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冬の童話出品断念作品。
中欧か東欧あたりっぽい架空の世界です。どうぞお付き合い下さいませ。
雪深い山の麓に広がる森に囲まれて私の村はある。
雪の季節の間、外をあちこちに出かける者は少ない。
私くらいだろう、こんな朝早くから雪に埋もれるようにして出歩いているのは。
自宅から少し離れた所に僅かに湧いている温泉の地熱を利用して作った作業小屋の帰り道の事だった。
人の足跡があった。自宅の裏庭に続いている。それを目線で辿っていくと人が立っている。
銀色かと思うような白金の髪が陽に煌めいていた。そっちは崖だ、と知らせようと駆け寄り、近づいてから何者かが分かって私は後悔した。
その人物は領主の道楽息子だった。冬にこの村にいるのはめずらしい。
田舎を嫌っていつも街にいるのに。夏にだけ涼を求めて帰っていたが、その度に村の者は顔をしかめたものだ。
彼の連れてくる街の友人達は傍若無人を極める。夜中まで飲んで騒いで、村の女の子たちを引っ張り出して酒の相手をさせたり酷い者になれば夜の相手をさせたり。
道楽息子カイ坊ちゃんも女には困らない容姿で、ひっきりなしに遊んで捨てていると聞く。
私は夏の間伯母の所で働かせてもらっているので、会うことはなかった。
それなのに、冬にはち合せるなんて。
道楽息子は怖ろしく冷ややかな顔で私を見つめていた。近寄ることをやめて立ち止まった私はその冷酷な迫力に負けてしばし動けなくなったが、なんとか頭を下げた。
「し、失礼します」
そう言ってずぼずぼ新雪に埋まりながら来た道を引き返す。
「おい」
……やはり黙って見逃してはくれないか。私は曲がりなりにも若い娘の部類。女とみれば見境ないと聞く道楽息子だ、これで声を掛けられないとすれば私はよほど醜悪な若い娘ということになるんだからよしとした方がいいのか、などと慰めにもならないことを考えながら振り向いた。
「これはなんだ?」
道楽息子は私ではなく自分の足元に目線を落としている。そちらに何があるのかは雪の高さで隠れているので近寄って見るしかない。心で溜息を付き、棒立ちしている道楽息子の元へずぼずぼ雪をかき分けて近寄る。
「ひっ」
猟師が仕掛けた罠が道楽息子の足に噛みついていた。鉄製の尖った刃がお高そうな長革靴に突き刺さり、じんわり濡れている。私はあわてて罠を外した。外された罠の刃は明らかに赤い液体を滴らせている。
刺さっていた、明らかに刺さっていた。なのにこの道楽息子は顔の筋肉が凍ったのか冷酷な顔のまま、青ざめる私を見下ろしている。
「て、手当てしましょう、手当て!」
相手が誰であれ、血を流す人間に慌てふためく私は小市民だろうか。とにかく家はすぐそこだし、と私は彼の腕を引いた。意外にも黙って素直に付いてくる、が。数歩歩いたところで彼はばったり雪の中に倒れた。ばふりと粉雪が当たりに立ちこめる。
「だ、大丈夫ですか!?」
しまった、肩でも貸せばよかった。突っ立っていたから歩くことは平気かと思われたが。縛り首だとか喚かれたらどうしようと思っていると彼は一人でむくりと起きあがり、足の様子を見てみる。そしてすたすたと歩き出した。
歩き出したはいいがどこへ行く気なのか森へ向かっていく。
「あの! どちらへ!? そちらには何もありませんが……」
「木があるが?」
…………ええ、木がありますね、森ですから。
「あ、あの、手当ては……」
彼の足跡には赤いシミがある。
「手当て?」
「はい」
「手当てとはなんだ?」
いや、なんだと聞かれても……。何この人。どこかおかしい。第一どうして血を流して痛がる様子もないのか。冷えが彼の痛覚を鈍らせているのか。ついでに頭の中も。
とにかく、と私は道楽息子の外套の袖を引っぱって家に引きずり込んだ。その間彼は私をしげしげ見下ろすばかりで口を開かなかった。
それは手当ての最中も同じだった。
血が少ないので甘く見ていたが意外にも傷は深い。冷えが出血を抑えていたのだろう。とりあえず薬草と包帯を巻いておくしかない。素手で触ると汚ないとか言われそうなので手袋をはめて手当てを施した。
「おい」
なんだろう。何を言い出すんだろう。
「熱い。焚火をするな」
……なに言ってるんだろうか、この坊ちゃんは。面の皮だけじゃなく全身の皮も厚いのか。真昼じゃあるまいし、朝のこの時間暖炉の火なしでやれと。しかもどこが熱いというのか。
ふとこの道楽息子の姿が薄着なことに気づいた。外套は厚いがその下は中衣一枚だ。馬鹿だこの人。
「あの、それでは寒くて凍えます」
「俺が溶けてもいいのか」
「…………溶ける……?」
「そうだ、溶解ともいう」
頭の中が凍ったのかと思えるくらい思考が働かない。溶ける……とは……?
「暖めれば溶解し水となり蒸発するのだ。どうだ、分かったか?」
「いえ、分かりません。あの、しっかりしてください」
「している。しかたあるまい、ここを退散する」
道楽息子は立ち上がってすたすたと歩き出し、一度も振り返らず、まっすぐ出て行った。出て行ったあとも私は窓から様子をうかがったが、彼は字の如くまっすぐ歩き、森の中へ消えていった。
……薄気味悪い人だった。あんな人物だったろうか?
彼と対面したことがあったのはたしか8才だったので、15才の坊ちゃんの射程距離には入っていなかったという幸運があった。
『子供かよー。は~残念。お嬢ちゃん、お姉さんかお母さんいない?』
森で花を摘んでいた私に坊ちゃん方の集団が話しかけてきた事がある。村の娘達を物色していた。
年頃であれば王子様がやって来たと多少は心はずんでいたんだろうか。それは分からないが当時の私にはあの一団がニタニタして気持ち悪かった。
『お姉ちゃんがね、遊び疲れてあの中で休んでる』
そう言って少し離れた岩場にあるコウモリだらけの洞穴を指さした。勇んで入っていく一団を尻目に、実は一人っ子の私は脱兎のごとく逃げた。甘ったるい声を雄叫びに変えた悲鳴を背後に聞きながら。
あそこまで警戒心なしでまっすぐ入ってくとは思わなかったよ。都会人は素直だなあ。
それを聞いた父さんは青い顔をして私をその日のうちに街の伯母の元へ預けたっけ。ごめん、父さん、苦労掛けた。
登場人物
主人公……ベルカ
道楽息子……カイ・フリューゲル