第十一話:決断の時
「葛西さん、本当に行くんですか?」
後輩が、不安そうに僕を見ていた。
「ああ。エリシアたちを放っておけない」
僕は、転送の準備をしていた。
藤堂局長からは、異世界への転送自粛を命じられている。
でも、僕は決めた。
「でも、あなたが標的なんですよ。危険すぎます」
「わかってる。でも、これは僕の責任だ」
僕が記憶を売った。
その記憶を使った人々が、今、襲撃されている。
それを見過ごすことはできない。
「必ず、戻ってきます」
そう言い残して、僕は転送ポイントに入った。
異世界に着くと、ガルドが待っていた。
「来ると思ってたぜ」
「エリシアは?」
「工房にいる。警備はこっちで手配した」
ガルドは、武装した数名の男たちを紹介した。
「こいつらは元傭兵の仲間だ。信用できる」
「ありがとう、ガルド」
「礼なんていらねえ。お前がやろうとしてることは、正しい」
ガルドは、僕の肩を叩いた。
「だから、俺たちも手伝う」
エリシアの工房に着くと、彼女は一人で織機に向かっていた。
壊された機械を、必死で修理している。
「エリシア」
「葛西さん!」
エリシアは、驚いた表情で振り返った。
「来てくれたんですね。でも、危険なのに」
「あなたを守るために来た」
僕は、真っ直ぐ彼女を見た。
「あなたは、何も悪くない。記憶を買って、努力して、ここまで来た」
「それを邪魔する者がいるなら、僕が守る」
エリシアの目に、涙が浮かんだ。
「ありがとうございます」
彼女は、織機の前に座った。
「実は、決めたんです」
「何を?」
「織物を作り続けることを」
エリシアは、糸を手に取った。
「襲撃されても、脅されても。私は織物を作り続けます」
「なぜなら、これはバルトから受け継いだものだから」
彼女の手が、確実に糸を操っている。
「バルトの記憶、バルトの想い。それを形にするのが、私の使命です」
エリシアは、僕を見た。
「だから、葛西さん。あなたも諦めないでください」
「記憶を繋ぐという仕事を」
その夜、工房に襲撃者が現れた。
「記憶屋がいるはずだ。探せ」
黒い服を着た男たちが、十人以上。
だが、僕たちは準備していた。
「今だ」
ガルドの合図で、元傭兵たちが動いた。
訓練された動き。襲撃者たちを、次々と制圧していく。
「逃げるな!」
リーダー格の男が、工房に飛び込んできた。
その手には、剣が握られている。
「お前が、葛西か」
「そうだ」
僕は、男の前に立った。
「なぜ、記憶流通を邪魔する」
「邪魔?違う。我々は文化を守っているんだ」
男は、剣を構えた。
「記憶で簡単に技術を手に入れる。そんなことが許されていいはずがない」
「技術は、長年の修行で磨くものだ。汗と涙で勝ち取るものだ」
「それを否定するつもりはない」
僕は、静かに答えた。
「でも、記憶は修行の代わりではない。スタートラインだ」
「何?」
「記憶を手に入れても、それだけでは不十分だ。そこから、本人の努力が必要になる」
僕は、エリシアを指差した。
「彼女は、記憶を買った。でも、それで満足しなかった」
「毎日、毎日、練習した。失敗して、泣いて、それでも続けた」
「今、彼女の作る織物は、記憶以上のものだ。彼女自身の技術だ」
男は、言葉に詰まった。
「でも…」
「あなた方が守ろうとしている『伝統』。それは、努力を否定することですか?」
「記憶を使った人々の努力を、認めないということですか?」
男の手から、剣が落ちた。
襲撃者たちを当局に引き渡した後、僕たちは工房で休んでいた。
「すごかったな、葛西」
ガルドが、感心したように言った。
「剣も持たずに、あいつを説得するなんて」
「説得、できたんでしょうか」
「少なくとも、考え直すきっかけにはなった」
ヴィクトルが、お茶を淹れながら言った。
「記憶流通への反対は、恐怖から来ています」
「恐怖?」
「ええ。自分たちの存在価値が失われる恐怖。長年積み上げてきたものが、無意味になる恐怖」
ヴィクトルは、カップを僕に渡した。
「でも、葛西さんは示した。記憶と努力は、対立しないと」
「むしろ、記憶は努力の味方だと」
エリシアが、頷いた。
「その通りです。私は、バルトの記憶があったから、正しい方向に努力できました」
「闇雲に頑張るのではなく、確かな指針を持って」
翌日、予想外の訪問者があった。
昨夜のリーダー格の男が、一人で現れたのだ。
「…話がしたい」
男は、憔悴した表情で言った。
「昨夜、一晩考えた」
「そうですか」
「俺は、間違っていたかもしれない」
男は、重い口を開いた。
「俺は、十年かけて剣術を学んだ。師匠について、毎日練習した」
「それが、俺の誇りだった」
「でも、記憶があれば、その十年が無意味になる。そう思っていた」
男は、エリシアを見た。
「でも、お前の話を聞いて、わかった」
「記憶は、十年を一日にするものじゃない」
「十年かかるところを、五年にするものだ」
男は、深くため息をついた。
「そして、残りの五年で、さらに高みを目指せる」
「そういうことか」
僕は、頷いた。
「記憶は、時間を奪うものではない。時間を増やすものだ」
「学ぶ時間を短縮することで、創造する時間が増える」
男は、ゆっくりと頭を下げた。
「すまなかった。俺は、恐怖で盲目になっていた」
「いいえ」
僕は、男の肩に手を置いた。
「あなたの気持ちは、理解できます」
「伝統を守りたい。その想いは、尊いものです」
「では、俺は…」
「あなたの経験を、記憶として残しませんか?」
男は、驚いた表情で僕を見た。
「俺の、記憶を?」
「ええ。十年かけて学んだ剣術。それは、貴重な財産です」
「それを、次の世代に残す。それこそが、本当の伝統継承ではないでしょうか」
男は、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「…わかった。協力しよう」
一週間後、僕は東京の記憶管理局にいた。
「事件は解決しましたね」
藤堂局長は、満足そうに報告書を読んでいた。
「伝統教育協会のメンバーは、ほぼ全員が説得に応じました」
「一部は、記憶提供者として協力することになりました」
「素晴らしい結果です」
局長は、僕を見た。
「葛西さん、あなたは記憶屋として、大きく成長しました」
「ありがとうございます」
「そして、本省から正式な決定が下りました」
藤堂局長は、書類を取り出した。
「条件付き認可制度を、正式に運用します」
「本当ですか」
「ええ。あなたとヴィクトル氏が作った審査基準を、全国で採用します」
「そして」
局長は、僕に書類を手渡した。
「あなたを、新制度の統括責任者に任命します」
僕は、書類を見た。
そこには、「記憶流通管理課 課長 葛西透」と書かれていた。
「課長、ですか」
「ええ。新しい部署を立ち上げます。あなたには、その責任者になってもらいます」
「でも、僕はまだ」
「あなたほど適任な人間はいません」
藤堂局長は、立ち上がった。
「現場を知り、人々の想いを理解し、そして正しい判断ができる」
「あなたこそが、記憶屋です」
僕は、窓の外を見た。
東京の空。
そして、その向こうにある異世界。
記憶屋。
それが、僕の仕事だ。
人々の想いを繋ぎ、未来を作る。
その責任を、僕は受け入れる。
「謹んで、お受けします」




