1 Something is rotten
「――俺たちは悪人だ。だが、悪魔ではない。なってはいけないんだ」
ある男がそう言った。老人のような白髪を後ろに撫でつけ、杖をついてはいるが、まだ若い男だった。
その言葉が向けられていたのは、両脚を折られ、虫のように床に這いつくばっている男。
白髪の男は、杖で床を叩きながら倒れた男のまわりを歩き、言葉を続ける。
「俺たちは人の道を外れた犯罪者。贖罪も死も選べぬ半端者。淘汰されるべき存在でありながら、無様に生き延びている害虫そのものだ。だからこそ、最後の一線だけは越えてはならないんだ。だからこそ、許されないんだ――こんな……暴挙は」
彼はその場を示すように両手を広げる。周囲には惨劇があった。そこはレストランだ。レストランであった。窓は割れ、雪が混じった風が吹きすさび、皿もグラスもテーブルも椅子も砕け、倒れ、そして――カウンターの上には、店の主人らしき老人がその亡骸を晒している。
「ブレイン……さん……」
血に沈んだ男が、白髪の男――ブレインの名を呼んだ。
「俺を、殺すのか……? 同じ組織の……『A Man』の仲間だろう……? なぁ……? うっ!」
男の髪が乱暴に掴み上げられる。ブレインの手ではない――錆びた血のような黒髪を波打たせた女が、艶やかな笑みで男を見つめていた。
「フフ、その口から発することが許されるのは悲鳴だけよ? さぁ……人の言葉を忘れなさい。ただ鳴くのよ! あなたが殺したお爺さんに届くように!」
女が握る大ぶりなマチェーテが、男の頬に突き立てられる。レストランに響き渡る叫び。男は逃れたい一心で叫びの中に言葉を詰め込んだ。
「やりすぎた! 確かにやりすぎた! でも仕方ねぇだろぉ! ネックさんの指示だったんだ! 言われたとおりにしただけなんだ!」
「……ふむ」
必死の言葉が通じたのか、ブレインは顎に手を当て、一つ頷いてみせる。そして、なお男をいたぶり続ける女へ、琥珀色の瞳を向けた。
「アーム、離してやれ」
「ええ、我が頭脳の仰せのままに」
アームと呼ばれた女は、ブレインの指示が届くや否や、男の髪から手を離した。
支えを失った男の頭は床に叩きつけられたが、それでも刃を傷口に突き立てられるよりは、はるかにましだったのだろう。安堵したように大きく息を吐いた。
「た、助けてくれんのか?」
「いいや? 君はどうせ死ぬさ。ただ――人生の幕を自分で引く権利くらいはくれてやるべきかと思ってな」
ブレインが懐からあるものを取り出す。それは、何の装飾もない一挺の拳銃だった。
恐怖に目を開ききった男を尻目に、ブレインは慣れた手つきで銃に弾を込める。火皿に火薬を盛り、銃口に火薬と弾丸を詰める。
最後に撃鉄を起こし、男の目の前にそっと置いた。そして、告げる。
「さぁ、やれよ。潔くな」
無機質な目で見下すブレイン。男の背後でアームが笑みを深めた。男は硬直した。思考が八方に散っていく。――撃たなければ殺される。撃てば死ぬ。逃げることはできない。なら、どうすれば。
巡り巡った思考の末、男はついに一つの結論に至り、それを実行した。
「うわぁぁぁ!」
手を叩きつける勢いで銃を掴み取り、そして――その銃口をブレインに向けた。引き金を握る男の指。しかし、それが引かれることはなかった。
いつの間にか、男の視界は宙を舞っていた。回る視界に映ったのは、眉一つ動かさぬブレインと、首から上を失って倒れる男の身体。
『――あ』
最期に映ったのは、刃に付いた血を振り払うアームの姿。微笑みに細められたその目が男の目を射抜いた瞬間、男の意識は消失した。
ごとりと床に落ちた男の首。それに一瞥もくれず、ブレインは呟く。
「そうだろうな。ここで死ねるようなら、最初から犯罪者になどなりはしない――ご苦労だった、アーム」
ブレインのねぎらいに、アームは芝居がかった優雅な一礼を返した。そして、マチェーテの刃先で男の死体を指す。
「死体の始末はどうするの?」
「捨て置け。A Manの参謀は、暴挙を許しはしないと示せ。店主は葬ってやりたいところだが……俺たちに葬られるのも、きっと気分が悪い。――行くぞ」
杖をつきながら、足を店の外へと向けるブレイン。その傍らにアームが寄り添い、腕を絡める。
「せっかく、ディナーに誘ってくれた久しぶりの夜だったのにね」
「そうだな……だが、最も悔やむべきは、店主のことだ。ただ金儲けが下手なだけの、誠実な男だった……」
「……あなたが贔屓にする店、少ないものね」
「だから狙われたのかもしれん。どうやら、借金の利子を吊り上げられていたらしい。この店には払いきれぬほどに」
打ち破られた扉の前に立つ二人。店を出る直前、ブレインは店主の亡骸に目を向け、静かに口を開いた。
「すまない……せめて奴らを――過激派をこのままにはしない」




