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(……よかった……)
この言葉を言えて、もうツェリルに後悔はなかった。
もう一つ胸の中にある想いは、自分だけが抱いていればいい。
「俺を見捨てて行くつもりか」
だが、ドゥラコンはツェリルの言葉を喜んでくれることはなく、さらにはそんなふうに詰られた。
ドゥラコンのことを思えばこそ、ツェリルは自分の思いも何もかもに目をつぶって宣言したのに、わかってもらえないのは悲しいし、悔しい。
「み、見捨てるなんて、私はただっ」
「聖女に祝福されない皇帝など、民が敬ってくれるはずもないだろう」
怒ったようにきつい口調で言われたが、ツェリルは絶対にそんなはずはないと続けた。
「あなたはバラッハ帝国を、民を大切になさっている方です。
民は皆わかっているっ」
「……わかっていない奴が一人いるがな」
「ではっ、その者をここに連れてきてください。
私がなぜあなたを次期皇帝に指名したのかちゃんと説明します。
そうすればきっと……っ」
「馬鹿」
最後まで伝える前にいきなり遮られ、ツェリルはさすがにむっとした。
こんなにも自分は必死なのに、またからかう言葉をぶつけられるのか。
「馬鹿なのはわかっています、でもっ……んっ?」
反論するために顔を上げれば、真上から下りてきた口に突然唇を奪われてしまった。
どうしていきなりと驚く間もなく、強引に唇を割って入った舌に縮こまる自分のそれが搦め捕られた。
強く吸われ、唾液を流し込まれて、ツェリルはこくんとそれを飲み込んでしまった。
性急にも思えるそれはなかなか解かれず、息苦しくなってドゥラコンの背を叩いた。
そのせいか、いったん離れた口に焦って呼吸をしようと思っても、すぐに角度を変えて唇が合わさってくる。
何度も何度も、まるでツェリルの方から受け入れるまで許さないとでもいうようなくちづけに、次第に思考が朦朧となってきた。
(わ、たし……)
想いを伝えることはおろか、二度と会えないだろうと思っていたのに、今自分は何をしているのだろう。
濃厚なくちづけに酔いながら、ツェリルの目もとには涙が滲んだ。
すると、顔を見ていたのか不意にドゥラコンがくちづけを解き、苦しげな声で尋ねてくる。
「泣くほど、俺が嫌いか?」
カッと、頭に血が上った。
「嫌いなはず、ないっ」
好きだから、こんなにも苦しんでいるのだ。
それをわかってくれない鈍感な男に馬鹿だと言われたのかと思うと悔しさがこみ上げる。
精一杯の不満を込めて涙交じりの視線で睨みつけたが、反対にドゥラコンは安堵したような笑みを浮かべてこちらを見た。
「な、何だっ」
「怒りのまま、お前を押し倒さなくて良かったと思ってな」
「え?」
「愛の告白を聞けた」
「えぇっ?」
今のどこが愛の告白になったのだと否定するつもりが、なぜか真っ赤になった顔をドゥラコンから逸らすことしかできなかった。
全身が羞恥の炎に包まれているようで、ここにいるのがいたたまれない。
「ツェリル」
名前を呼ばれたが、そちらを見ることが怖くてできなかった。
「ツェリル、俺はお前こそ聖女に相応しい人間だと思っている。
命を賭して子供を救ったお前に、神の姿を見た者も多かったはずだ。
お前が何を思って聖女を辞すると告げたのかわからないが、その決意は間違っている」
無鉄砲だったツェリルのあの行為を、ドゥラコンがそんなふうに思ってくれているとは考えもしなかった。
素直に、嬉しいとは思う。
だが、ツェリルが真に自分が聖女に相応しくないと思っているのはそのことではない。
「……私は、聖女として失格だ」
身も心も神に捧げることがもう、できない。
感情がこみ上げ、涙が溢れる。
すると、再びドゥラコンの胸に抱きしめられた。
「お前ほど、情が深い奴はいない」
「……だ、って……っ、私はっ、皆を平等に愛することが、できないっ。
この身を、神に捧げること、もっ」
「ツェリル」
今となっては、この身が穢されたというつもりはない。
ドゥラコンを想う気持ちに気づいた時、ツェリルは無意識に自分の方からそんな関係になることを望んでしまったのだと思った。
そんな欲に塗れた自分に、民の幸せを願えるか。
それに、いずれドゥラコンはバラッハ帝国の皇帝に相応しい妃を娶る。
聖女としてドゥラコンに愛される人を祝福するのはなおさら無理だ。
「私は、もう」
「それならば、聖女を辞めるのは構わない」
ツェリルの言葉に幻滅したのか、ドゥラコンがきっぱりと言い切った。
その許しの言葉を望んでいたはずなのに、いざ言われて傷ついている自分勝手な己を嫌悪した。
だが、続く言葉は意外なものだった。
「俺も、お前が皆に愛されるのは腹立たしいからな。
ツェリル、お前は俺の妃になれ。
いいな、拒否はさせんぞ」
「な……にを、何を言っているのですか?」
「俺の妃になれと言った」
(そ、れって、まさか、求婚……?)
あまりにも意外な展開に頭がついていかず、ツェリルは呆然とドゥラコンを見上げる。
すると、笑みを深めた男は軽く唇を合わせてきた。
「俺の妃になったら、もうナメルやネツに身体を触らせるなよ。
その時はお前が泣いて頼むまで抱き潰すからな」
「ドゥ、ドゥラコン殿っ」
「もちろん、アリイェにも必要以上に近づくな。
あいつはナメルと違って敬虔な神官だが、お前のことを可愛がり過ぎる」
「えぇっ?」
思いもよらないドゥラコンの言い分に、ツェリルはもう声が出ない。
今のドゥラコンの言葉を素直に取れば、まるでツェリルの周りの人間に嫉妬しているようにしか聞こえなかった。
「信じられないか?」
問われて、コクコクと頷けば、ドゥラコンは少しだけ考えた後視線を扉の方へと向ける。
「ならば、祭壇の前でお前を抱こうか。
神に見せつけたいと思うほどに、お前を愛おしいと思っているからな」
「罰が当たります!」
「いいや。
神聖な愛の誓いは、神がもっとも喜びとするものだと思うが?」
「何を言っているんですか」
ドゥラコンの暴言に呆れ、さすがに涙も止まってしまった。
すると、ドゥラコンは不意に衝いてきてツェリルを側の寝台へと押し倒す。
「ドゥラコン殿っ?」
「少し狭いが、その分密着できるか」
軽い言葉に、男が何を想像しているのか考えてしまった。
ドゥラコンは広い自身のと寝台のそれを見比べているのだ。
その後の行為を想像してツェリルは焦った。




