ちで現れた。


「閉めて貰えますか」


「足がうまく動かん。何をした」


 それはそうだろう、あんな怪我をしてすたすた歩いたら治る傷も……悪化しているのが皮長靴の上から分かる。


「何してるんですかあなた馬鹿ですか!」


 もう構わず私は道楽息子を無理矢理座らせ皮長靴をはぎ取った。どうやって歩いたんだか傷口がさらに裂け、出血のひどさにめまいを起こし掛けるが、それ以上にやり場のない怒りが勝った。


「ほら! 酷い有様じゃないですか! なんでこんなになるまで歩くんですか、歩かなきゃならない使命でも帯びてたんですか!?」


「俺が悪いということか?」


 怒り狂う私とは真逆に静かな湖面のように揺るがない態度の坊ちゃんを、どうしてやろうかとまで思えてきた。


「とりあえず応急処置をして、屋敷の方をどなたか呼んできますね」


「それはやめろ、ゆるさん」


「それってどちらですか、応急処置ですか、呼んでくることですか」


「どちらもだ」


「痛くないんですか!? 壊疽しますよ、歩けなくなりますよ!」


「痛い。歩けなくなるのは困る。だが屋敷に知られたくない。知られると暖められるからな」


「意味分かりません!」


「よし分かった、説明しよう。俺はこの男であってこの男ではない。この男は今仮死状態だ。俺がそうした。そうしないとこの男は死ぬ」


 ……これで分かると思っているのだろうか、いるんだろう、この堂々とした態度は。


「人間にはまれに俺を視認できる者がいる。この男は俺を見て驚愕し、落馬をし、頭を打った。その際魂が抜けてしまったらしい。多少なりとも俺にも責任があると感じ、死なぬようこの男の中にいることにした」


「……ああ、分かりました。頭打っておかしい、と」


「数文字で済む説明をした覚えはないしおかしくなってはいない」


「ああ、そうですか。さてと、急用ができましたのでこれで……」


「まて、屋敷に行く気だろう。お前の顔は信用ならん。顔つきが屋敷の連中と同じだ」


 そう言って手首を掴まれた途端私はゾクリと跳ね上がった。

 冷たい。氷みたいな体温。人間がこんな体温するなんて。ゾッとして道楽息子の顔を見つめた。彼は私の反応を一瞥し、そのまま腕を引いて椅子に座らせた。そしてすぐに手首を解放した。その離し方が一刻も触れていたくないようで、大分ムッとした。

 が、それより。


「あなた何者ですか」


「俺はしいて言うならお前らが言うところのあれだろう。雪の精か?」


 私は彼の冷え冷えした水色の瞳を見つめたまま、どうお答えして差し上げればよいのか大変に困った。

 道楽息子が頭を打って脳が色バカからメルヘンになったのだ。対処方法が分からない。


「……貴方の話だと、死ぬのを食い止めている状態なんですよね。その力で足の傷をご自分で治せるんじゃないんですか?」


「治し方など知らん。この体はあいつの魂が抜けてカラになっていた。カラの体は死に向かう。その為に俺が入った次第だからな」


 私は伯母の所に居たとき街で見かけた、何かを探し回る徘徊老人を思い出した。

 伯母は「衰えると記憶が色々入り交じってね……」と涙を流していた。あのお婆ちゃんを思うと、この坊ちゃんにも同情が湧いてきた。まだ若いのに……。



外はいよいよ吹雪になり、窓は白くなりつつある。

暖炉から一番遠い窓辺の椅子に足を組んで偉そうに座る客人に私は溜息をついた。

話はよく分からないが、とにかくもう一度手当てをし、歩き回るなと念をおした。この天候じゃ屋敷に知らせにいけないし。屋敷の人も坊ちゃんが数日いなくてもいつものことなので騒がない。

追い出せない。 いいや、ほっとこうと、私は別室で機織りに取りかかる。冬の間に織物を幾つか仕上げて春に卸すことになっている。貧乏暇無しで、坊ちゃんと違い、することは山のようにある。

 長時間同じ体勢に一休みしようと、体のこりを伸ばした腕が何かにぽすんと当たった。ん?ここに壁はない……


「ひいっ!」


 いつの間にかすぐ側に道楽息子が立っていた。無表情でこちらを見下ろしていたようだが、私の悲鳴に眉をよせた。


「機織りを見ていただけだ。物珍しいから」


 化け物扱いされてかなり心外らしい。不機嫌さが露わだ。でも音もなく近づく方が悪いと思う。私は純真な心で驚いたまでのこと。


「怖いからやめて下さい」


「何をだ」


 向こうもどうやら純真な心での質問らしい。瞳がどこか無垢にも思える。


「……音もなく近づく事です。女性であれば誰もが驚きます。それでなくとも貴方は……」


 手が早いと評判で、一つ屋根の下に入れなければならなかった自分の不運と、入り口の鍵を掛けなかった自分の不注意を嘆いているくらいで……とは言えない。


「俺がなんだ? 言え」


「……いえ、なんでもございません」


 この人こんなに威圧的だったのか。もっとえへらへらな顔の記憶しかなかったが。その怯えも伝わったのか、道楽息子は2,3歩遠のいて見せた。あら? あらら?


「……カイ・フリューゲルはそんなにも女の敵だったのか?」


「……え? ええ、まあ、あ、いえ、ほどほどに……」


 自分が聞いても意味の分からない返答だが、道楽息子の機嫌を損ねることはなかった。彼は窓辺に腰掛けて足を休めながら空を睨む。


「それはおかしい。この体は数えるほどしか経験がない」


「……は? なんの…………キャー!キャー!」


「何を騒ぐ。誤解しているようだから言うが、この体は20才までは確かに暴走気味だが成人男子としては健康体の証拠であって、それ以降は……」


「それ以上いうんじゃないわよバカ!!!」


 ありったけの織物をバカ男の顔に投げつけ、部屋を飛び出した。外から鍵も掛けてやる。長椅子でドアも塞いでやる!なにあのド変態は!

 たまにコンコンとドアを叩く音が聞こえたが完全無視した。

 あ……。機織りの仕事が出来ない。あー、今日は諦めよう。裏戸口の隙間風の穴でも修理して……。

 そんな風に別の仕事に取りかかっているとお腹がすいてきて、お昼をとうに過ぎていることに気づく。干し肉と菜っぱの塩漬けとチーズ、パン、りんごタルトを用意。それから機織りの部屋に視線をやる。

 やだなあ~。この保存食だらけの食事に文句言いそう~。塩分過多だとか絶対言うなあ、坊ちゃんは。りんごもあるけど、街のお屋敷じゃ冬でも色んな果物盛り合わせがあったっけ。

 だからと言ってハラをすかせているであろう成人男子(うわーっさっきの思い出したイヤーッ)を放っておくわけにはいかない。やつれた気分で私はドアを開けた。

暖炉がわりの小さな竈の火は消され、空気はひやりと冷え切っている。


「…………え?」


 目に映った光景に私は夢を見ているのだと錯覚した。道楽息子がはたを織っている。

 ぎーばったんと音を立てて。その手の素早さといったらない。私が唖然としているとちらりと視線を投げかけて、


「できたぞ」


 と告げた。何が? 

 近寄ればそこには見事な織り布。この地特有の絵柄を生かし、意匠をこらした見事な出来栄え。

 ……なんですかこれは。私が半日かかるものを、この人……3時間で……!?


「さっき見ていた時にコツを掴んだ。絵柄は勝手だが図案を見させてもらった。他に糸はないのか?」


「……いぇ、あの……。貴方様にそのようなことをさせて頂くわけにはまいりません……」


「遠慮するな。これはなかなか気に入った。他にも色んな柄を作ってみたいが、俺が独自で考えていいか?」


 いや、あの、坊ちゃん……。

 私が茫然としたままなのが不思議らしく、青い目が私の顔を覗き込む。その目はやはり無垢なものに見えた。


「さっき何かを怒らせたのだからお詫びのつもりだったのだが。駄目だったか?」


 何その小さな子が大人に尋ねるみたいな質問は。いえ、駄目じゃありませんよ? 大いに助かりましたよ?

 ただし私の自尊心ズタズタですけどね。



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