第十話:エリシアの危機
「葛西さん、大変です!」
後輩が、慌てて僕のデスクに駆け込んできた。
「エリシア・フォン・ブルーメンタール嬢から、緊急連絡が入っています」
エリシア。
彼女から緊急連絡とは、ただ事ではない。
「内容は?」
「詳細は不明ですが、『すぐに来てほしい』と。声が震えていました」
僕は、すぐに転送の準備をした。
エリシアの工房に着くと、そこは荒らされた後だった。
織機が倒され、糸が散乱し、作りかけの織物が引き裂かれている。
「エリシア!」
奥の部屋から、彼女が現れた。
服は汚れ、顔には小さな擦り傷がある。
「葛西さん…来てくれたんですね」
「何があったんだ」
「襲撃されたんです。昨夜、黒い服を着た男たちが」
エリシアは、震える声で説明した。
「彼らは、バルトの記憶媒体を要求しました。渡さなければ、工房を潰すと」
「渡さなかったんですね」
「ええ。バルトの記憶は、私の宝物です。絶対に渡せません」
エリシアは、強い目で僕を見た。
「それで、こうなりました」
工房の惨状を見渡す。
職人たちは恐怖で震え、機械は壊され、在庫は台無しにされている。
「襲撃者は、何か言っていましたか」
「『記憶流通を止めろ』と。『記憶は、売買されるべきものではない』と」
エリシアは、唇を噛んだ。
「そして、『次は、もっとひどいことになる』と脅されました」
僕は、すぐに記憶管理局に報告した。
「エリシアさんの工房が襲撃されました。記憶流通への反対勢力による犯行と思われます」
「わかりました。警備チームを派遣します」
藤堂局長は、深刻な声で言った。
「葛西さん、事態は思ったより深刻です。エリシアさんだけではありません」
「他にも?」
「ええ。今朝、自警団長の村が襲撃されました。そして、レオン医師の診療所にも脅迫状が届いています」
「全員、条件付き認可制度で記憶を購入した人たちだ」
「そうです。記憶を使った人々を、標的にしているようです」
僕は、拳を握りしめた。
記憶流通への攻撃が、エスカレートしている。
「彼らを守らなければ」
「ええ。でも、葛西さん」
藤堂局長は、ためらいがちに続けた。
「本省では、条件付き認可制度の一時停止を検討しています」
「停止、ですか」
「反対勢力の攻撃が激化しています。このままでは、一般市民に被害が及ぶ」
「でも、それは」
「記憶を必要としている人々を、見捨てることになる」
藤堂局長は、苦しそうに言った。
「わかっています。でも、安全が最優先です」
工房に戻ると、エリシアが職人たちと話していた。
「みんな、ありがとう。でも、もう危険だわ」
エリシアは、涙を堪えながら言った。
「しばらく、工房を閉めます。あなたたちは、家族のもとに帰って」
「お嬢様、でも」
「いいの。これ以上、みんなを危険に晒せない」
職人たちは、不安そうな表情で頷いた。
彼らが去った後、エリシアは僕に言った。
「葛西さん、記憶流通は止まってしまうんですか」
「…わかりません」
僕は、正直に答えた。
「局では、制度の停止を検討しています」
「そう、ですか」
エリシアは、窓の外を見た。
「私は、記憶のおかげでここまで来られました。バルトの想いを受け継ぎ、家を再興できた」
「でも、それが原因で、みんなが危険に晒されている」
彼女の目に、涙が浮かんでいた。
「私が、記憶を買ったから」
「違います」
僕は、きっぱりと言った。
「あなたは、何も間違っていません」
「でも」
「悪いのは、襲撃者たちです。記憶を使う人々ではない」
僕は、エリシアの肩に手を置いた。
「あなたは、バルトの想いを受け継いだ。それは、誇るべきことです」
その夜、工房の外で見張りをしていると、ガルドが現れた。
「葛西、考えがある」
「何だ」
「襲撃者たちは、組織的に動いている。ということは、拠点がある」
ガルドは、地図を広げた。
「最近、都市の郊外に怪しい建物が建った。『伝統教育協会』という名目だが、実態は不明だ」
「そこが、拠点だと?」
「可能性は高い。今夜、偵察に行く」
「待ってくれ、危険だ」
「だからこそ、行く」
ガルドは、真剣な表情で言った。
「お前が救った人々が、苦しんでいる。それを見過ごせるか?」
僕は、黙って頷いた。
「わかった。一緒に行く」
深夜、僕とガルドは「伝統教育協会」の建物に潜入した。
古い石造りの建物。窓からは、薄暗い光が漏れている。
そっと中を覗くと、会議が行われていた。
「記憶流通は、我々の文化を破壊する」
壇上に立つ老人が、熱弁を振るっている。
「技術は、長年の修行で磨かれるべきだ。記憶で簡単に手に入れるなど、冒涜だ」
「我々は、この邪悪なシステムを止めなければならない」
会場の人々が、拍手している。
その中に、エリシアを襲撃した男たちの姿もあった。
「次の標的は?」
誰かが質問した。
「記憶屋本人だ。葛西透という男を排除すれば、システムは崩壊する」
僕は、背筋が凍った。
次の標的は、僕自身だ。
「葛西、下がれ」
ガルドが、僕を引っ張った。
「見つかったら、まずい」
僕たちは、静かに建物を離れた。
翌朝、記憶管理局に報告した。
「伝統教育協会が、襲撃の黒幕です」
「わかりました。すぐに当局に通報します」
藤堂局長は、深刻な表情で続けた。
「葛西さん、あなたも標的になっています。しばらく、異世界への転送は控えてください」
「でも、エリシアたちは」
「警備チームが保護します。あなたは、こちらで安全を確保してください」
僕は、反論したかった。
でも、局長の表情を見て、黙って頷いた。
その夜、一人で考えていた。
記憶流通は、確かに人々を救っている。
でも同時に、反対する人々も生んでいる。
どちらが正しいのか。
答えは、まだ見えない。
でも、一つだけわかることがある。
僕は、記憶を必要としている人々を、見捨てるわけにはいかない。
エリシアも。
自警団長も。
フィンも。
ハインリヒ医師も。
彼らは、記憶のおかげで前に進めた。
その事実を、誰にも否定させない。
窓の外では、東京の夜景が広がっていた。
そして、遠く異世界では、誰かが僕を待っている。
明日、僕はどうするべきか。
その答えを、見つけなければならない。




