第七話:忘れられない味
「葛西さん、ちょっと変わった依頼が来ています」
後輩が、困惑した表情で資料を持ってきた。
「料理の記憶を、購入したいと」
「料理?」
「ええ。それも、特定の一品だけ。『母親のオムライス』の記憶だそうです」
僕は、資料を読んだ。
依頼人は、異世界の青年。名前はフィン・アルトハウス、二十五歳。
「母親のオムライス、か」
「はい。記憶管理局には、そんな記憶はないと説明したんですが、どうしても葛西さんと話したいと」
「わかった。会ってみる」
フィン・アルトハウスは、痩せた青年だった。
頬がこけ、目の下に隈がある。
「記憶屋の、葛西さんですか」
「ええ。あなたが、料理の記憶を?」
「はい」
フィンは、少し恥ずかしそうに言った。
「変な依頼だと思われるでしょうが…どうしても、母のオムライスが食べたいんです」
「お母様は?」
「三年前に、亡くなりました」
フィンの声が、小さくなった。
「母は、料理が上手でした。特に、オムライスが。子供の頃から、何度も作ってもらいました」
「レシピは残っていませんか?」
「レシピ通りに作っても、母の味にならないんです」
フィンは、悲しそうに笑った。
「同じ材料、同じ手順。でも、何かが違う」
「火加減?調味料の量?それとも、もっと別の何か」
「わからないんです。だから…」
フィンは、僕を真っ直ぐ見た。
「母の記憶があれば。母が料理する感覚があれば。あの味を再現できるかもしれない」
「申し訳ありませんが、お母様の記憶は残っていません」
僕は、正直に答えた。
「記憶の抽出は、生前に行う必要があります」
「そうですか…」
フィンは、がっくりと肩を落とした。
「やはり、無理でしたか」
彼の落胆ぶりを見て、僕は考えた。
何か、できることはないだろうか。
「フィンさん、質問してもいいですか」
「はい」
「お母様のオムライス、どんな味でしたか?」
「甘くて…優しい味でした」
フィンは、目を閉じて思い出すように語った。
「卵はふわふわで。ケチャップライスは、少し酸味があって」
「そして、最後に母が言うんです。『たくさん食べてね』って」
フィンの目に、涙が浮かんでいた。
「あの味を、もう一度…」
僕は、決断した。
「わかりました。方法を考えてみましょう」
僕が考えた方法は、少し変則的だった。
「複数の料理人の記憶を組み合わせます」
「複数、ですか?」
「ええ。まず、オムライスの基本技術を持つプロの料理人の記憶」
「次に、家庭料理の感覚を持つ主婦の記憶」
「そして、あなた自身の記憶です」
「僕の、記憶?」
「あなたが持っている、お母様のオムライスの『印象』です」
僕は、説明を続けた。
「味覚の記憶は、曖昧です。でも、あなたの中には確かに『母の味』の印象が残っている」
「それを記憶として抽出し、料理技術の記憶と組み合わせる」
「そうすれば、お母様の味に近づけるかもしれません」
フィンは、驚いた表情で僕を見た。
「そんなことが、できるんですか」
「試してみる価値はあります」
まず、フィンから記憶を抽出した。
「お母様のオムライスを食べている場面を、できるだけ詳しく思い出してください」
「はい…」
フィンは目を閉じた。
装置が、彼の記憶を読み取っていく。
味覚。触感。温度。そして、母親の笑顔。
「たくさん食べてね」という声。
すべてが、記憶として記録された。
次に、日本から二つの記憶を取り寄せた。
一つは、老舗洋食店のシェフの記憶。オムライスの技術に長けた職人だ。
もう一つは、三人の子供を育てた主婦の記憶。家族のために毎日料理を作り続けた人だ。
そして、これら三つの記憶を、慎重に組み合わせた。
プロの技術。
家庭の温かさ。
そして、フィンが覚えている母の味。
「完成しました」
僕は、組み合わせた記憶媒体をフィンに渡した。
「これを転写すれば、お母様のオムライスを再現できるかもしれません」
「ありがとうございます」
フィンは、媒体を大切そうに握りしめた。
一週間後、フィンから連絡があった。
「葛西さん、来てください。作りました」
僕が訪れたのは、小さなアパートの一室だった。
質素な部屋。だが、清潔に保たれている。
キッチンからは、いい匂いがしていた。
「これです」
フィンが差し出したのは、オムライスだった。
ふわふわの卵。鮮やかなケチャップ。
「食べてみてください」
僕は、一口食べた。
優しい味。甘さと酸味のバランス。
そして、何より温かい。
「どうですか?」
「美味しいです」
僕は、正直な感想を述べた。
「とても、温かい味です」
「そうですか…」
フィンは、自分も食べた。
そして、涙を流した。
「これだ…これが、母の味だ」
彼は、何度も頷きながら食べ続けた。
「ありがとうございます、葛西さん。本当に、ありがとうございます」
帰り際、フィンが話しかけてきた。
「葛西さん、実は僕、料理人になろうと思うんです」
「料理人に?」
「ええ。この記憶のおかげで、料理の楽しさを知りました」
フィンは、明るい表情で言った。
「そして、母の味を。誰かに伝えたいんです」
「この温かさを、他の人にも届けたい」
「いつか、小さな食堂を開きたいんです。母の名前を冠した」
僕は、フィンの目を見た。
そこには、希望の光があった。
三年間、母の死を引きずっていた青年。
でも今は、未来を見ている。
「頑張ってください」
「はい。そして、いつか必ず、葛西さんを招待します」
「楽しみにしています」
転送ポイントに向かう道すがら、ガルドが話しかけてきた。
「いい話だったな」
「ああ」
「お前の仕事は、ただ記憶を売るだけじゃねえ」
ガルドは、空を見上げた。
「人の人生を、変えてるんだ」
僕は、何も答えなかった。
でも、その言葉は嬉しかった。
記憶屋の仕事。
それは、確かに人の人生に関わる仕事だ。
技術を伝え。
想いを繋ぎ。
そして、新しい未来を作る。
異世界の空は、今日も美しかった。
そして、どこかで誰かが、新しい一歩を踏み出している。
僕が届けた記憶と共に。




