第八話:共存への道
「条件付き認可制度の試験運用を開始します」
記憶管理局の会議室で、藤堂局長が発表した。
出席者は、局長、僕、そして数名の幹部職員。
「葛西さんが中心となり、異世界での実証実験を行います」
「実証実験、ですか」
「ええ。まずは小規模に、特定の記憶に限定して、条件付きで認可を出します」
藤堂局長は、資料を配布した。
「対象となる記憶は、自衛のための基礎的な戦闘技術。医療目的の外傷処置。災害対応のための爆破技術」
「これらは、現在は原則禁止されているものですね」
「ええ。しかし、適切な審査と管理の下であれば、認可可能と判断しました」
藤堂局長は、僕を見た。
「そして、この実証実験には、ヴィクトル・グレイ氏にも協力してもらいます」
「ヴィクトルに、ですか」
「彼の経験とノウハウが必要です。違法市場で培った顧客管理、リスク評価の手法。それらを正規のシステムに組み込むんです」
会議室に、ざわめきが起こった。
違法業者との協力。前例のない試みだ。
「もちろん、彼には正規の記憶転写技師としての資格を取得してもらいます」
藤堂局長は、毅然とした態度で続けた。
「彼を排除するのではなく、取り込む。それが、真の解決策だと私は考えています」
一週間後、僕は異世界のヴィクトルの店を訪れた。
「来ましたね、葛西さん」
ヴィクトルは、落ち着いた様子で僕を迎えた。
「本省からの正式な提案を持ってきました」
僕は、書類を差し出した。
「あなたに、正規の記憶転写技師として働いてもらいたい」
ヴィクトルは、書類を読み始めた。
その目が、徐々に見開かれていく。
「…本気、ですか」
「ええ。あなたの経験が必要なんです」
「でも、私は違法業者だ。あなた方の敵のはずでは」
「敵ではなく、協力者です」
僕は、真っ直ぐ彼を見た。
「あなたは間違った方法を取ったかもしれない。でも、あなたが救おうとした人々は、確かに存在します」
「その経験を、正しい形で活かしてほしい」
ヴィクトルは、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「…わかりました。協力させていただきます」
彼の目には、涙が浮かんでいた。
「十年間、私は後ろめたさを抱えながら、この仕事を続けてきました」
「やっと、正面から記憶を扱える。本当に、ありがとうございます」
ヴィクトルとの協力体制が始まった。
まず、彼の顧客データの分析から着手した。
「これが、過去三年間の全取引記録です」
ヴィクトルは、分厚いファイルを差し出した。
「顧客の氏名、年齢、職業、購入した記憶の種類、使用目的、追跡調査の結果。すべて記録してあります」
僕は、ファイルを開いた。
驚くほど詳細な記録だった。
「この男性は、護衛の仕事をしています。基礎的な戦闘技術を購入後、無事に任務を遂行。三年間、問題なく働いています」
「この女性は、山岳救助隊員。高度なロープワークの記憶を購入。これまでに十五人の命を救いました」
「この青年は…」
ヴィクトルは、少し表情を曇らせた。
「彼だけは、失敗でした」
「失敗?」
「暗殺術の記憶を販売しました。彼は『自衛のため』と言っていましたが、実際には復讐に使いました」
ヴィクトルは、深くため息をついた。
「幸い、対象は軽傷で済みました。しかし、彼は逮捕されました」
「それ以降、私の審査基準はより厳しくなりました」
僕は、記録を読み進めた。
確かに、その事件以降、ヴィクトルの審査項目が増えている。
「あなたは、真剣に取り組んでいたんですね」
「当然です」
ヴィクトルは、真剣な表情で答えた。
「記憶は、人を変える力があります。だからこそ、慎重に扱わなければならない」
ヴィクトルのノウハウを基に、新しい審査基準を作成した。
「顧客の身元確認は必須。職業、収入源、家族構成、過去の犯罪歴」
「使用目的の明確化。自衛、職業、医療など、具体的な用途を確認」
「フォローアップ調査。記憶転写後、定期的に使用状況を確認」
僕は、リストを読み上げた。
「そして、リスク評価。この記憶が悪用された場合の被害規模を想定」
「完璧です」
ヴィクトルは、満足そうに頷いた。
「これなら、安全性と柔軟性を両立できます」
「ただし」
僕は、最後の項目を指差した。
「最終判断は、転写技師の裁量に委ねられます」
「それで構いません」
ヴィクトルは、きっぱりと言った。
「記憶を扱う者は、その重みを理解しなければならない。マニュアル通りにやるだけでは、不十分です」
「現場での判断、顧客との対話、直感。それらすべてを総合して、決断する」
「それが、記憶屋の仕事です」
条件付き認可制度の試験運用が始まった。
最初の申請者は、辺境の村の自警団長だった。
「盗賊の襲撃が増えているんです」
自警団長は、切実な表情で訴えた。
「私たちは素人の寄せ集めです。戦い方もわからない。このままでは、村を守れません」
僕は、申請書を確認した。
基礎的な戦闘技術の記憶。槍術、剣術、集団戦闘の基本。
「使用目的は、村の防衛のみ。攻撃的な行動には使用しない」
自警団長は、真剣に頷いた。
「誓います。私たちは、ただ家族を守りたいだけなんです」
僕は、ヴィクトルを見た。
「あなたの意見は?」
「認可すべきです」
ヴィクトルは、迷いなく答えた。
「彼の目を見てください。嘘をついていません。本当に、村を守りたいだけです」
「わかりました」
僕は、承認印を押した。
「記憶転写を許可します。ただし、三ヶ月後にフォローアップ調査を行います」
「ありがとうございます!」
自警団長は、深々と頭を下げた。
三ヶ月後、フォローアップ調査のために村を訪れた。
「葛西さん、よく来てくださいました」
自警団長は、笑顔で僕たちを迎えた。
「おかげさまで、村は平和です」
「盗賊は?」
「一度、襲撃がありました。でも、私たちの戦闘技術を見て、諦めて去っていきました」
自警団長は、誇らしげに言った。
「誰も傷つけていません。ただ、守っただけです」
村を歩くと、住民たちが笑顔で手を振ってくれた。
子供たちが、元気に遊んでいる。
「記憶のおかげで、私たちは家族を守ることができました」
自警団長は、深く頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました」
帰り道、ヴィクトルが話しかけてきた。
「いい顔をしていますね、葛西さん」
「そうですか」
「ええ。これが、記憶屋の本当の仕事です」
ヴィクトルは、空を見上げた。
「記憶を売るのではない。人々の人生を、支えるんです」
僕は、小さく頷いた。
記憶屋の仕事。
その意味が、少しずつ分かってきた気がした。




