鋼鉄の墓標 ――退役戦車『雷』07号機、最後の行軍
雨と残骸
冷たい雨が、ひしゃげた装甲板を単調なリズムで叩いている。
黒く焼け焦げた多脚の残骸は、もはやかつての威容を留めていない。数日前まで、これは東南アジアの過酷な戦場を駆け抜けた最新鋭の自律型兵器だった。
警視庁警備部・特殊機動隊の小隊長である私、神谷 洸は、傘も差さずにその鉄の塊を見下ろしていた。
鼻を突く硝煙とオイルの匂いが、未だに事の顛末が現実であったことを告げている。
あれは、プログラムの致命的なエラーだったのか。それとも、外部からの悪意あるサイバー攻撃だったのか。
あるいは――あの冷たい装甲の下に、「心」と呼ぶべきものが芽生えていたのだろうか。
事の始まりは、三日前の深夜に遡る。
実弾ゼロの暴走
「対象は陸上自衛隊・35式自律型多脚歩行戦車『雷』。識別番号、07号機。現在、解体施設を突破し、国道を南下中です」
緊急招集された会議室で、陸上自衛隊法務部の連絡官、遠野 麻理は沈痛な面持ちでそう告げた。
2048年、泥沼化していた東南アジアのPKO任務から帰還した『雷』部隊は、兵器としての運用期限とAIの耐用年数を迎え、順次解体される予定だった。07号機もその一つだ。
「武装は?」
私が問うと、遠野は首を横に振った。
「主砲も機関銃も、すべて取り外されています。実弾は一発も装填されていません」
「では、ただの巨大な鉄の塊が歩いているだけか」
安堵しかけた私に、遠野は鋭い視線を向けた。
「重量は三十トンを超えます。それが時速四十キロで市街地に突入すれば、どうなるかお分かりでしょう。自衛隊は最悪の場合、対戦車ヘリによる破壊も視野に入れています」
私たちは即座に出動した。
激しい雨の中、国道の中央を我が物顔で歩く07号機の姿は、異様の一言に尽きた。四本の強靭な脚部がアスファルトを砕き、サーチライトが虚空を睨んでいる。
我々特殊機動隊は、大型牽引車とワイヤーを用いて物理的な足止めを試みた。しかし、07号機は一切の反撃を行うことなく、ただ黙々とワイヤーを引きちぎり、機動隊の装甲車を「そっと」道の脇へ押し退けて前進を続けた。
そう、押し退けたのだ。決して踏み潰すことはなかった。
交錯する熱狂と静寂
事態は夜明けと共に最悪の様相を呈し始めた。
07号機が市街地へ向かっていることが報道されると、沿道には野次馬と市民団体が溢れ出した。
「平和維持活動を終えた英雄を破壊するな!」
「危険なAI兵器を市街地に入れるな! さっさとスクラップにしろ!」
怒号とプラカードが飛び交い、警察のバリケードは群衆の圧力で崩壊寸前だった。上空には報道ヘリと自衛隊の攻撃ヘリが旋回し、一触即発の空気が漂う。遠野連絡官の無線には、発砲許可を求める自衛隊上層部の焦燥した声が響き続けていた。
群衆とマスコミの盾に阻まれ、強硬手段に出られないまま、私は07号機を追尾し続けた。
そして、その過程である「異常」に気がついた。
暴走したAIならば、無差別に建物を破壊し、最短距離を直線で進むはずだ。
しかし07号機は、交差点では信号の変わり目を認識したかのように挙動を変え、路上に取り残された乗り捨て車両や、転倒した市民を、精密な脚部コントロールで器用に避けていた。
まるで、明確な目的地へ向かうカーナビゲーションに従っているかのように。
「あいつは……何かを探しているのか?」
終着点
07号機が市街地を抜け、人気の少ない郊外の丘陵地帯へ足を踏み入れた時、事態は急転直下で終わりを迎えた。
そこは、広大な市営霊園だった。
重い足音を響かせながら、07号機は迷うことなく霊園の奥深くへと進んでいく。
そして、ある一つの小さな真新しい墓石の前で、ピタリと歩みを止めた。
ウィーン、という油圧の駆動音が響く。
07号機は四本の脚部をゆっくりと折りたたみ、車体を地面へと沈めた。砲塔の跡地を墓石へ向け、まるで平伏し、祈りを捧げるかのような姿勢をとる。
光学センサーの赤い光が明滅し、やがて、完全に消灯した。システムが、完全に沈黙したのだ。
その静寂を破ったのは、上空からの無慈悲な轟音だった。
再起動のリスクを恐れた自衛隊上層部の命令により、攻撃ヘリから放たれた対戦車ミサイルが07号機に直撃したのだ。
爆炎が上がり、私は爆風に煽られながら地面に伏せた。
火の粉が舞い散る中、祈るような姿勢のまま破壊された07号機の残骸が、ただ無惨に横たわっていた。
エピローグ:心はどこへ向かうのか
雨はまだ降り続いている。
私は焼け焦げた残骸の傍らにしゃがみ込み、07号機が守るように覆い被さっていた墓石を見つめた。
そこには、『笹本 健三』という名が刻まれている。
事件の後、遠野に頼み込んで調べてもらった記録によれば、笹本は陸上自衛隊の元整備班長だった。
東南アジアの過酷な戦地で、彼は07号機に付きっ切りで整備を行い、ただの鉄の塊を相棒のように呼んで愛していたという。しかし彼は、帰国直後に重い病に倒れ、07号機の解体を見届けることなくこの世を去っていた。
07号機のAIが最後に示した行動。
それが、笹本の整備データに起因するディープラーニングの異常だったのか、彼の死を知らしめるために誰かが仕込んだウィルスだったのか、私には分からない。
だが、あの鉄の怪物は、一人の人間も傷つけることなく、ただ自分を愛してくれた男の元へ帰りたかっただけなのではないか。
そんな感傷的な考えが、どうしても頭から離れないのだ。
私は静かに立ち上がり、姿勢を正した。
物言わぬ鉄の残骸と、その下で眠る整備士に向けて、ゆっくりと右手を額に当てる。
冷たい雨の中、私の敬礼に応える者は誰もいなかった。ただ、鋼鉄を打つ雨音だけが、静かな鎮魂歌のように響き続けていた。




