第九話:記憶への攻撃
条件付き認可制度は、順調に運用されていた。
三ヶ月で、二十件の申請を処理した。
そのすべてが、適切に使用されている。
「成功ですね」
藤堂局長は、満足そうに報告書を読んでいた。
「葛西さん、ヴィクトル氏。お二人の功績です」
「まだ、試験運用の段階です」
僕は、慎重に答えた。
「本格運用には、もっと多くのデータが必要です」
「それは承知しています。でも、これは大きな一歩です」
藤堂局長は、僕を見た。
「本省も、この結果に注目しています。うまくいけば、全国展開も視野に入ります」
その時、内線電話が鳴った。
「はい、藤堂です」
局長の表情が、徐々に険しくなっていく。
「…わかりました。すぐに対応します」
電話を切り、局長は僕を見た。
「問題が発生しました」
異世界に緊急転送された僕とヴィクトルを待っていたのは、ガルドだった。
「葛西、大変なことになった」
ガルドの表情は、珍しく深刻だった。
「お前が認可した記憶が、悪用されたかもしれない」
「何?」
「一週間前に認可した、医療技術の記憶だ」
ガルドは、資料を見せた。
「購入者は、都市の医師、レオン・ハートウェル。外科手術の記憶を購入した」
「彼がどうしたんだ」
「三日前、貴族が謎の死を遂げた。検死の結果、毒物が検出された」
ガルドは、声を低めた。
「しかし、毒物の注入方法が特殊だった。外科手術の技術を使って、巧妙に行われていた」
「まさか、レオンが」
「まだ確定ではない。だが、容疑者として捜査対象になっている」
僕は、頭が真っ白になった。
僕が認可した記憶が、殺人に使われた。
「すぐにレオンに会いに行く」
レオン・ハートウェルの診療所は、都市の中心部にあった。
「葛西さん、何の用ですか」
レオンは、疲れた表情で僕たちを迎えた。
三十代半ばの、真面目そうな男性だ。
「あなたが、貴族の死に関与している疑いがあると聞きました」
「…やはり、そう思われているんですね」
レオンは、深くため息をついた。
「私は、やっていません」
「では、なぜあなたが容疑者に」
「死んだ貴族、グレゴール卿は、私の患者でした」
レオンは、椅子に座った。
「彼は重病で、手術が必要でした。私は、あなたから購入した記憶を使って、手術を成功させました」
「それで」
「しかし、一ヶ月後、彼は死んだ。死因は毒殺。そして、毒物の注入方法が、私の手術技術と同じだった」
レオンは、僕を見た。
「私は、陥れられたんです」
「誰が、なぜ」
「わかりません」
レオンは、頭を抱えた。
「グレゴール卿には、多くの敵がいました。政治的な対立、経済的な利害関係」
「しかし、犯人は私の手術記録にアクセスしていました。私の技術を真似て、犯行を行った」
ヴィクトルが、口を開いた。
「記憶の複製、ですか」
「複製?」
「記憶は、デジタルデータです。技術的には、複製が可能です」
ヴィクトルは、深刻な表情で続けた。
「もし、誰かがレオン氏の記憶媒体にアクセスし、複製したとしたら」
「その記憶を使って、犯行を行うことができる」
僕は、背筋が凍る思いがした。
記憶の複製。
それは、想定していなかったリスクだ。
「レオンさん、記憶媒体の保管は」
「診療所の金庫に入れています。鍵は私だけが持っています」
「では、アクセスできる人間は」
「いません。少なくとも、私の知る限りでは」
レオンは、不安そうに言った。
「でも、本当に複製されたのだとしたら、どうやって」
診療所の金庫を調べた。
外見上、破られた痕跡はない。
しかし、ヴィクトルが何かに気づいた。
「葛西さん、これを見てください」
金庫の内側に、小さな傷があった。
「専用の工具で開けられた痕跡です」
「専門家の仕事、ですか」
「ええ。しかも、記憶媒体の複製に関する知識がある者」
ヴィクトルは、深刻な表情で言った。
「これは、単なる犯罪ではありません。記憶流通システムそのものへの攻撃です」
僕は、すぐに記憶管理局に連絡した。
「記憶の不正複製事件が発生しました。直ちに調査を」
電話の向こうで、藤堂局長の声が聞こえた。
「わかりました。セキュリティチームを派遣します」
「それと、すべての記憶媒体に複製防止機能を追加してください」
「了解しました。葛西さん、現場の安全を確保してください」
その夜、僕たちは診療所に張り込んでいた。
「犯人は、また来るかもしれない」
ヴィクトルの推測だった。
「一度成功した方法は、繰り返し使われる。もし他の記憶も狙っているなら」
「今夜、また来る可能性がある」
午前二時。
診療所の裏口に、影が近づいた。
黒い服を着た、小柄な人影。
手には、専門的な工具が握られている。
「今だ」
ガルドが、素早く動いた。
影を組み伏せ、フードを剥ぎ取る。
「…若い女性?」
現れたのは、二十代の女性だった。
蒼白な顔で、必死に抵抗している。
「なぜ、こんなことを」
「…金のためです」
女性は、諦めたように答えた。
「私は、記憶複製の専門家として雇われました。報酬は金貨百枚」
「誰に雇われた」
「わかりません。匿名の依頼でした」
女性は、震える声で続けた。
「でも、依頼内容は明確でした。レオン医師の記憶を複製し、それを使って犯行を行う」
「そして、記憶流通システムの信用を失墜させる」
ヴィクトルが、低い声で言った。
「これは、我々への攻撃だ」
女性を当局に引き渡し、僕たちは事件の背景を探った。
調査の結果、驚くべき事実が判明した。
「依頼主は、旧来の教育機関の関係者でした」
藤堂局長からの報告だった。
「彼らは、記憶流通システムを脅威と見なしています」
「なぜです?」
「記憶があれば、長年の修行や教育が不要になる。彼らの存在意義が失われるからです」
藤堂局長は、ため息をついた。
「これは、始まりに過ぎません。記憶流通システムが普及すればするほど、反対勢力も増えていくでしょう」
僕は、窓の外を見た。
記憶を売ること。
それは、既存の社会構造を変える行為でもある。
その変化に、抵抗する人々がいる。
「葛西さん、どうしますか」
藤堂局長の問いに、僕は答えた。
「続けます」
「反対があっても、ですか」
「ええ。記憶流通は、確かに人々を救っています」
僕は、自警団長の笑顔を思い出していた。
エリシアの誇らしげな表情を。
バルトの穏やかな最期を。
フィンの希望に満ちた目を。
「だから、続けます。より安全に、より適切に」
藤堂局長は、満足そうに頷いた。
「わかりました。では、セキュリティの強化を最優先で進めましょう」
その夜、ヴィクトルが声をかけてきた。
「葛西さん、あなたは変わりましたね」
「そうですか」
「ええ。最初に会った時、あなたは『ただの公務員』と言っていました」
ヴィクトルは、笑った。
「でも今は違う。あなたは、記憶屋です」
僕は、何も答えなかった。
でも、その言葉は、嬉しかった。
記憶屋。
それが、今の僕の仕事だ。
窓の外では、異世界の月が輝いていた。
明日も、また誰かの記憶を届ける。
そして、人々の人生を支えていく。
それが、僕の使命だ。




